白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「ぼてふり」を知っていますか。

2023-05-16 15:40:57 | 日記

5月9日(火)晴れ。

朝食は抜いた。昼は、コロッケ2個、目玉焼きにキャベツの千切り、シジミの味噌汁。夜は、ポークソテー、チヂミ。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

私が子供の頃には、早朝から色々な物を売りに来る人達がいた。リヤカーであったり「ぼてふり」(棒手振・魚や野菜などを天秤棒で担ぎ、売り声を上げながら売り歩くこと)の人達だ。確か、朝が一番早かったのは、新聞配達。これは今でも一緒だ。次が「納豆売り」。「なあっとーう、なあっとーう」という掛け声を今でも覚えている。夕方は、豆腐屋さん。そのラッパの音を聞くと、「ああ、もうすぐご飯だから帰らなければ」と思ったものだ。後は、「金魚屋さん」と「アサリとシジミ」売り。この売り声も覚えている。「あっさりぃー、シッジミィー」。これをもじって「あっさり、死んじめぇー」と言って怒られたことがある。20年ほど前までは、夏になると関内の繁華街に風鈴の行商が出ていて、何度か買ったことがあった。こういった物売りが来ると、時計の普及していない頃でも、時間が分かったものだ。そこで「先々の時計となりや、小商人(こあきんど)」という川柳が出来た。

銭湯も随分と少なくなった。子供の頃は、各町内に一軒ぐらい銭湯があったものだ。そのお風呂屋さんの煙突から煙が上がると2時頃で、近所の工場からサイレンが聞こえると5時。外で遊んでいた私たち悪童は「カエルが泣くから、かぁーえろう」と言って自宅に戻った。まだ家にお風呂のある家庭も少なく、銭湯も子供たちの遊び場。シャワーなどなく、皆、桶にお湯を入れて頭を洗っていた。風呂屋の下駄箱の番号も、長嶋の3番と、王選手の1番、両方ない時は、川上の16番が取り合いになった。道路も下町の路地などは、舗装がされておらず、雨が降れば水たまりに嵌って、良く靴を汚した。小学生の低学年の頃は、学校から帰ってくると、下駄に履き替えて遊びに行った。昭和の30年代の半ばの頃の話。最近はスーパーに行くと、シジミの値段を見ると驚くほど高い。そしてアサリはほとんど中国からの輸入品だ。どうなってんだか。

 


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「核なき世界」と「愛なき世界」。

2023-05-16 13:24:50 | 日記

5月8日(月)雨。

朝食は、エビ沢山の「エビチャーハン」、きくらとタマゴの炒め物、大根の味噌汁。昼は、小カップ麺と朝の残りのエビチャーハン。夜は、子供が残業、愚妻は青森と言うことで、一人飯。ミスジ肉にたっぷりのニンニクのスライスとスライス・マッシュルームを乗せたものと、こんにゃくの炒め物、さっと湯がいたレタスに、紹興酒、ごま油、醤油で味付けた温サラダ。盟友のO氏より以前いただいた「森伊蔵」の4合瓶を開けた。一週間分録画しておいた朝ドラを見ながら、ふふふと不敵な笑いの中で、酔狂亭にて独酌。

広島でG7とやらの会合があるらしい。「蜷川さん。何か取り組みはしますか」とはオマワリサン。小島よしおのギャグが浮かんだ。「岸田さんに、皆さんと仲良くやるようにと伝えて」と言ったら苦笑いをされた。岸田さんが、「核なき世界」を皆さんに言うそうだ。その「核なき世界」という言葉を聞くと、自然に、ピーターとゴードンの「愛なき世界」という歌が浮かぶ。当然両者に関連性などある訳もない。

その歌が流行ったのは昭和39(1964)年。私は中学の二年生だった。中学生になった頃から、洋楽に興味を持つようになって、随分とレコードを買った。当時のヒット曲は、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」「抱きしめたい」やヴィレッジ・ストンパーズの「ワシントン広場の夜は更けて」、アストロノウツの「太陽の彼方に」、キングストン・トリオの「花はどこへ行ったの」など。リフレーンばかりの歌詞が続く「花はどこへ行ったの」は、英語で歌える唯一のものだった。ああG7とは何も小島よしおか。とにかく、岸田さんの「核なき世界」と聞くと「愛なき世界」の曲が頭の中に流れてくる不謹慎な私です。そうそう、その歌の作詞・作曲は、ビートルズの、ポール・マッカトニーです。まあ皆さん、とりあえずはロシア包囲網で仲良くやって下さい。


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恒例のサリーズバーのパーティー。

2023-05-16 12:39:11 | 日記

5月7日(日)雨。

雨戸を叩く雨の音を目覚まし代わりにして起きる。雨か・・・。花の雨 けむる祖国のさみしさよ。という野村先生の句が浮かんだ。そういえば野村先生が師と仰いだ五・一五事件の指導者であった三上卓先生の句集『無韻』の中に「秘めしこと一つありけり 花の雨」という句がある。いわゆる「海烈号事件」にて、逮捕され横浜刑務所に在獄中の作である。この句が収められている『無韻』は、現在ほとんど手に入らない。三上先生の資料館のある岐阜の大夢館で是非とも再刊してほしいと思っている。クラウドファンディングという方法もある。今では、単行本を作るのも昔ほど経費は掛からないはずだ。ご一考を。

午後から、お世話になっている社友に迎えに来て頂き、中華街のローズホテルにて毎年行われているサリーズバーのパーティーへ行く。開会前に「菜香」にて、岐阜から参加のドクター細川先生と、千鳥足会のロングトール竹田の両氏と、ごあいさつ代わりの「青島ビール」で乾杯。毎年、サリーズバーのパーティーには400人以上の人たちが集まる。知っている人は2割程度だが、ほとんどがシニア世代。私は、ホールで踊ることもないので、もっぱら懐かしい人たちとの挨拶と「乾杯」の連続。山平重樹先生も合流。ちょっと飲みすぎて7時過ぎに中座した。

 


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中華街は、ラッシュの人波。

2023-05-16 12:19:10 | 日記

5月6日(土)晴れ。

朝食は抜いた。午後から上の子供と一緒に中華街へ。凄い人である。まるでラッシュ時の駅のように人が溢れ、歩くのもままならない。失礼ながら、エッこんなお店が・・・。と思っていたお店にも人が並んでいる。三年間の隠忍自重を考えたなら、やっと春が戻って来たか。ホッとするやら、めんどくさいやらで複雑である。

11時30分の開店を待って「中華飯店」へ。賑やかな場所から少し外れているので、すんなりと入れた。このお店にはもう30年近く来ている。娘さんが若くして亡くなり、今ではその子供さんがお店を仕切っている。初代のおばあちゃんも相変わらず元気で頑張っている。子供が好きなのは「海老そば」。私はこのお店の名物の「モツ炒め」「モツの冷製炒め」「むしどり」。車で来たのでノンアルのビールを一本のみ。

その後に、伊勢佐木町の有隣堂にて書籍浴。ポンパドゥールでお茶をして、井土ヶ谷駅近くのスーパーで夕食の買い物をしてから帰宅。久しぶりに上の子供と一日一緒にいた。


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