白雲去来

蜷川正大の日々是口実

一家に一冊、常備本。

2009-08-22 11:14:08 | インポート

八月二十日(木)晴れ。

 朝六時に起床。朝食の後に、一件所用を済ませてから事務所へ。午後からは、上の子供と伊勢佐木町の有隣堂へ行き、本を二冊購入。週刊新潮の高山正之氏のコラム「変見自在」をまとめた「オバマ大統領は黒人か」(新潮社)と、連続企業爆破事件のドキュメンタリー「狼・さそり・大地の牙」(福井惇著・文藝春秋)の二冊。それと、午前中に伺った方から頂いたのが、田母神俊雄元空幕僚長の「サルでもわかる日本核武装論」(飛鳥新社)。面白くて、一時間もかからずに読んでしまった。その昔、何処の家庭にも薬箱があって、風邪薬や頭痛薬などが常備されていた。田母神さんの「日本核武装論」も、各家庭に常備しておきたい本だ。いかに日本人の平和や国防に対する常識が非常識であるかが分かる。中高生でも読める本なので、是非ご購読下さい。

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 夜は、友人と我が家で、お世話になっている石橋卓次氏から頂いた大好物の宮崎は日南の焼酎、「甕雫」で一献。途中から大行社の内川徳彦、小泉克義の両君が奇襲攻撃。しかし小泉君は下戸。友人氏と内川君と私の三人で「甕雫」が空いた。この焼酎はアルコール度数が二十度なのでロックで飲むのが丁度いい。十一時まで。久し振りに大破・轟沈の夜だった。

 私が信頼している三澤浩一氏からのメールを添付させて頂きます。西村眞悟氏を是非応援して下さい。

 天下無双の国士政治家である西村真悟さんが、衆議院議員総選挙に出馬しました。
 西村真悟さんは、大阪17区(大阪府堺市の半分)と近畿比例区との重複立候補です。
 近畿比例区とは、滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山の2府4県になります。
 そこで、同志・道友・友人・知人の皆様にお願いがあります。
大阪17区にお住まいの方は、選挙区は【西村真悟】、比例区は【改革クラブ】と記入して投票してください。
 近畿地方にお住まいの方は、比例区には【改革クラブ】と記入して投票してください。
 近畿地方以外にお住まいの方は、近畿地方のお知り合いがいらっしゃれば、「比例区には【改革クラブ】と記入して投票してほしい」と連絡してください。

 
改革クラブの候補者は、西村真悟さん1人だけです。
近畿比例区で【改革クラブ】と記入された票は、全て西村真悟さんへの1票となります。
 西村真悟さんは、衆議院議員を5期つとめてきましたが、憲法・国防・教育・外交など国家の根幹に関わる分野で、正論を貫き通し、志士と呼ぶに相応しい活躍をしてまいりました。
 特に、北朝鮮に拉致された日本人被害者を奪還するため、先頭に立って獅子奮迅の活躍をしてきたことは、誰もが知るところです。
 祖国再生のため、西村真悟さんの勝利に向けて、皆様のご協力のほど宜しくお願い申し上げます。 三澤浩一


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願わくば自民の反日議員は皆落選せよ。

2009-08-20 12:30:29 | インポート

八月十九日(水)晴れ。

 午前中は少し涼しかったので、朝食の後に、下の子供を連れて一時間半ほど歩いて、いい汗をかいた。健康とダイエットもあるが、酒を美味く飲める体にしたいのが本音である。

 ニュースを見ていてぶっ飛んだ。上の子供の通う学校の先生が、出身校の吹奏楽部から楽器を盗んで逮捕されたというのだ。子供も吹奏学部に入っており、その先生が顧問で指導を受けていた。何でも、出身の高校の吹奏楽部の指導をめぐって確執があったとのことだが、盗みはいかんね。子供がショックを受けていて可愛そうだ。まあ人生いろいろ。先生もいろいろ。アレどこかで聞いた事のある比喩だ。

 午後から事務所にて資料整理。クーラーをかけずに窓を全開にしてヒーコラ言いながら、たまっているスクラップや送られてきた機関誌などを片付けた。

 帰宅後は、自宅でのんびりした。テレビは選挙一色。マスコミの予想では、民主党が三百議席を確保し、自民党は百五十程度となるそうだ。どうも、有権者の間には、「一度やらしてみたらどうか」という空気があるのではないか。民主党が政権をとったとしても、現実的な政策、すなわち経済政策の実現に追われて、他の事は手に着かないような気がする。私は、短命に終わるように思う。願わくば、民主党と自民党の真の保守が新たな政党を作り、自民党内の加藤紘一や山崎拓、中川秀直といった鶏冠の赤い連中と、民主党の左派の連中とが、一緒になれば分かりやすくて良い。

 NHKで九時から「不屈の者たちへ」という番組を見たが、とても良かった。元プロ野球の投手であった盛田幸妃氏が脳腫瘍と戦いながら生きてゆく姿を描いたものだが、感動した。こういった番組を義務教育の場で見せたら良いとつくづく思った次第。また七時のニュースの「ベルリンの壁崩壊招いた計画二十年」も良かった。社会主義がいかに人類に惨禍をもたらしたのか・・・。しかし不思議なことに、まだ日本人の中に、その社会主義を信奉している人達がいるということだ。それも保守の仮面をかぶって。アホなNHKもたまには良い番組を放送する。カメ&アコちゃんの若夫婦が京都から送って頂いた「漬物」を肴に、「国際陸上」を見て、女子の五千米の予選で、中村、小林の両選手の走りを応援しました。


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やっと機関誌が出来ました。

2009-08-20 11:58:08 | インポート

八月十八日(火)晴れ。

 朝食の後に事務所へ。ようやく機関誌の製作と郵送の段取りが終わった。今日から選挙が始まるというのに、私の機関誌は、政治色など一切なく、私のだらしない酔いどれの日々を綴った「白雲去来」で一冊を作ってしまった。出来上がったものを改めて見てみると、正に赤面、汗顔の至りである。まあ一回ぐらいは大目に見ていただき、次の号は真面目に作りますので、購読者の皆様には、何卒ご容赦をお願い致します。

 これを書いているのは二十日(木)の昼である。選挙が公示になってから不思議なことに気がついた。それは私の選挙区は神奈川二区で自民党からは菅義偉氏、民主党の三村和也、共産党からは高山修氏の三氏が立候補しているが、あれほど連日事前運動を行なっていた、幸福の科学の候補者が、直前になって立候補を断念したようなのだ。私の住む下町にも、ノボリを立てて行進したり、それこそ宣伝車の見ない日は無いくらいに熱心に運動していたのに、直前で立候補を取り止めるのは、極めて不自然である。「保守票を二分する」と言うのならば、そんなことは事前に分かっているはずなのに、何か自民党と裏取引があったのか、と勘ぐられても仕方が無い。まあ個人的には菅氏を応援しているので、結果は良しとするか。でも菅さんは靖国神社に行ったのかな。もう少し、国家観を明らかにして欲しいものだ。

 八時過ぎまで機関誌の発送を行なっていたので、自宅近くのお好み焼き屋「鶴屋」にて家族で食事。キープしてある「黒霧島」を少し飲んだ。

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機関誌です。宜しくお願い致します。


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世界陸上を堪能した。

2009-08-18 09:02:03 | インポート

八月十七日(月)晴れ。

 九時まで寝ていた。朝食後は事務所へ。途中で、家に携帯電話を忘れたのに気がついたが、ままよ、そのままにしておいた。事務所で、中綴じ、中折りの作業を行なったが、三時半に病院で検査が入っていたので、途中で中止して病院へ。

 五時半に、仕事先へ愚妻を迎えに行き帰宅。夕食は、餃子、マーボーナスに野菜スープという中華スタイル。今日は、久し振りに休肝日とした。夕食後は、ビデオで録っておいた世界陸上を堪能した。しかし百メートルのボルトの九秒五八には、驚いた。私が見た最初の最速は、東京オリンピックの時の十秒フラット。ボルトは百メートルを四十一歩で走り、十メートルを走るのに一秒もかからないのだ。凄いことだ。一万メートルも迫力があった。なんと二十六分台でゲブレが優勝。五千のラップが日本記録より早いのだからたまげてしまう。日本勢の活躍の楽しみは、四百リレー、千六百リレーと男女のマラソンだけになった。

 明日から、総選挙。マスコミの党首にたいする共同会見では、すでに民主党に政権が移ったかのような質問が鳩山代表に集中していた。あるメディアでは、鳩山代表を「鳩左ブレ」と称していた。実に上手な表現である。


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縁日へ。

2009-08-18 08:41:25 | インポート

八月十六日(日)晴れ。

 朝食の後に、事務所へ。機関誌の印刷の最終段階である。夕方に、ようやく印刷が終了した。その後、丁合機にて頁揃へ。以前は、この丁合機が無かったので、頁を揃える作業を手で行なっていた。その作業に四、五時間もかかっていた。それが、わすか二十分程度で終わってしまうのだから、無理して購入して良かったと、しみじみ思っている。それでも、本にするのには、中折り、中綴じ、耳切り、の作業が残っている。この作業も、本来ならば丁合機と連動して自動で出来る機械があるのだが、百万超なので高嶺の花である。

 六時近くに帰宅。今日は、伊勢佐木町の子育て地蔵の縁日、通称「一六(イチロク)」である。この縁日が何時頃から始まったのか定かではないが、私が子供の頃には、母に連れられて良く行ったものだ。その頃は、屋台に電気など引いていなくて、カーバイトのランプが灯っていた。綿飴も足で踏んで機械を回し、良くそのマネをしたものだ。往時と比べて随分の屋台の数は少なくなったが、それでも子供達は喜んでいた。縁日の行なわれる場所は、伊勢佐木町の一番はずれとなる。伊勢佐木町は、関内よりの一丁目から、日の出町と交わるオデオンのあるところぐらいまでが賑わっている。そこを過ぎて黄金町寄りになるほど、人通りも少なくなる。下町で育った私は、その伊勢佐木町の「はずれ」に、子供の頃の原風景がある。

 縁日の行なわれる場所にあった「美音堂」というレコード店で、生まれて初めて買ったレコードが、「太陽がいっぱい」だった。幾つになっても、「一六」に来ると、フト、母に手を引かれた、浴衣姿の子供の頃の自分が、どこかにいるような気がしてならない。

 帰りに、家族で前里町四丁目にある「だんらん亭」という焼き鳥屋に寄った。ここのママさんたちも皆、同級生である。偶然に居合わせた客が、これまた幼馴染で、子供の頃の話で盛り上がった。正に「三丁目の夕日」の時代の頃である。


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