白雲去来

蜷川正大の日々是口実

日本青年社の新年会に出席。

2010-01-20 21:10:01 | インポート

一月十九日(火)晴れ。

 良い天気である。おまけに春の陽気だ。今日も、六時に起きて、朝食とお弁当の仕度。焼きそば、スパムと卵炒め、紅鮭、シュウマイ。家人と上の子供の弁当のおかずを詰めた残りが朝食のおかずとなる。

 八時になると、我が家には私一人。昨日、書いた原稿を読み返してみると、あまりにもやっつけ仕事なのに、反省し、ガァーッと書き直す。マアマアかな。昼食は、面倒なので、インスタント・ラーメンにした。

 今日は、山梨の石和温泉にて、日本青年社の新年会がある。バックに着替えやお泊りセットなどと一緒に、先程書いた原稿のゲラ、文庫本を入れて、保土ヶ谷駅へ。

 二時五十分の横須賀線で横浜へ。横浜駅で横浜線に乗り換えて八王子まで約五十分。三時五十三分着。本を読んでいると陽気が良いのに加えて、電車の揺れが加わって、眠くて仕方がなかった。八王子から四時四分発の「かいじ113号」に乗り換えて石和温泉へ。車中にて蒼龍会の小島会長とお会いした。甲府に近づくにつれ車窓から残りの雪が見える。五時五分に石和温泉駅着。新年会の会場となっているホテルには歩いて五分ほどである。

 大日本天誠団の内田春雄団長と同室であるが、風呂に行っているのか姿が見えない。大行社の会長が着いているとのことなので、部屋に挨拶に伺った。

 六時から宴会開始である。それにしても凄い人数で、いつもながら感心してしまう。私の隣は、犬塚哲爾先輩である。昨日は京都、今日は山梨と、相変わらずの東奔西走で、少々疲れている様子。八時半頃に、宴会が終了し、大行社の丸川本部長等と近くの居酒屋に流れたが、軽く飲んで後は部屋に戻った。民族派の同志の共通した話題は、民主党の小沢一郎の事ばかり。「あの野郎だけは、放っておけない」と言う意見が殆どだった。

 十二時前に、部屋に戻って寝たが、内田団長は、どこかのお座敷に呼ばれたのか、ベッドは空。イビキを気にせずに寝られるのでラッキーだった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大本営参謀でさえ流された。

2010-01-19 13:25:23 | インポート

一月十八日(月)晴れ。

 六時起床。寝ている家族を起こして、朝食の仕度。十二月の朝食は、パン食にしていたが、今月は、ご飯に戻した。一カ月おきに代えて行こうと思っている。

 朝、八時になると、我が家にいるのは私一人である。天気の良い日は、雨戸を全て開けて陽を一杯に入れる。有り難いことに我が陋屋は陽当たりだけは良い。元来の貧乏性ゆえか、部屋の中に陽が一杯に入ってくるだけで、何か得をしたような気持ちになる。

 アホ面した、お笑いばかり出ている最近のテレビは殆ど見ない。一人の時は、もっぱらラジオであるが、何かで貰ったトランジスターであるから、音質が良くない。そのうちに程度の良い物を買おうと思っている。良く、週刊誌の広告に出ているボーズのCDとラジオが聞けるものを欲しいと思っているが、チョット贅沢かもしれない。

 家事全般が済むと、のんびりコーヒーを飲む。お歳暮で頂いたものだが、一杯ずつお湯を落とすもので、味も香も大変良い。そこいらの喫茶店のものと遜色ない。午後からは、仕事の段取り。連載させて頂いている原稿の下準備や、機関誌「燃えよ祖国」や「大吼」の段取りである。疲れたら、読みかけの本を読んだり、事務所に資料を取りに行ったり・・・。

 満員電車に揺られて毎日、仕事に汗を流している人たちが聞いたら、殴られそうだ。しかし、その分、定期的な収入や、ボーナスどころか、将来の保証もないし、老いて朽ちるだけだ。無防備に人生のリスクに直面しているわけだ。それでも好きなことをしているのだから文句の言えた義理ではない。

 現在読んでいる「沈黙のファイル」の中に、大本営参謀の開戦直前の述懐が目に止まった。「あの時、正面切って戦争に反対できたかというと。、それはできなかった。家族を三人も四人も抱えて食べさせていかなければならない。上官が作戦を計画しろと言えばやらざるをえん。それに反対したらクビが飛ぶだけではなく自分の将来が駄目になった」。

 軍人のクセに、命を賭けてまで反対しなかったのか、と罵倒するのは簡単である。私は、その一文を読んだ時に、民主党大会における、国会議員の顔がダブった。現在の民主党において、絶大な権力を有する小沢一郎は、昨年の選挙で当選した、新米議員や若手議員の生殺与奪の権を握っている。

 その連中が、小沢に対して「辞任しろ」などとは、口が裂けても言えないし、言える訳がない。恨みを買って、次回の選挙で公認されなかったらどうする・・・。という思いが、大半の民主党議員の胸に去来したに違いあるまい。一人ぐらいは根性のある奴がいるかと思ったら、期待したほうが馬鹿だった。

 選挙に落ちたら、新人議員など、まともに生活して行く手段もない。ただの人以下だ。職を投げ打ってなどと思う議員の一人もいないのが、今の日本の悲しみでもある。別に死ぬわけでもないのに。

 かつての軍人でさえ、あのザマである。まして昨今の民主党の議員に限らず、親の七光り議員や、お坊ちゃま議員などが、国の為、などと思う訳がない。小沢を含めて、政治家は、国民の為とか、国の為を連呼するが、人の為と書いて「偽り」という字になることを、声なき声の大衆は知っているのだ。

 今や、政治家に「諌言」などという言葉は死語となってしまった。

 夜は、寒いので、久し振りに「おでん」にした。しょう油ベースの、いわゆる関東炊きである。これまた久し振りに燗酒を飲もうかと思ったが、生憎、燗酒にするような酒がない。最近は、吟醸酒ばかりで、良すぎて、飲む気がしない。仕方がないので、焼酎をお湯割にして飲んだ。我が道の兄であった、元楯の会の阿部勉さんの、

 われ死なば 火にはくべるな 栄川(えいせん)の二級に浸して 土に埋めよ

 との歌が沁みる。でも栄川は会津の酒ではなかったか。阿部さんは秋田生まれなのに。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貧困の政治 飛雪が罵りあふ

2010-01-17 22:29:59 | インポート

一月十七日(日)晴れ。

 いやはや目を覚まして時計を見たら、何と十時半。我ながら良く寝たものだ。そういえば、昨日の産経新聞の書評のコーナーに、鈴木邦男さんの「右翼は言論の敵か」(ちくま新書)が紹介されていた。書評を書いたのは、お世話になっている筑摩書房の編集長のA氏。以前にも私のブログで紹介したが、民族派運動とそれに関する人物などが分かりやすく書かれており、数多ある右翼関係の解説書の中でも白眉のものと思っている。私としては、野村先生のことについて書かれた「言葉を伝えるたたかい」がとても良かった。

 岐阜の細川先生からも、その本を紹介するメールが入った。

 久し振りに、日曜日に家族が揃ったので、天気も良いこともあり、「みなとみらい」の散策に出た。ランドマーク・タワーの中のレストランで昼食をとり、二時間ほど皆で散歩した。その後、伊勢佐木町の有隣堂に行き、本を二冊購入。「世界は俺が回している」(なかにし礼著・角川書店)。産経新聞に連載されていたものだが、角川から出るとは、出版に関する水面下での戦いがあるのだろうか。もう一冊は、「沈黙のファイル・瀬島龍三とは何だったのか」(共同通信社社会部編・新潮文庫)である。来週から出張が続いているので、のんびり電車の中で読もうと思っている。

 夕食は、子供達のリクエストに答えて「しゃぶしゃぶ」にした。と言っても牛肉ではなく、豚肉である。沖縄の友人から送って頂いた「アグー」という豚肉での「しゃぶしゃぶ」。最後は、夏の残りの素麺を入れて食べた。ちなみに今日は休肝日。

 新聞に、今回の小沢一郎の元秘書らの逮捕を、何をトチ狂ったのか、鈴木宗男が、検察の特捜を二・二六事件の青年将校に譬えてコメントしていた。まったく勉強不足と言おうか、無知というのか、純真無垢で国の将来を憂いて決起し、事志と違い刑死した青年将校と権力の象徴である検察と同一視するとは、素っ頓狂な野郎だ。自分が逮捕されたことに対する恨みもあるのだろうが、それはそれで「不徳の致すところ」と静かにしていれば大したものだが、まあそんな心境には程遠い人間なのだから仕方がない。

 酒を飲んでいない時は、布団に入るのが早い。今日行なわれた「都道府県対抗駅伝」の録画でも見ながら寝るとするか。

 貧困の政治 飛雪が罵りあふ

 とは野村先生の句である。

Img226 ※是非ご一読を。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川崎の「恋さん」にて新年会。

2010-01-17 21:49:40 | インポート

一月十六日(土)晴れ。

 上の子供の行なっている吹奏楽部の発表会があるとのことで、休みにも関わらず、朝早くから出掛けて行った。のんびりと朝食をとってから机に向かった。獄中にいる同志への寒中見舞いや、原稿依頼の葉書などを書く。

 今日は、元国防青年隊の倉持次雄さんの一周忌の集いが高円寺の居酒屋で行なわれ、当初出席の予定であったが、野村先生の門下生の新年会と重なってしまった。世話人の盛義一氏にはお花代と共にお詫びの手紙を出しておいた。

 四時に、志村馨、松本佳展の両君が来訪。まだ仕度ができていなかったので、待っていただき、五時過ぎに家を出た。六時に川崎の「恋さん」に到着。野村先生の奥様の手料理に舌鼓を打ちつつ、久し振りに会う一門の人たちと歓談。つい酒がすすみ十時近くまで。

 松本君に送ってもらい、関内の「サリーズバー」へ転戦。サリーパパやサリーの兄のしゅうちゃん達と歓談。再び松本君に迎えに来て貰い帰宅。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

対米自立は、小沢の怨念・・・。

2010-01-16 15:17:35 | インポート

一月十五日(金)晴れ。

 今日も六時に起床。布団から出るとすぐに暖房を入れるのが日課となった。「不毛地帯」で主人公が真冬のシベリアの収容所にて、伐採の仕事に従事させられる場面があるが、私も冬の網走の住吉農場と言う所で、一冬伐採の仕事をやらされたことがある。シベリアと網走では寒さが倍ほども違うし、防寒着や食事も天と地ほどの差があるだろう。それでも充分に寒かった。確か零下十五度か二十度近くまでに気温が下がると、作業が一時中止となり、焚き火をして暖をとらせてくれた。

 白樺の林を抜けて、伐採場まで歩いて行くのだが、腰の辺りまで積もった雪を人間ラッセル車のようになって、雪を掻き分けて道をつけて行く。現場に着けば、伐採する大木に「切込み」を入れた後に、チェンソー部隊が切って行く、その際には、周りで作業している同囚に「倒すぞぉー」「倒れるぞぉー」と大声を掛けて倒す。雪煙が上がり、地響きがして大木が倒れて行く、その迫力は、作業をしたものでなければ分からない。見とれていて、自分の方に倒れてきたなら、大怪我をしてしまう。だから、「声掛け」は大切なのだ。

 「不毛地帯」では、チェンソーではなく、鋸を引いていた。大変な労力だ。倒した木を「枝払い」するのも同じ。私達は、金太郎が担いでいるような「さって」というマサカリのようなもので「枝払い」をした。枝のとれた木を再び、チェンソー部隊が三・七メートルに「玉切り」にする。それを、私達が担いで集材場まで運ぶのだ。軽いもので三十キロ、幹の近くのものは五、六十キロほどもある。雪で足を滑らして転倒などしたなら、命にかかわる。

 行事などで、時折、札幌に行くが、飛行場から市内に向う高速の脇には白樺の林がある。いつも思うが、白樺の木は寒そうである。そして雪など降っていると、伐採作業をしていた頃を思い出す。朝起きて、暖房のスイッチを入れる度に、「こんな贅沢をして良いのだろうか」と、忸怩たるものがある。

 ニュースを見ていたら、小沢の元秘書が相次いで逮捕された。田中角栄の子分らしく、親方と同じ、金の作り方をする小沢の手法は、マスコミの間でも、いつかは、と囁かれていた。謀略史観などに与するわけではないが、小沢は、師である田中が、アメリカに頼らない石油資源の確保や、アメリカを飛び超えて、日中国交を恢復したために、アメリカにお灸を据えられ、政治生命を失ったことを、身近にいて最も知っている政治家である。

 対米自立は小沢の信念ではなく、怨念なのである。大勢の子分を連れての支那詣も、普天間もインド洋での海自の撤収も、その怨念ゆえと見れば、合点が行く。

 聞くところによれば、検察の「特捜」とは、戦後、GHQの指導で、旧財閥の隠し財産を摘発するために創設されたそうだ。ここにもアメリカの影がある。

 せめて小沢の対米自立に、尊皇の愛国精神があれば、国民は彼を見捨てまい。権威を尊ばず、権力にすがる者の末路は、洋の東西を問わず、こんなものである。

 夜は、何処にも出かけずに、読書を肴に少し飲んだ。先日、読了した「不毛地帯」の主人公の壱岐正の会社の社長、大門一三と小沢がダブって見えた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする