五月二十三日(日)雨。
雨の日は不思議と何時までも寝ていられる。目が覚めた時は十時を過ぎていた。私以外は皆起きていて、それぞれ好きなことをしていた。照れ隠しに、「飯だ、飯」を連呼して、何とか父親の威厳を保とうと思ったが、やっぱりベロンでした。
午前中に、家族と一緒に東戸塚のダイエーへ買い物に出かける。つまらないので、先日買った、「なか区歴史の散歩道」を持って行き、フードコートにて読了した。
私の友人で、かつてサイパンの免税店のすぐ横で、「日光軒」というラーメン屋さんを経営していたFさんがいる。やはりサイパンで、「蓮」という日本料理の店を経営しているSさんの紹介で親しくなったが、親しくなった矢先に、ご夫妻でサイパンから、バンコクへ移ってしまった。
サイパンは、日本航空が定期便を廃止してから、めっきりと日本人観光客が減ってしまい、最近では、韓国、中国、そしてロシアからの観光客が日本人を上まわるようになった。いくら何でも、韓国、中国、ロシアでは、日本のラーメン店や日本料理の店に足を運ばない。日本人の観光客が少なくなった分、昔からある日本人の経営する店が、次々と閉店したり、現地の人とオーナーチェンジをしている。ホテルも、韓国や中国の資本家に買収されている。
加えて、昨年から、アメリカへの入国審査が厳しくなり、中国人、ロシア人のビザも取りにくくなったと聞いている。ますますサイパンから観光客が少なくなってしまう。
日光軒のバンコク移転も、恐らく、そんな事情からだろうが、私は、ナショナル・フラッグである日本航空が定期便を廃止したり、たとえ、日本の飛行機会社がなくとも、日本人がサイパンに行かなくなるのは、かつてあの島で亡くなられた多くの軍人、軍属、民間人に対して失礼な行為であると思っている。まして両陛下が慰霊に訪れた島に対して。
良く、サイパンを訪れる若い日本人達が、バンザイクリフなどにある慰霊碑に何の興味も持たず、手を合わせることもせずに帰って行くことを嘆く人がいるが、私は、それでも良いと思っている。サイパンで亡くなられた方たちは、きっと、自分の子供や孫、愛する人たちに、戦争と言う悲惨な時代を体験させたくなかったに違いあるまい。平和な時代の訪れを信じ、祈って散華なされたのだと思う。あの澄んだ海や空の下で無邪気に遊ぶ若い人たちを、きっと天国から暖かい眼差しで見つめているのではあるまいか。
その若い人たちが悪いのではない。有色人種である日本人が、白色人種となぜ三年余にわたり死闘を演じたのか・・・。いつの日か、必ず理解する時が来る。その真の意味と意義を忌避してきた戦後の大人たちにこそ、その責任はあるのだ。
私は、中学、高校の修学旅行には、是非サイパンを選んで頂きたいと願っている。日本からわずか三時間余で着いてしまう南国の島。そのサイパンを、かつてなぜ日本人が死守しょうとしたのか。戦争を知らない世代であっても、戦跡の慰霊巡拝をすることによって、歴史の距離感があっという間に縮まる。そんな学校の一つもないことの方が、悲しむべきことではないのだろうか。
Fさんは、先日バンコクのタニヤという繁華街で、新しく日光軒を開店したが、例の黄シャツ隊のデモ騒動で、店を開けられずにいたことが、ブログで分かる。「不肖・宮嶋」氏のブログでは、あの黄シャツ隊の一部は、日当つきで、デモに参加しているから、中々解散しようとしない。とあった。まわりの商店街こそいい迷惑だ。
そのバンコクの騒擾で、面白いと言っては失礼だが、あのバリケードに突入した装甲車は、何と、ベニヤ張りだったというのだ。信じられない方は、是非、「いらっしゃいませ!サイパン日光軒」を検索してみてください。バンコクの生々しい写真が見れますぞ。
※この装甲車のベニヤ部分のアップが次の写真です。
※どーなってんだ、という感じですね。日光軒さん、有難うございます。