白雲去来

蜷川正大の日々是口実

楠公祭に出席。

2010-05-26 11:31:00 | インポート

五月二十五日(火)晴れ。

 朝から忙しかった。天気も良いのでウォーキングに出ようとも思ったが、連載させて頂いている原稿が遅れているので、部屋にこもって仕事をした。二時過ぎにようやく脱稿。メールで送って一安心。しかし、まだ一本書かなければならないし、「燃えよ祖国」の方も遅れている。「大吼」の締め切りも迫っているし、バタバタ、ドキドキの昨今である。

 二時過ぎから、郵便局に行ったり、事務所に資料を取りに行ったりしてようやく一日の仕事を終えた。四時に、松本佳展君来訪。六時から赤坂の乃木神社にて開催される「楠公祭」に出席の為に東京行き。五時半着。六時に開会。

 一時間ほどの神事の後に、会場を移して直会。会場は親しい同志らで一杯であった。献杯の音頭をとらさせて頂いた。久し振りにお会いする先輩、同志とつい杯がすすみ、終了時には、いささか酩酊してしまった。二次会の誘いを受けたが、失礼して横浜に戻ろうかと思ったら、「世界愛国者会議」とやらに出席してモスクワから帰国したばかりの木村三浩氏に拉致され、六本木の蕎麦屋での二次会となった。

 それでなくとも飲みすぎていた上、気心の知っている木村会長や中村武彦先生のご子息と一緒だったので、更に飲みすぎ、随分と乱暴狼藉な発言で御迷惑をかけたようだ。

 朝起きて、その時の記憶が甦ってきて、赤面、汗顔、しばらく天井を見つめつつ、木村会長にスマン、スマン、オスマンサンコンと心で詫びた。十二時前に帰宅。久し振りに大破・轟沈してしまった。


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ガンバレ・蓮舫!

2010-05-26 10:55:06 | インポート

五月二十四日(月)雨。

 正午から歯医者へ。私が通っている歯医者は、横浜のランドマーク・タワーのすぐ近くにあるので、とても便利である。治療が終わって時間がある時は、ランドマークの中にある書店やスーパーを回って暇をつぶす。本を買った時は、一階あるスタバで、お茶をしながら、のんびりと読書。そのまま一冊読み終えてしまうこともあり、ふと、つい一時間前に買ったばかりなので、本を返して、お金を返してもらおうかな、などと言うバカな考えが浮かぶことがある。しかし、良い本を、あっという間に読了してしまったことの後悔もある。美味しい食事を、空腹ゆえ、味わう暇もなくガァーッと食べてしまった時のような思いだ。

 今日は、そんな暇はないので、そのまま事務所へ。「大吼」の編集が中々すすまず、ほかの事に手がつけられずにいる。夕方まで、事務所で仕事をした。

 民主党の、事業仕分けが行なわれ、賛否両論、喧々囂々。私は、個人的には、事業仕分けに、いつも胸のすくような思いをして見ている。例えば、庶民の夢である宝くじが、あんなに低い配当だとは思わなかった。わずか四十五パーセントしか、還元していないのだ。残りの五十五パーセントが、あれほどいい加減なことに使われていることを知った時、あらためて、特殊法人といわれる合法的なサギ集団の手口に腹が立つ。

 たとえ、今回の公益法人に対する事業仕分けに、強制力がないといっても、そういった合法的なサギの手法が、白日の元にさらされたことは、とても意義のあることだと評価している。それをキチントするのは、政治家の責任でもあり、我々国民も、監視続けて行かなければならない。もし、事業仕分けが行なわなければ、未来永劫、そうしたインチキが続いてしまい、税金や庶民の金が、天下り官僚や、銀蝿のような連中に貪り続けられてしまう。

 長い単独政権で、特殊法人や、各省庁の利権に群がってズブズブの関係となった自民党の族議員共では、その膿を出せまい。今回の事業仕分けが、単なるパフォーマンスと揶揄されないために、事業仕分けのその後を監視する有識者のボランティアを組織したらどうかと思っている。

 個人的な趣味で恐縮ですが、私も、一度、蓮舫ちゃんに叱られてみたい。

 夜は、近所のオヤジ、オババたちとの毎月一度の飲み会を、自宅近くの「清水苑」にて開催した。適当に飲んで、適当に帰って来てから、レンタルした市川雷蔵主演の「陸軍中野学校・竜三号指令」を見て寝た。


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日本人は、サイパンにもっと行け!

2010-05-24 08:40:17 | インポート

五月二十三日(日)雨。

 雨の日は不思議と何時までも寝ていられる。目が覚めた時は十時を過ぎていた。私以外は皆起きていて、それぞれ好きなことをしていた。照れ隠しに、「飯だ、飯」を連呼して、何とか父親の威厳を保とうと思ったが、やっぱりベロンでした。

 午前中に、家族と一緒に東戸塚のダイエーへ買い物に出かける。つまらないので、先日買った、「なか区歴史の散歩道」を持って行き、フードコートにて読了した。

 私の友人で、かつてサイパンの免税店のすぐ横で、「日光軒」というラーメン屋さんを経営していたFさんがいる。やはりサイパンで、「蓮」という日本料理の店を経営しているSさんの紹介で親しくなったが、親しくなった矢先に、ご夫妻でサイパンから、バンコクへ移ってしまった。

 サイパンは、日本航空が定期便を廃止してから、めっきりと日本人観光客が減ってしまい、最近では、韓国、中国、そしてロシアからの観光客が日本人を上まわるようになった。いくら何でも、韓国、中国、ロシアでは、日本のラーメン店や日本料理の店に足を運ばない。日本人の観光客が少なくなった分、昔からある日本人の経営する店が、次々と閉店したり、現地の人とオーナーチェンジをしている。ホテルも、韓国や中国の資本家に買収されている。

 加えて、昨年から、アメリカへの入国審査が厳しくなり、中国人、ロシア人のビザも取りにくくなったと聞いている。ますますサイパンから観光客が少なくなってしまう。

 日光軒のバンコク移転も、恐らく、そんな事情からだろうが、私は、ナショナル・フラッグである日本航空が定期便を廃止したり、たとえ、日本の飛行機会社がなくとも、日本人がサイパンに行かなくなるのは、かつてあの島で亡くなられた多くの軍人、軍属、民間人に対して失礼な行為であると思っている。まして両陛下が慰霊に訪れた島に対して。

 良く、サイパンを訪れる若い日本人達が、バンザイクリフなどにある慰霊碑に何の興味も持たず、手を合わせることもせずに帰って行くことを嘆く人がいるが、私は、それでも良いと思っている。サイパンで亡くなられた方たちは、きっと、自分の子供や孫、愛する人たちに、戦争と言う悲惨な時代を体験させたくなかったに違いあるまい。平和な時代の訪れを信じ、祈って散華なされたのだと思う。あの澄んだ海や空の下で無邪気に遊ぶ若い人たちを、きっと天国から暖かい眼差しで見つめているのではあるまいか。

 その若い人たちが悪いのではない。有色人種である日本人が、白色人種となぜ三年余にわたり死闘を演じたのか・・・。いつの日か、必ず理解する時が来る。その真の意味と意義を忌避してきた戦後の大人たちにこそ、その責任はあるのだ。

 私は、中学、高校の修学旅行には、是非サイパンを選んで頂きたいと願っている。日本からわずか三時間余で着いてしまう南国の島。そのサイパンを、かつてなぜ日本人が死守しょうとしたのか。戦争を知らない世代であっても、戦跡の慰霊巡拝をすることによって、歴史の距離感があっという間に縮まる。そんな学校の一つもないことの方が、悲しむべきことではないのだろうか。

 Fさんは、先日バンコクのタニヤという繁華街で、新しく日光軒を開店したが、例の黄シャツ隊のデモ騒動で、店を開けられずにいたことが、ブログで分かる。「不肖・宮嶋」氏のブログでは、あの黄シャツ隊の一部は、日当つきで、デモに参加しているから、中々解散しようとしない。とあった。まわりの商店街こそいい迷惑だ。

 そのバンコクの騒擾で、面白いと言っては失礼だが、あのバリケードに突入した装甲車は、何と、ベニヤ張りだったというのだ。信じられない方は、是非、「いらっしゃいませ!サイパン日光軒」を検索してみてください。バンコクの生々しい写真が見れますぞ。

1 ※この装甲車のベニヤ部分のアップが次の写真です。

2 ※どーなってんだ、という感じですね。日光軒さん、有難うございます。

 

コメント (1)
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良い旅の本を買った。

2010-05-23 17:05:26 | インポート

五月二十二日(土)晴れ。

 今日も良い天気である。朝食後に、上の子供を連れて事務所へ資料を取りに行く。その帰りにせがまれて有隣堂へ。下の子供は、アウトドアー派で、全く本などに興味がないが、上は、暇さえあれば、「書店に連れて行って」とせがむ。連れて行くのは良いのだが、本の値段もバカにならない。お互いに二冊ずつ買ったら、一万円札がなくなるときもある。今日買った本は、日経PB社から出ている旅名人ブックスのシリーズの中の「上海歴史散歩」。二千二百円プラス税である。お金を払おうと思ってレジに並んでいたら、ちゃっかりと子供が、「はいお父さん」と二冊渡された。懐不如意の折に、上の子供との本屋行きは、嬉しいが恐怖でもある。

 夕方は、出かけていた下の子供を駅に迎に行くついでに、駅まで歩いた。ブツブツ言う子供を説得して、帰りも歩いた。週に二、三度は歩くようにしなければ。

 夜は、晩酌をしながら「上海歴史散歩」を読んだ。単なるガイドブックではなく、写真も説明も、もちろん上海の歴史の解説もしっかりしていて、大正解であった。今まで、様々なガイドブックを読んだが、この本が白眉ではないかと思った次第。先日、レンタルしたDVDで、戦記映画復刻版シリーズの中の「上海・支那事変後方記録」という記録映を見た。

 公開は昭和十三(一九三八)年で、前年に起きた第二次上海事変のその後を撮影したものである。映画は、海上から、上海の外灘(バンド)のビル群をパンしながら映し出すが、「上海歴史散歩」によると、さすがに川辺の景色は変ってしまったが、建物はその時代とほとんど変っていないそうだ。

 児玉先生の「児玉機関」や、阿片王として有名な、里見甫が率いていた「里見機関」などの事務所のあった「ピアスアパート」や、「ブロードウェイ・マンション」、「憲兵隊本部」などの建物も現存しているし、「上海ブルース」に歌われた「ガーデン・ブリッジ」もあるそうだ。いわゆるオールド・上海と呼ばれた街並は、近代化の波に飲み込まれようとしているが、日本人が住んでいた戦前の建物もまだかなり残っていると書いてあった。

 いつかは、そんな街並を眺めつつ、ディック・ミネの歌った「上海ブルース」でも口ずさみながら歩いてみたいものだ。

Img158 ※素晴らしい旅の本を読んでいると、本当に現地にいるような気持ちになるから不思議だ。

※興味ある方は、聞いてみて下さい。


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何となくバタバタした一日だった。

2010-05-23 15:55:55 | インポート

五月二十一日(金)晴れ。

 真夏を思わせる天気だ。朝からバタバタだった。ご恵送頂いた本を八十冊ほど郵送する準備に、ことのほか時間がかかってしまった。まず有隣堂へ行き、単行本を郵送する専用の封筒を探した。中にプチプチのついている物だ。あるにはあったのだが、かなり高い。悩んだ末に、A4の封筒を買った。もちろん本も二冊買った。

 帰宅してから、その封筒に社名を印刷したり、宛名を印刷したりで、全て終わったのが三時近く。ようやく郵便局に持って行った。郵便局の帰りに、藤巻強氏や彼のファミリーとバッタリ会った。そういえば、奥さんや娘さんが、南郵便局のすぐ裏で、「岩盤浴」のお店をやっていることを思い出した。以前聞いた話では、女性専用との事だったので、あまり気にはしていなかったが、最近、医療用の指圧も併設したと言うこと。お店に寄ってみれば、とても明るくて感じが良い。近々、チラシなどアップしてみたいと思っています。

 帰宅後は、九時まで仕事してから晩酌しながら ジョディ・フォスター主演の「フライトプラン」という映画をテレビで見た。良く出来た映画だが、何だかジョディによる、ジョディのためだけの映画、という感じがした。ストーリーも何か変だった。でもタダだから文句も言えまい。

 布団も敷かずにそのまま寝てしまい。気がつけば朝の四時。慌てて布団を敷き、再び惰眠をむさぼった。

Img157 ※いやー、こういった本は実に楽しいですね。


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