九月二十四日(金)曇りのち雨。国辱の日
午後から、病院で定期検査、終了後は歯医者と、全て終わったのが午後六時。六時半に友人と待ち合わせて、自宅近くの「徳よし」という寿司屋で一杯やる約束をしていたので、午後のニュースに接する機会がなかった。
寿司屋で、友人から信じられないことを聞いた。それは、日本が公務執行妨害で逮捕した、中国漁船の船長を、「処分保留」で釈放したと言うのだ。そんな馬鹿な。一瞬、冗談かと思った。腹が立って、酒が不味かった。こんなことが許されて良いのか。日本は法治国家ではないのか。自宅に戻ってからも、ニュースを見て、腹が立つやら、悔しいやらで、中々寝付かれなかった。
那覇地検の鈴木とかいう次席検事は、釈放理由を「日中関係への考慮」と語ったそうだ。検察に、政治的な判断をして、容疑者を保釈する権利などどこにあるのか。何が「秋霜烈日」の信念だ。笑わせんな、「あんこチョロナメ」、もしくは、「暖衣飽食」と、そのバッヂを改めなさい。
先の、郵便不正事件に関して大阪地検の特捜部主任の押収資料が改ざんされた問題で、世間の耳目を集めている最中にこれだ。那覇地検は「政治的な圧力はなかった」と言っているそうだが、そんなことを信じる者はいまい。「渡りに船」と、仙石の要求を呑んだに違いない。日本の政治家の殆どがゴミだが、検察までそれにたかる銀蝿のような存在であるとは、知らなかった。おい、銀蝿野郎共、かつて、この国に気骨のある人達がいたことを教えてやるから、居住まいを正して、読みなさい。
それは、今から百十九年前の、明治二十四年五月十一日、琵琶湖湖畔で、当時日本に外遊していたロシア皇太子・ニコライに、滋賀県巡査が突如斬りかかる殺人未遂事件が発生した。いわゆる「大津事件」である。東洋の新興国・日本の警官が、大国ロシアを相手に起こした事件は、日本と日本人を驚愕と混乱の渦の中に落とし込み、世界中が日本政府の対応に注目した。
伊藤博文をはじめ政府高官は、ロシアの報復を恐れ、犯人の津田三蔵を「死刑」にしようと動き出した。しかし当時の刑法にのっとると、殺人未遂では最高刑は「無期徒刑」だった。伊藤博文らは、ロシアに攻められ国が滅びては元も子もない、と裁判官らに圧力をかけて、死刑に持ち込もうとする。
しかし今の最高裁にあたる大審院の院長・児島惟謙(これかた)は、この政府の圧力に断固として対抗した。
児島は司法の独立を訴え、政府の懐柔を受けた裁判官を涙ながらに説得した。 事なかれ主義で原則を曲げようとする政府に抗して、司法 の独立を貫こうとした裁判官の活躍によって、日本が近代国家として世界に認められるようになる第一歩となったのである。
今回の、違法操業をした中国漁船の船長を逮捕したことと、明治に起きた「大津事件」と、どちらが我が国にとって深刻な出来事であったかは、一目瞭然ではないか。今回の中国人の逮捕のどこに違法性があるというのか。要は、気概の問題なのだ。
今後、中国は、ますます我が国への不当な要求をエスカレートさせるだろう。その時、民主党政府はどう対応するのか。そうか所詮は売国の政党だから、すすんで中国に国を売り渡すかもしれない。
忘れまい。九月二十四日が、「国辱の日」であることを。