白雲去来

蜷川正大の日々是口実

桜花、八紘一宇の八重一重。

2011-04-11 17:33:57 | インポート

四月十日(日)晴れ。

 良い天気である。早起きして、家族で家の掃除をした。十時過ぎに、子供達を車に待たせておいて、統一地方選挙の投票へ。震災の関係で立候補した人たちの顔や政策があまり分からず、誰に投票して良いのか直前まで迷ったが、やはり保守系候補しかないか。

 終了後は、この時期の恒例となっている桜の写真を撮りに出かけた。場所は近くを流れる大岡川である。いつの頃からは知らないが、弘明寺辺りから日の出町の先まで流れている大岡川の両岸に桜が植えられ、この時期になると桜見物の人で溢れるようになった。

 私が子供の頃は、大岡川に桜の木などなかったような気がする。当時は、川岸の木といえば柳だった。私の育った黄金町から日の出町の駅に続く川岸には、半分川に突き出たバラックの怪しい飲み屋がズラーッと並び、とても子供が近寄れるような場所ではなかった。それでも、そんな家から通う先輩や同級生がいて、休みの日などは、昼間に遊びに行って、大人たちの世界を垣間見る冒険をしたものだった。黒沢明監督の「天国と地獄」の舞台となった場所として全国に知られた街も現在は、そんな面影のかけらもない。

 私がいつも写真を撮る南区役所附近では、屋台が出て、一杯加減の人も多い。橋から次の橋まで一回りするだけだが、本当に桜がきれいだ。最近は、ここの桜の下で子供達の写真を撮るのが恒例となっている。川では、すぐ近くにある横浜商業(Y校)の生徒が川面に浮かんだ桜の花びらを掻き分けてカヌーの練習に汗を流していた。なにやら大きなミズスマシのようである。下の子供は、中学に上がったばかりなので、その制服に桜が良く似合う。

Dsc_0041 ※屋台が出ています。

Dsc_0029 ※日本桜の枝伸びて、花は亜細亜に乱れ咲く。意気で咲け桜花、八紘一宇の八重一重。(「桜進軍」)

 桜は、日本人の死生観、無常観を体現している。桜の下で、酒を飲ませるといえば、別に外人だろうが、喜んで飲むに違いあるまい。しかし、日本人がなぜ桜を愛し、桜を愛でながら酒を飲むのか。それは咲くことよりも散ることの儚さ、哀れさをに共感し、己の人生と重ね合わせるからである。これは外人さんには分からないだろう。

 今回の大震災で、日本人のマナーの良さに世界中から驚嘆する声が寄せられているが、そんなことは桜を愛する日本人には当然の事である。誉めてくれるのは嬉しいが、正直なところ「ナメンナヨ」と言った感じである。

 軍人もしかり、陸軍の徽章は桜、海軍は桜に錨。先の大戦で散華なされた方々は、皆、靖国の桜の下で会おうと誓い合ったのだ。

 夜は、愚妻がサリー姐さんの主宰する「てきとう会」に出席したので、留守番。慎ましく、ビール一本と、黒霧島を三杯飲んで寝た。


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野村門下生の打ち合わせ会。

2011-04-11 13:25:50 | インポート

四月九日(土)晴れ。

 早朝、五時半頃に目が覚めてしまい、仕方ないのでテレビでニュースを見ていた。笑止なことに中国が、日本からの魚介類の輸入を制限したとか。笑わしてはいけない。さんざん「毒入り餃子」を輸出しておいて、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいたのは、どこの国だったのか。彼の国の人たちが、そんなに神経質であったとは、初めて知った。それにしても笑止千万とはこのことだ。

 夜は、隠岐康氏が門前仲町で経営しているお店の二階を借りて、群青忌の実行委員会が開催され、志村馨君と共に出席。仕事先のイベントがあった松本佳展君は、現地集合。本来ならば、五月の後半に予定していた、第二次フイリピン慰霊祭を、今回の震災で中止した。また、秋に、野村先生の追悼本を出すことに決定。このデザインは、デザイナーのはが里枝さんに一任。近々、大まかな構成案を私が作ることになった。

 シャンペン好きな私のために隠岐氏が用意してくれたクリコのイエローラベルを、民革の会議のために少し遅れた大熊雄次氏が到着する前に、ペロッと空けてしまった。里枝女史にも一杯だけ注いだのみである。どうも好きな酒が目の前にあると意地汚くなってダメだ。シャンペンは、一番飲みやすいのが「グリュック」、次ぎが「クリコ」のイエロー、その次ぎが「モエ」である。一人で二本ぐらいは平気でいける。まあ最近は、泡物などで気取る場所には、とんとご無沙汰ですが。

 そう言えば、大熊氏に先日、うなぎの「尾花」に行った、と話したら、「ムムム、私は地元ですが、自分のお金では行った事がありません」と悔しがっていた。

 根本監督が、五月に演出する劇のパンフを頂き、時間がある人は観に行って頂きたいと確認。

 隠岐氏のお店は、「モツ焼き」の専門店。今日も、ハツ刺しや白センマイ、タンの柔らか煮などが絶品で、クリコの後は、これも好きな焼酎の「さつま島美人」で堪能した。酒よし、肴よし、メンバーよしで、中破・良飲。

 松本君に送って頂き、まっすぐ帰ろうかとも思ったが、ついホームグラウンドの関内方向回り道して、サリーの店へ転戦。サリーパパ、シューちゃん、横ちゃんなどの常連さんと一緒に一時間ほど。十一時過ぎに帰宅。

 


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歳のせいにはしたくはないが・・・。

2011-04-09 13:10:34 | インポート

四月八日(金)曇り。

 八時に目覚ましを掛けたが、久し振りの二日酔いである。しばらく酒を控えていたので、昨夜の大破・轟沈はさすがに体にこたえた。風呂にゆっくり浸かって仕度を整えた。九時に、隠岐氏とロビーで待ち合わせて朝食。風呂にのんびりと入ったせいか、二日酔いは消えていて、しっかりと朝食をとった。

 駅前で、京都タワーをバックに写真を撮った。十時四十一分の「のぞみ」に乗った。ぐつすり寝たはずなのに、気がつけば小田原を過ぎていた。新横浜で隠岐氏と別れて、帰宅。自宅に戻った後は、原稿のチェックなどしたが、また眠くなり昼寝した。歳のせいにはしたくはないが、疲れて仕方ない。

 夕方、帰って来た子供達に起こされた。下の子供が、姉とお揃いの制服を着ているのがほほえましい。夜は、青森の実家から送ってきた、牛蒡と人参で「キンピラ」を作り、更に、豚汁にした。缶ビールを二本飲んだら眠くなり、十時過ぎに寝てしまった。

Dscf3099 ※昨日、上七軒の歌舞練場にて。左は、祇園でスナック「サムライ」を経営している、役者の勝野賢三さん。花房先輩と私。


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京都へ。

2011-04-09 12:40:00 | インポート

四月七日(木)晴れ。

 今日は、道の兄である岐阜の花房東洋先輩のご招待で、京都行き。祇園と並んで京都では有名な花街の上七軒の舞妓、芸者衆による「北野をどり」が、上七軒歌舞練場にて開催されるので、隠岐康氏と共にご招待に与った。

 昼過ぎの新幹線にて京都行き。うとうとしている間に着いてしまう。京都へ来るのは随分と久しぶりの事である。最後に来たのは、まだ子供が生まれる前の事だから十七八年も前の事。初めて来たのは中学の修学旅行で、当時は、座席の硬い、夜行列車に乗って来たものだった。新しくなった京都駅に降りて、確か駅前に京都タワーがあったと思って、上を見れば、あった、あった。昭和四十九年ごろに、学純同の関西遊説の一員として、京都の駅頭で演説をしたことを思い出した。その時の写真の後ろに京都タワーのあるホテルが写っている。

S49710 ※宣伝車の上で、マイクを持っているのが、前田伏樹氏、隣が私。車のドアに手をかけているのが大場俊賢先生。分かりづらいが、車の後部でかがんで、何かしているのが長谷川光良氏である。もう三十年以上前の事だ。

S497 ※上の写真の同日、京都にて。左から、私、長谷川氏、前田氏(現学純同総裁)と。

 ホテルにチェックインしてから、上七軒に向う。タクシーの運転手さんの話では、大地震以来、京都から外国人の姿が消え、桜の季節だというのに、外国人はおろか日本人の観光客も少ないと嘆いていた。

 上七軒は、祇園よりも古い花街だそうだ。通りも中々風情があって良い。「北野をどり」が開催される歌舞練場に着くと、すでに花房先輩が、友人と共に待っていてくれた。この「北野をどり」は「京をどり」と並んで有名らしい。入り口には、黒紋付を着た芸者衆が受付を手伝っている。艶やかでいい。庭の満開の桜と、舞妓さんが競い合って、どちらも華やかである。

 「北野をどり」の第一幕は「元禄京紙衣(げんろくかみやつし)という演目。江戸時代の芸談集「役者論詰」に収められた歌舞伎役者・坂田藤十郎の逸話、不義の男を演じるために茶屋の女将に偽りの恋を仕掛ける、有名な「藤十郎の恋」を題材にしたもの。二部は、舞妓、芸者衆の「をどり」である。

Img570 ※「をどり」を演じた芸者衆。

Img571 ※舞妓と芸者さん。

 京都のお茶屋で芸者遊びなどしたこともないが、まあ目の保養になりました。約、二週間の公演で集った義捐金を今回の大震災の被災者の方に寄付をしたとのこと。

 終了後は、花房先輩のお世話で上七軒の小料理屋で一献。上七軒では最年長の芸者さんと、郡上八幡出身の舞妓さんが挨拶に来て酒席を共にした。

P1000118 ※舞妓さんです。

 その料理屋のあとは、怒涛の酒席。十二時まで、五軒をハシゴしたのには、さすがにマイッタ。へろへろでホテルに戻れば、また宮城で大きな地震があったと隠岐氏が知らせてくれた。前回は北海道で、今回は京都と、家を空けると地震が起きる。テレビをつけたまま寝てしまった。


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天草の鯛の調理法。

2011-04-09 11:42:49 | インポート

四月六日(水)晴れ。

 暖かい一日だった。九州は天草の地、本渡諏訪神社の宮司で、勤皇第一等の人、大野康孝兄より、立派な鯛が届いた。

P1000112 ※大野兄から送られた、二キロはある、天草産の鯛。

 実は、鯛というと誰もが刺身が美味い、と思うかもしれないが、実は、鯛の刺身は、淡白すぎて、関東人には合わないのだ。単に目出度いから「美味い」というイメージだけが先行していて、他の魚との盛合わせには良いが、鯛の刺身一品というのは、少々物足りない。

 私が、一番好きなのは、鯛の味噌漬けである。まず三枚におろしてから、少し大振りに切って、自家製の味噌につける。味噌は、みりん、酒、砂糖、出汁でのばし、タッパに入れて、そこに鯛の切り身を入れておく。もう少し、アッサリしたものを食べたい時は、鯛の切り身をガーゼに包んで味噌に漬ける。

 頭は、蒸しても良いが、私はカブト焼きが一番。今回は、以前にやはり大野兄から送って頂いた夏みかんの親戚の「デコポン」の皮を使ってみた。食べた後のデコポンの皮を捨てずに、中の薄皮をスプーンなどで取ってから、干す。水分が飛んでカラカラになったら、ミキサーで粉末にするのである。この粉末は、様々な料理に使えて重宝する。先日も、白菜漬けに入れたら、オレンジの香がして、たまらんかった。

 鯛のカブトに塩と一緒に、このデコポンの粉末も振りかけてから焼くと、香は良いし、味も良い。骨は、定番の「潮汁」が品が良い。こんな感じで楽しませて頂きました。

 今日で、病院から貰った胃の薬は最後。いやー、一週間辛かった。今日も、缶ビールを二本だけ飲んで早目に寝た。

 


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