五月二十六日(木)晴れ。
私が、運動に入った当初からお世話になった、菊水国防連合の小早川久之先生が昨日早朝に亡くなられたと、三田忠充会長より連絡があり愕然とする。
私は、昭和四十五年の、いわゆる三島・森田両烈士の自決事件に影響を受けて、民族派運動に入った。当時は、左翼の全盛期で、左翼にあらずば人にあらず、と言った風潮であった。三島事件の影響を受けて、何かせずにはいられないと日々思っているときに、偶然知り合ったのが小早川先生が当時主宰していたき菊水国防隊に所属しているEという人だった。その彼を通じて小早川先生に紹介され昭和四十七年に正式入隊をした。
当時は、小早川先生の実兄で大磯に本部を置き活発に活動していた大日本殉皇会の小早川貞夫先生が毎月湘南地方を中心に行っていた街頭活動に参加していた。お二人が全愛会議に加盟していたこともあり、私も全愛会議の元で、日教組大会の粉砕行動や地方遊説など様々な運動に参加した。
その後、縁あって野村先生の門下生になってからも小早川先生とのお付き合いは続いたが、この十年ほどは足を悪くなされ、ご一緒する機会もほとんどなくなってしまった。最後にお会いしたのは昨年の夏のこと。民族革新会議の諸先輩と一緒に小早川先生宅を訪問し、一献酌み交わしたのが、お別れとなってしまった。
いずれ、私の「燃えよ祖国」で、追悼特集を組んでみたいと思っている。尚、小早川先生のご葬儀は六月十二日(日)に横浜市泉区のベルホール三宝にて午後六時より行なわれる。