五月二十一日(土)晴れ。
朝から良い天気である。衣替えを兼ねて納戸の片づけを行った。貧乏性なので、物を捨てられない。それが災いして納戸は足の踏み場もない。まず二人の子供が小さかった頃の玩具や人形、ぬいぐるみなどを、子供の許可を得てゴミ袋に入れた。その数が半端ではなく、五袋もあった。その他、小さくなった洋服や幼稚園、小学校の頃の教科書など、ワンボックスカーで一回では運びきれないほどあった。
書店で平積みになっている本の中に、家の片づけをする方法として「断捨離」(だんしゃり)というものがあることを知った。断捨離(だんしゃり)とは、部屋の整理整頓と共に生活に調和をもたらそうとする、クラターコンサルタントやましたひでこ氏の提唱する生活術である。
その語源は、ヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。単なる片づけとは一線を引くという。
断=入ってくる要らない物を断つ
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる
しかし、私は、そういった心境には至らない。それは、「物」にも魂があると信じているからである。古くなった子供の玩具を捨てるときでも、今まで楽しませてもらったことに感謝し、手を合わせてから捨てることにしている。家具なども使っている時は、家族の一員だと思っている。先日も、社友の古谷喜久男氏が、十五年以上乗っていた車を廃車にするときに、家族がその車との別れを惜しんで涙ぐんでいた。と話していた。私も、その気持ちが良く分かる。
平成二年に、戦線に復帰した折に、亡くなった板垣哲雄君の紹介の電気屋で買ったテレビを、チデジに移行するので、新しいものに替えた。このテレビは、当りで、買ってから二十年以上も経っているのに画像も音も良く、買い換えるのが惜しかった。新しいテレビが来て、古いテレビが引き取られるときに、子供達は悲しそうな顔をしていたのが、印象的だった。
家も狭いので、片づけをせずにはいられないが、これからも感謝しつつ整理しようと思っている。
夜は、野村先生の一門会が、門前仲町の「日本再生酒場」にて行なわれ出席。気の置けない人たちとの酒席は楽しい。終了後は、お店の近くの、まるで昭和にタイムスリップしたような路地にある寿司屋で打ち上げ。松本佳展君に送って頂き帰宅。