白雲去来

蜷川正大の日々是口実

原点に帰らなければ。

2011-05-14 20:56:27 | インポート

五月十一日(水)曇り。

 私の悪い癖で、新聞記事の中に、原稿の資料にしようと思うものがあると、つい「後で」切り抜いておこうと、そのままにしてしまう。三日四日が過ぎ、そのまま忘れて二週間ぐらいが過ぎ、ハタと気がつき、慌てて探すが、いつの日の新聞だったか記憶にない。古新聞を入れてあるボックスから取り出して、山のようになった中から探すが、結局は見つからない。ひょっとすると、新聞ではなくて週刊誌だったか。と記憶も曖昧だ。

 ありがたいことに、贈呈される週刊誌は五誌。自宅では読みづらいグラビアの多いものは事務所に送って頂く。合わせると十誌にもなる。忙しいときは、読むのも大変である。読み終えてまとめてあるヒモを解いて、探すのだが、その内にイライラしてきて、結局やめてしまい、見つからずに終わってしまう。そんな記事に限って、原稿に必要で、そこで筆が止まってしまい後悔する。こんなことを幾度繰り返しただろうか。原点に帰らなければと反省をした次第。

 「大吼」の夏号と、「燃えよ祖国」の次号の編集に追われている。その間に、連載させて頂いている二本の原稿も書かなければならないし、プロの作家の脳みそと交換してもらいたいものだ。

 そんな訳で、真面目に生活しています。酒ですか・・・。もちろん控えて、ロックで二杯だけにしました。


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久し振りに関内へ。

2011-05-14 20:40:54 | インポート

五月十日(火)雨。

 雨の日は、憂鬱ではあるが、ある面でホツトする。それはウォーキングに出なくても良いからである。午前中に、かかりつけの病院から、精密検査を受けるようにと紹介状を渡された。まあ少し真面目にやろうかと思っている。

 今日は、私の母の命日。亡くなってから、丁度十年となる。仏壇の花を新しいものに替えて、手を合わせた。

 夜は、関内の某お店で、名前だけは真面目な私の会を開催した。最近は集まりが良く、楽しい酒席となっている。しかし、ここはぐっと我慢して、二三杯飲んで我慢した。集まる人たちのほとんどが、私と同年代の人たちばかり。おのずから病気自慢となるのがおかしい。関内へ出るのも久し振りだが、三月の大震災以降、どのお店もお客が少なく、苦戦しているとのこと。とは言っても、繰り出すだけの懐の準備もない。私の懐もメルトダウン状態である。

 元、炉端焼きの「花笠」の経営者であった、尼野保君が、このたび平塚で古民家を改造した素晴らしいお店を開店した。レセプションの時は、皆で忙しいだろうからと遠慮して、今月の十七日の火曜日に有志を募ってお祝いの食事会を催すことにした。その折には、お店の写真や場所、メニューなどをご紹介させて頂きます。

 その尼野君たちと、サリーの店に転戦したが、体調がすぐれずに途中で失礼した。

P1030985 ※尼野さんのお店に贈ったお花です。


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ため息交じりの一日だった。

2011-05-11 17:50:31 | インポート

五月九日(月)晴れ。

 まるで夏の盛りのような暑い一日だった。朝食後は、愚妻と共に社会保険事務所に行った。還暦となって、年金の受給対象となったという通知が来たので、オオッと期待を持って出かけた。年金と言ってもほとんどが国民年金で、厚生年金に入っていた時期は四年ほどしかない。野村先生がご存命の折に勤めていた二十一世紀書院で給料を貰っていた頃だけ。

 後はほとんど国民年金。こう見えても、支払いの通知が来れば、年金も市県民税も払ってきた。まあ最低の国民の義務は果してきたわけだ。受付で二時間も待たされて、ようやく自分の番が来た。数字にはからきし弱いので、愚妻に付き添ってもらい説明を聞いた。何と、受給額は年間三十万円。月に直せば、わずか二万五千円でしかない。五年後、すなわち私が六十五歳になると幾らかアップして貰えるらしい。

 それでも四十年も掛けた結果が二万五千円とは、ガッカリした。生活保護を受けている人の方が何倍も給付されるのならば、今後は、国民年金などはいる人はいなくなるに違いあるまい。

 今まで、国民から集めた年金を使って放埓な経営をしていた年金の役人の責任は一切問われずに、そのツケだけが国民に押し付けられる。今回の原発事故もそうだ。なぜ東電は全国にある保養施設を避難民に開放しないのか不思議でならない。鎌倉にある保養所など一山を使ったホテル以上の建物だ。そんなものはさっさと売却して保証金に当てるべきだ。電気料金の値上げなど言語道断ではないのか。

 愚妻と、帰路につき、あーあ疲れたとため息しかりの一日だった。


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「東京上空30秒」というDVDを見た。

2011-05-09 22:22:13 | インポート

五月八日(日)晴れ。

 良い天気である。朝食の後に、二日間歩いていなかったので、愚妻とウォーキングに出た。我が家から、京急井土ヶ谷まで歩き、さあどこまで行こうかと思って考えた結果、過日、弘明寺商店街で見つけた、「どやじ」という韓国の定食屋で昼飯をとろうと歩いた。ズンドウブ、チゲ定食、五百円也。中々旨かった。一休みした後に、再び歩いて、今日は、合計ニ時間のウォーキングとなった。

 まだ、ユッケ騒動が続いている。食中毒と言うものは、食品の鮮度とは全く関係がなく、細菌に原因があるということを始めて知った。まあ、それでも何十年と焼肉屋に行けば、ユッケやレバ刺しを食べていて、食中毒になったという話を余り聞かない。希に、生のレバーを食べてお腹をこわしたという話はあったが、死者までは出なかったと思う。いや、過去に死者が出たかもしれないが、昔は、焼肉屋の全国チェーン店などがなかったため、食中毒を起こしても、その店だけの責任で済んだが、全国展開の店では、今回のように被害が拡散する。自分の店だけが気をつければ良い、という時代ではなくなった。それでも、私は、焼肉屋へ行けば、ユッケやレバ刺しを食べると思う。もちろん二百八十円や百円の品物を売る焼肉屋には行かないが。

 夜は、相変わらず、糖質ゼロの缶ビールの小さいのを二本飲んだだけでやめた。ツタヤ・ディスカスで借りた、「東京上空三十秒」というDVDを見たが、これが中々良かった。内容は、先の大戦時に、アメリカの航空母艦・ホーネットから発進したB25ミッチェル爆撃機16機による日本本土初爆撃に参加した米軍大尉と同行記者、それぞれの手記を基にした1945年(昭和二十年)製作の戦争映画である。

 空母ホーネットから発艦するB-25や東京上空のミニチュアや特撮も素晴らしく、これが昭和二十年に製作された映画かと思うほど良く出来ている。当然、戦争中なのだから反日プロパガンダ映画なのだが、日本版のせいかも知れないが、それほど日本のことを悪しく描いていない。それでも笑えたのは、日本語の字幕の中で、空母から飛んだばかりの機内で、パイロットが「水圧も異常なし」というのには、ひっくり返りそうになった。私のような素人が見ても、「水圧」ではなく「油圧」だろう。

 何の映画だったか、日本人に扮した役者が駆逐艦の上で、たどたどしい日本語で、「右舵」というのも見たことがある。

 それでも、「東京上空三十秒」は、かなり楽しめた映画でした。

Photo_2

 


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生食用の肉が原則流通していないというのには驚いた。

2011-05-08 22:42:03 | インポート

五月七日(土)雨。

 雨だとウォーキングに出れないので残念。相変わらず胃の調子が悪いので、朝食はお粥にした。家にいても退屈なので、部活で学校に行っている上の子供を除いて、愚妻と下の子供とを連れて、横浜の港北区にある「ららぽーと」に出かけた。

 どこにあるのか分からずにあてずっぽうで行ったが、何とか辿りついた。まああんまり大きくて、何がどこにあるのか分からずに、ただウロウロしていた。愚妻と子供、それぞれ趣味も違うので、分かれて散策した。何と、「文教堂ホビー」という模型の専門店を見つけた。これほど大きい店は希ではないか。戦車や飛行機など輸入品も多く、目移りして困った。思わず、「Uボート」と「伊号」の潜水艦を買おうと思ったが、怒られるのはミエミエなので、次に一人で来た時に買おうと思った次第。

 模型マニアの隠岐康氏と不肖・宮嶋氏などが知ったら、飛んでくるに違いあるまい。先の大戦で使用された潜水艦と戦車を集めたいのだが、作っても置いておくスペースも無ければ、心の余裕もないので、大量に揃えるのは、そのうちにと思っている。

 帰宅しようと思ったら、盟友から連絡があって、横浜に来ているとのこと。早速待ち合わせて、自宅近くのすし屋「徳よし」にて夕食を兼ねて一献。

 共通の話題は、ユッケの食中毒の話。恐らく、日本人のほとんどが生食用の牛肉が出荷されていないということを知っている人はいないのではないか。私も、焼肉屋に行けば、平気でレバ刺しやユッケを食べていた。それが、本来はNGで、お店の判断に任せていたと言うのだからビックリ仰天。古い肉を食べて食中毒を起こすと単純に考えていたのが、間違いで、例え新しい肉であっても、食中毒を起こす菌は付着するというのだから、何とも怖い話ではないか。これからは、フグのように、生肉専門の調理師が誕生するかもしれない。

 愚妻と共に、盟友にご馳走になり帰宅した。


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