十一月十八日(火)晴れ。
朝食は、アジの干物に豆腐の味噌汁に「やまと」から頂いた白菜の漬物。実は、この白菜の漬物を食べるたびに子供の頃の記憶がよみがえってくる。母一人、子一人の生活で、私の家だけでなくまだ日本もそれほど豊ではなかった時代。朝食と言えば、一汁一菜が基本だった。稀にアジの干物が出たが、本当に稀だった。白菜の漬物の葉の部分にご飯を少し乗せて、くるっと巻いて食べた。母はこれを「白菜のり巻き」と言って良く作ってくれた。不思議と、それだけでご飯のお代りが出来た。私は、今でもこれが好きで、従って白菜の漬物は葉っぱの部分ばかりを食べてしまうのでいつも家族から顰蹙を買う。
近くに住んでいた親戚の家に行った時など、アジの干物を食べた後に、それをおわんに入れて醤油を少し垂らしてから熱々のお湯をかける。骨の周りに少し残っているものをお湯の中に落として飲む、いわゆる「骨スープ」と言われるものだが、富山の滑川の漁村で育った母は、絶対にこれをしなかった。家に帰ると、我が家の貧しさを棚に上げて、「貧しいねェ-」と嘆いていた。今朝のアジの干物の残ったものを見て、久しぶりに「骨スープ」をやってみようかとも思ったが、母に「よしなさい」と言われそうなのでやめた。
午前中に、テレビの速報で「健さん」として愛された高倉健が亡くなったとのテロップが流れた。偉大な映画スターと「死」というものがすぐに結びつかなくて、中々頭の整理がつかなかった。美空ひばり、石原裕次郎に高倉健。本当に昭和が遠ざかって行く。健さんの映画で好きな物は「幸せの黄色いハンカチ」と「網走番外地」のシリーズだ。どれも故郷?の映画だ。ご冥福を。
※写真は学生運動で紛争中の1968年東大駒場祭の折のポスター。コピーライターの橋本治の「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている 男東大どこへ行く」のコピーと健さんをイメージしたポスターが当時話題になった。写真は町田仁志氏のサイトより拝借。
朝食は、アジの干物に豆腐の味噌汁に「やまと」から頂いた白菜の漬物。実は、この白菜の漬物を食べるたびに子供の頃の記憶がよみがえってくる。母一人、子一人の生活で、私の家だけでなくまだ日本もそれほど豊ではなかった時代。朝食と言えば、一汁一菜が基本だった。稀にアジの干物が出たが、本当に稀だった。白菜の漬物の葉の部分にご飯を少し乗せて、くるっと巻いて食べた。母はこれを「白菜のり巻き」と言って良く作ってくれた。不思議と、それだけでご飯のお代りが出来た。私は、今でもこれが好きで、従って白菜の漬物は葉っぱの部分ばかりを食べてしまうのでいつも家族から顰蹙を買う。
近くに住んでいた親戚の家に行った時など、アジの干物を食べた後に、それをおわんに入れて醤油を少し垂らしてから熱々のお湯をかける。骨の周りに少し残っているものをお湯の中に落として飲む、いわゆる「骨スープ」と言われるものだが、富山の滑川の漁村で育った母は、絶対にこれをしなかった。家に帰ると、我が家の貧しさを棚に上げて、「貧しいねェ-」と嘆いていた。今朝のアジの干物の残ったものを見て、久しぶりに「骨スープ」をやってみようかとも思ったが、母に「よしなさい」と言われそうなのでやめた。
午前中に、テレビの速報で「健さん」として愛された高倉健が亡くなったとのテロップが流れた。偉大な映画スターと「死」というものがすぐに結びつかなくて、中々頭の整理がつかなかった。美空ひばり、石原裕次郎に高倉健。本当に昭和が遠ざかって行く。健さんの映画で好きな物は「幸せの黄色いハンカチ」と「網走番外地」のシリーズだ。どれも故郷?の映画だ。ご冥福を。
※写真は学生運動で紛争中の1968年東大駒場祭の折のポスター。コピーライターの橋本治の「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている 男東大どこへ行く」のコピーと健さんをイメージしたポスターが当時話題になった。写真は町田仁志氏のサイトより拝借。