白雲去来

蜷川正大の日々是口実

健さん死す。

2014-11-26 11:16:10 | 日記
十一月十八日(火)晴れ。

朝食は、アジの干物に豆腐の味噌汁に「やまと」から頂いた白菜の漬物。実は、この白菜の漬物を食べるたびに子供の頃の記憶がよみがえってくる。母一人、子一人の生活で、私の家だけでなくまだ日本もそれほど豊ではなかった時代。朝食と言えば、一汁一菜が基本だった。稀にアジの干物が出たが、本当に稀だった。白菜の漬物の葉の部分にご飯を少し乗せて、くるっと巻いて食べた。母はこれを「白菜のり巻き」と言って良く作ってくれた。不思議と、それだけでご飯のお代りが出来た。私は、今でもこれが好きで、従って白菜の漬物は葉っぱの部分ばかりを食べてしまうのでいつも家族から顰蹙を買う。

近くに住んでいた親戚の家に行った時など、アジの干物を食べた後に、それをおわんに入れて醤油を少し垂らしてから熱々のお湯をかける。骨の周りに少し残っているものをお湯の中に落として飲む、いわゆる「骨スープ」と言われるものだが、富山の滑川の漁村で育った母は、絶対にこれをしなかった。家に帰ると、我が家の貧しさを棚に上げて、「貧しいねェ-」と嘆いていた。今朝のアジの干物の残ったものを見て、久しぶりに「骨スープ」をやってみようかとも思ったが、母に「よしなさい」と言われそうなのでやめた。

午前中に、テレビの速報で「健さん」として愛された高倉健が亡くなったとのテロップが流れた。偉大な映画スターと「死」というものがすぐに結びつかなくて、中々頭の整理がつかなかった。美空ひばり、石原裕次郎に高倉健。本当に昭和が遠ざかって行く。健さんの映画で好きな物は「幸せの黄色いハンカチ」と「網走番外地」のシリーズだ。どれも故郷?の映画だ。ご冥福を。

※写真は学生運動で紛争中の1968年東大駒場祭の折のポスター。コピーライターの橋本治の「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている 男東大どこへ行く」のコピーと健さんをイメージしたポスターが当時話題になった。写真は町田仁志氏のサイトより拝借。

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「燃えよ祖国」第207号が完成。

2014-11-22 16:08:47 | 日記
十一月十七日(月)曇。

朝から大忙し。昨日に機関誌の発送をするつもりがちょっと一杯のつもりで飲んで・・・。結局新橋まで足を延ばしてしまった。帰宅したら当然、風呂に入って後爆睡。これじゃ身体に良いわけないね。分かっちゃいるけどやめられない。と天を仰いで嘆息する。

当然そのツケは私一人にかかってくる。購読料を頂いた読者にお礼の手紙を書いたり、「読者プレゼント」のCDを同封したりと、すべて終わったのが二時過ぎ。しかしながら「燃えよ祖国」の第二〇七号の発送が終了した。新しい機関誌が完成するたびに思うことだが、我が子が誕生したように嬉しい。これは編集に携わった者にしか分からない物だろう。

常日頃よりご支援を頂いてる読者の皆様に衷心より厚く御礼を申し上げます。今後ともご指導とご支援の程を宜しくお願い致します。

※写真は「燃えよ祖国」第207号・ご連絡を頂けましたなら見本誌(千円)をお送り致します。

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「安記」から新橋へ。

2014-11-22 15:01:38 | 日記
十一月十六日(日)晴れ。

朝九時、横浜に泊まった雪田顕正氏と伊勢佐木町で合流。中華街の「安記」へ朝粥を食べに行く。雪田氏を関帝廟へ案内して記念写真を撮った。九時半過ぎに着いたが何とお店は満卓。れれれのれ。仕方がないので十分ほど待ってから入店。お客さんが横浜に泊まった時は、ここで朝食とお別れの杯を挙げるのが定番となっている。

このお店に入ると、何を食べているかで地元の人か、観光客なのかがすぐに分かる。常連さんはお粥の前に「モツ皿」か焼売を注文している。まだ朝だからと軽くビールにしたが、つい調子に乗って「紹興酒」を一本空けた。このまま雪田さんを関内駅まで送ろうと思ったが、松本佳展君から連絡があって、栃木の人見仁氏が新橋の駅前で街頭演説を行うということなので、揃って激励に行くことになった。

その昔は、私も街頭に立って演説をしたものだが、そういった運動から離れて久しい。一時半に演説が始まったが、栃木弁で中々味があってよい。もちろん内容もだ。街頭演説と言えば、亡くなられた元防共挺身隊の横山武彦氏と故浅沼美知雄先生の名人級の演説が好きだった。現在は長谷川光良氏が浅沼節を受け継いでいる。

終了後に、O氏のお誘いで駅近くの寿司屋に入ったが、この二十年くらいで入った寿司屋の中で最低だった。「解散」という天の声を無視するとろくなことがない。夕方に帰宅。
写真は、新橋にて雪田氏を囲んで。

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講演会に出席。

2014-11-21 10:39:26 | 日記
十一月十五日(土)晴れ。

三時過ぎまで事務所で仕事。書棚の本を入れ替えたために、何処に何があるのかさっぱり分からん。結局探し物をするのにかなり時間がかかって一日の大半がそんなことで終わってしまう。自業自得になのだから仕方がないか。

今日は、民族革新会議が主催する「戦後七十年を迎える祖国 われらに課せられた使命」という講演会が江東区にて開催されるので出席。会場で、野村一門の志村馨氏や松本佳展氏、大熊雄次氏らが会場整理の任についていた。七時開演、第一部は、基調講演。民族革新会議議長の犬塚博英氏が「愛国維新運動の本質的原理」と題して意見を述べた。第二部はパネルディスカッション。登壇したのは 大原康男先生(國學院大學名誉教授)藤井厳喜先生(国際問題アナリスト)山田惠久先生(國民新聞編集兼発行人)犬塚博英(民族革新会議議長)。テーマは「あらためて問う『天皇・神道・憲法』/国際関係における民族派のあるべき姿/わが内なる敵との戦い」。司会は大行社の丸川仁氏が担当した。熱のこもった、そしてとても意義のあるディスカッションだった。

終了後は松本佳展氏に送って頂き、札幌から来訪した、雪田顕正氏と横浜へ。雪田氏と「やまと」にて反省会。

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美人の酌で酔うも良し。

2014-11-21 10:02:00 | 日記
十一月十四日(金)晴れ。

午前中に床屋へ。随分昔のことだが、男が美容院へ行く、ということを聞いて驚いたことがあった。その頃も別段驚くことではなかったらしいが、私は驚いたのである。ずっーと昔から美容院へ行くのは女で、男は床屋へ行くものと言う固定観念が私にはあった。あー嫌だ、嫌だと思っても、それが世の中の流れと言われたら仕方がない。まあどうでもいい話ですがね。

今日は、久しぶりに「不肖・宮嶋」ことカメラマンの宮嶋茂樹氏との会食がある。お世話になっているO氏と航空自衛隊出身で銀座の現役ママさんと六本木のアマンドの前で待ち合わせをした。O氏いわく、「六本木のアマンド前での待ち合わせなど、銀座の日航ホテル前で待ち合わせをするぐらいに恥ずかしい」。まあヨコハマの田舎者ですから、六本木での待ち合わせと言えば、私のような素人にはアマンドしか頭に浮かばない。それでも個人的に六本木へ出るなんて久しぶりのこと。あーあ赤坂に事務所があった頃が懐かしい。

まず、その昔、横浜の伊勢佐木町にあった寿司屋の「藤松」が、六本木に店を出した。そのことは聞いていたが、世の中と比例して私の景気も悪くなって、横浜から寿司を食べにわざわざ六本木へ行く、という懐具合ではなくなった。そんな訳で、もう何年もオヤジの顔を見ていないので、思い出して予約を入れた。場所は六本木と言うよりも麻布か。和田アキ子が経営しているという「和田屋」のある同じビルで営業をしている。オヤジも板前も私も、「おおっ!」。寿司も肴も変わらず嬉しかった。しばらく飲んでから銀座に転戦。

六本木で食事してから銀座かぁー。笑われそうだが「バブリー」だなぁー。浪人の身としては盆と正月が一度に来たようだ。美人の酌で酔うも良し。今宵は今宵、何かある。男は明日に生きるもの、いざ我が友よ、まず一献。と調子に乗ってもう一軒。不肖のセンセイを囲んで楽しい酒席でした>>※写真は、宮嶋氏と。平成五年八月。カサブランカにて。

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