白雲去来

蜷川正大の日々是口実

連朝債(れんちょう、さい)を避けて行く処無し。

2014-11-18 14:08:20 | 日記
十一月十三日(木)晴れ。

客と為って帰り来たり歳又除く 一楼の風日(ふうじつ)乱堆(らんたい)の書 連朝債(れんちょうさい)を避けて行く処無し 坐して残編(ざんぺん)を擁して蠧魚(とぎょ)に埋もれん。

支那の詩人のものだが、浪人が迎える歳末にはふさわしい詩で好きな物だ。「旅から故郷に帰って来たら年末になってしまった。風が吹き抜け、太陽が降り注ぎ、書物が乱雑にうず高く積まれている部屋がある。(一楼の風日は、部屋の中に冷たい風が吹き込み、日の光が差し込むのだから貧乏暮らしを詠んでいる)毎朝借金取りを避けているので、何処にも出かけられないでいる。仕方がないので部屋にこもって書物の虫になろうと思っている」。年末は、行事が多くて不如意の身としては辛い日々が続く。

大切な書や書籍が浮世の義理の金や酒代に消えて行く。まあこうして生きているだけでも優良企業と思わなければダメか。夜は、秋刀魚を「から揚げ(竜田揚げではなく)」や「蒲焼」にして酔狂亭で月下独酌。山本一力の「ジョン・マン」の「望郷編」を読了する。 

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霜の夜を思い切ったる門出かな。

2014-11-15 09:36:02 | 日記
十一月十二日(水)曇り。

朝食は、サバの文化干しに大根おろし添え、船納豆に汁物は「赤いキツネ」の小カップ。私は、ご飯は朝食の時一回だけ。昼は、日本蕎麦とかなるべく軽いものですませ、夜は、刺身やサラダ類。といったメニューをもう十年近く続けている。夜に会合や食事会などがある時は、なるべ昼食はとらない。まあそれが良いのか悪いのか分からないが、一日の摂取カロリーを考えての食事にしている。

食後に出かけようかとも思ったが、上の子供が熱を出して学校を休んだので、出かけずに家にいた。そんな訳で、昼食は、消化の良いものと「稲庭うどん」。そして夕食は「お粥」を作ってあげた。この子の小さい頃、熱を出しても、タオルを額に乗せるのをとても嫌がった。仕方がないので、枕元に洗面器を置いて、私の手を冷やして、額に当ててやると安心して眠った。しかしこちらは何時間も左右の手を交代に冷たい水につけて看病するのだから、結構しんどかった。さすがに今はそんなことをすることもなくなったが、熱を出して辛そうにしている子供を見ると、小さかった頃にしてあげたことを思い出す。

昭和二十一年の五月にはじまり、二年有余の審理を続けた極東軍事裁判、いわゆる東京裁判において東條英樹らA級の戦争指導者七名に死刑判決が出たのが昭和二十三年今日。その殉国七士の一人である陸軍中将、武藤 章の辞世は「霜の夜を思い切ったる門出かな」。東條らの死刑の執行は、その年の十二月二十三日、すなわち当時の皇太子殿下(現、天皇陛下)のお誕生日に合わせたのである。その人たちの遺骸は、私が通った小学校のすぐ近くにある久保山火葬場にて荼毘に付された。民主主義国家などと言うが、アメリカの仕打ちは、有色人種に対する蔑視そのものである。

また関東軍参謀、陸軍大将、板垣征四郎の辞世は、「なつかしき中国人よいまもなお東亜のほかに東亜あるべき」。誰かこの辞世を習近平にとどけておくれ。

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朋、遠方より来たり。

2014-11-14 08:40:13 | 日記
十一月十一日(火)曇。
写真は、サイパンでの定宿のホテル・ハファダイ。※クリックすると拡大します。

たいして飲んではいないのに、二日酔い。それも家飲みでだ。情けない。歳はとりたくないものだ。二日酔いの体に鞭打って、みなとみらいへ。ランドマークの中にあるクリニックへ脳のMRIの検査を受けに行く。七月の初めにどうも体調が悪いのでかかりつけの病院へ行ったら、すぐに脳ドックを紹介された。結果、軽い脳梗塞の傾向がある、というので安静と薬での治療を開始した。次の三か月後の検査で再度様子を見ることになった。

それで今日の検査。結果は、「症状が進行していないので、これまで通り薬での治療を続けましょう」。一安心である。心配して頂いた皆さんに感謝申し上げます。

夜は、月に一度の名前だけ真面目な「蜷川政経懇」を同級生が経営する野毛の「弥平」にて開催。タイミング良く、サイパンから友人のS氏が来日しているので、S氏を囲んでの一献会となった。十年以上毎年のように行っていたサイパンに最後に行ったのは六年前。亡くなられた清水常二さんと彼の娘さんと一緒に行った平成二十年のこと。以後は、子供たちの進学や部活、塾などがあって中々家族揃って行く機会がない。

S氏曰く、JALがサイパン便を廃止してから、すっかり日本人の観光客が少なくなって、結果、日本人の経営するホテルやお店がほとんどなくなってしまった。最近のお客は、中国、韓国、ロシアの人たちばかりでさみしい限りであると言っていた。私が最後に行った六年前も、マニャガハ島という所に行くと、そこのレストランには日本人好みのハンバーグなどもあって、子供たちも楽しみにしていたのだが、それがなくなって、代わりに「ピピンバ」がメニューにあった。これを見てもここを訪れる人たちのお国が分かると言うものだ。

サイパンは、先の大戦において日本軍が玉砕した島である。その島に行く日本の飛行機がないというのは、日本の企業として意識が低いのではないか。確かに採算は大切だ。だからこそもっと観光をアピールして日本人が沢山行くようにすれば良い。日本からわずか三時間。ここに学生の合宿所や夏季セミナーの場所を作ったりしたら良いのではと思う次第である。バンザイクリフにある忠魂碑とその周りの遊歩道も、我々の同志が建立、整備した物で、何度か慰霊祭を行ったこともある。S氏と思い出話を肴にしたたか飲んだ。終了後は関内に転戦。十二時近くに解散。



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真面目に原稿書き。

2014-11-13 18:23:50 | 日記
十一月十日(月)晴れ。一の酉。

朝食は、昔ながらのナポリタン。玉ねぎと魚ニソとスパゲティーをケチャップで炒めるのだが、私は、これは「おかず」として食べる。これに目玉焼きを添えて、汁物は、小さめなカップのワンタンスープ。最高だなぁー。

食後は、みなとみらいの書店に行くが、お目当ての本は在庫切れとのこと。成城石井とやらで晩酌の肴、生ハムを買って帰宅。今日が締め切りの原稿に向かう。いつもなら月の初めに入稿するのだが、どうも最近は調子が悪い。二日酔いを言い訳にこの二、三ヶ月は締め切りのギリギリに入稿する。

一息ついた所に、友人が昼食の差し入れを持って来訪。一時間ほど談笑。今日は、一の酉で、誘われたのだが、そんな気分ではなくおとなしく自宅にいた。

夜は、牛筋の煮物を作ったが、あっという間に売れた。今度はもう少し多めに作ろうと思う。「黒霧島」が切れたので「かねきょうかんろ」という焼酎を飲む。二十度ということもあってロックで飲んだら、あらら飲み過ぎてしまった。

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先輩の偲ぶ会に出席。

2014-11-13 18:08:56 | 日記
十一月九日(日)晴れ。

午前中は事務所にて仕事。すっ飛びで帰って着替えをして東京へ。今日は、靖国会館にて去る八月の二十日に亡くなられた、蒼龍会の故小島石根会長の偲ぶ会が行われる。大熊雄次氏と待ち合わせて会場へ。出席なされている方のほとんどを知っているので和やかな会となった。小島会長の遺影に菊を捧げて、在りし日の小島会長を偲んだ。

終了後は、大熊氏と友人二人の四人で、アメ横の「新東洋」へ。途中、大熊商会を手伝っている松本佳展君の奥さんの小枝さんとも合流して楽しい酒席となった。遅くならないうちに帰宅。ヘロヘロになった。

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