白雲去来

蜷川正大の日々是口実

山頭火の「酒に関する覚書」。

2015-11-07 17:08:38 | 日記
十一月五日(月)晴れ。

仕事をしている訳でもないのに、なぜか月曜日が嫌いである。週の初めなのでビシッとしなければならないのだが、別段一週間にこれと言った目的もないので、週の始まりと言うのにどうも気合が入らない。真面目に働いている人たちに平身低頭である。

今読んでいるのが古書店で見つけた『山頭火の宿―そして酒と水』(大山澄太著・彌生書房)という本である。面白いのでチビリチビリと時間をかけて読んでいる。その中に山頭火が自ら書いた「酒の覚書」と言うものがあった。酒にだらしのなかった彼が、意を決して書いたものだが、その誓いを書いては破り、破ればまた書くと言うような「酒癖」であったようだ。その「覚書」とは、

 酒に関する覚書 
酒は目的意識的に飲んではならない、酔は自然発生的でなければならない。
酔ふことは飲むことの結果であるが、いひかへれば、飲むことは酔ふことの原因であるが、酔ふことが飲むことの目的であってはならない。
何物をも酒に代へて悔いることのない人が酒徒である。
求むるところなくして酒に遊ぶ、これを酒仙といふ。
悠然として山を観る、悠然として酒を味ふ、悠然として生死を明らめるのである。

うーん、めんどくせぇなぁー。酒を飲むのに理屈っぽいなぁー。T転社のF社長を見れば一目瞭然、理屈などいらない。酔って迷惑をかけようが、お店で何をしようが、とどのつまりは「でもいい奴だよ」で終わってしまう。これでいいのだ。そんな訳で、週の初めに、改まって酔狂亭で月下独酌。

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しぐるるや人の情けに涙ぐむ。

2015-11-06 18:47:36 | 日記
十一月四日(水)晴れ。

以前からお世話になっていた「鎌倉の御大」のご子息と言う人から「父は二月に急逝いたしました」という葉書きを頂いた。先月まで関誌を送り続けていた。知らぬこととはいえ、亡くなられた方の名前で郵便物が届くのだから、ご家族はさぞ不快だったに違いあるまい。その方のことを思い出して手を合わせ静かに詫びた。

以前、やはりお世話になっていた方の会社を訪問した時に、「蜷川君。君たち浪人は余り長生きすると大変だよ」と言われた。その理由は、「君たちを応援しているのは、私を含めて、君よりも年上の人が多いと思う。あと何年かすれば、その人たちは引退するか、亡くなってしまう。そうなると、後を継いだ若い社長は、きっと君たちを応援しないよ」。言われて、ドキッとした。正にその通りだからである。そう私に諭してくれた方も何年か前に引退した。そして先日の、訃報を知らせる葉書きである。

貧乏しながら苦労して小説を書き続けた樋口一葉は、二十四歳と言う若さで亡くなった。その金に縁遠かった一葉が皮肉なことに五千円札に描かれている。嵐山光三郎センセイは、『週刊朝日』のコラム「コンセント抜いたか」の中で、「五千円札を使うたびに『一葉二十四歳』という年齢が胸に迫る」と書いている。

野村先生は、生前良く私に「蜷川。お前は大きな花を夢見るよりも、小さな実を食べて生きろ」と仰っていた。さらに「真面目に運動していれば、必ず応援してくれる人が出てくる。そう言う人がいなかったなら、世を嘆くよりも、自身の不明を反省しなさい」と。この歳まで、生きてこられたのも、先生の言葉通りに「小さな実を」を食べて来たからで、応援して頂いている社友に感謝している。

雨など降ってはいないが、ふと山頭火の「しぐるるや人の情けに涙ぐむ」が浮かんだ。

鮮魚店にて、カツオのタタキが目に入ったので、思案ろっぽうのすえ、買った。玉ねぎをスライスし、高知の先生を思い出しながら生のニンニクをスライスしてポン酢で食べた。カツオには芋焼酎が良く合う。

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明治節。

2015-11-05 10:47:03 | 日記
十一月三日(火)晴れ。明治節。

明治節なり。起床後、玄関に国旗を掲揚し、明治神宮を遥拝。「最後の特攻」で知られる宇垣纏中将がラバウルで詠んだと言う句が、「菊を見ぬ 明治節なり大東亜」。宇垣中将の陣中日記『戦藻録』を読んでみるか。

久しぶりに家族揃ってのんびりと朝食。メニューは、「サバの文化干し」に昨夜の鍋の残り。良い天気である。何度も書いたが、朝起きて天気が良いと、それだけで何か得をしたような気持ちになる。特に休日、それも家族が元気で、朝食の準備が出来ている。あーあしばし貧乏を忘れるなぁー。

今日は、藤棚商店街と言う所のお祭りがある。サリーファミリーやお世話になっている「天狗会」の会長さんたちも来るとのことで顔を出そうかとも思ったが、経理の仕事や群青忌の写真の整理の仕事が溜まっているので、残念ながら欠席した。

午前中に、子供たちを連れて「みなとみらい」にある「ニトリ」へ。枕が古くなったので新しい物が欲しいということで連れて行った。私は枕を買うのならば、布団屋さんの方が良いと言ったのだが、ピンとこないらしい。私は、どうも「ニトリ」などの大型店舗が好きではない。理由はつい余計な買い物をしてしまうからである。買わなければ良い。という人もいるだろうが、値段も安いし、「ついでに」と買ってしまう。無駄遣い、と言うほどの金額ではないのがミソだ。

帰宅後は、ずっーとPCに向かって仕事。夜は、「業務スーパー』と言うお店で買った韓国製の「こんぶ」を絨毯のように贅沢に敷きつめた上に豆腐を載せた「湯豆腐」。これが美味い。最も安物の醤油ではだめだが。それにレタスのナムル、イワシの蒲焼を肴に月下独酌。

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歳と共に食の好みも変わって当たり前。

2015-11-04 18:35:47 | 日記
十一月二日(月)雨。

貧乏をしている身に雨は侘しさを増長させる。こんな日は、何処にも出かけずに、自宅のPCの前で雑用をこなすのが一番良い。群青忌でカメラマンの平早勉さんに撮って頂いた膨大な枚数の写真の整理に辟易している。何分にもデーターが重くて、CDに焼きたいと思っても、大きすぎて難儀している。データーを小さくする方法があるのだが、そこは素人の悲しさで、悪戦苦闘が続いている。

先日のブログに『金色夜叉』の作者である尾崎紅葉のことについて少し書いたが、最新の『週刊朝日』の嵐山光三郎センセイのコラム「コンセント抜いたか」の中で、「長寿食とはなにか」と題して尾崎紅葉について少し触れている。「明治の文人尾崎紅葉は三十六歳で死ぬとき、臨終の席に門弟を集めて、『これからはまずいものを食って長命(ながいき)して一冊でも一編良いものを書け』と言い残した。弟子の泉鏡花は師の言葉を胸にきざみ、六十五歳まで生きた」とあった。因みに紅葉の門下生は、泉鏡花の他に、田山花袋、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声など、優れた人達がいる。

まあ泉鏡花の六十五年の人生が「まずいもの」を食べた結果ではないだろうが、毎日、まずいものを食べて長生きしても何か味気ない。秦の始皇帝が「不老不死」の薬を求めたのは有名だが、始皇帝は不老不死どころか四十九歳で亡くなった。歳を取れば自然と食の好みも変わってきて、若い頃はあれほど好きだった肉類も、今では月に一度食べるか、食べないかになっている。

夜は寒いので家族で鍋を囲んだ。具材は冷蔵庫にあるもので鍋の材料になりそうなものを手あたり次第に入れて、ホンワカと食した。そう言えば、野村先生が河野邸焼き討ち事件から復帰した昭和五十年の今時分、当時アジトになっていた先生のマンションに、深夜の新聞の配送(配達ではない)を終えた笠原正敏、森田忠明、宮城賢秀などの諸氏が集まり、早朝に鍋を囲んで良く一杯やっていた。先生から朝の五時過ぎに「皆いるから来ないか」と連絡を貰ってたまげたことがあった。

その森田忠明氏が、この度展転社より『論語のやぶにらみ』(一八〇〇円+税)を上梓された。その出版記念会が今月の二十日の六時より、國學院大學院友会館において開催される。私も発起人の末席を汚しているので参加の予定である。是非ご購読の程を。

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小春日和に仲良しさんたちと飲む。

2015-11-04 10:54:48 | 日記
十一月一日(日)晴れ。

今日は上の子供の大学の文化祭がある。九時に愚妻と下の子供を学校まで送って行った。私は、午後からの来客に出す料理の買い出しのために、子供が出るものを見ることができないので、先日購入したビデオを預けた。

松原商店街で買い物を済ませて、再び大学に戻り、家族をピックアップ。帰宅後は、お客さんを迎えるために、料理の腕を振るった。お客さんはカメ&アコチャンに京子ちゃん親子。松本佳展君たちは横浜駅の西口で行っている大行社の定例街宣を聞きに行っている。街宣は一人でもギャラリーが多いほど熱が入るものだ。

小春日和と言っても外は寒い。我が陋屋でこじんまりと宴会。気の置けない人たちとの酒席ほど癒されるものはない。他愛もない話に花が咲き、六時過ぎに解散。と言っても、私は早々と酔って寝ていたので、皆さんがいつ帰ったのか分からずじまい。

早いもので、もう十一月。我が街に冬の到来を告げる酉の市が開かれる。今年の一の酉は五日。この一の酉が立冬の前に来た年は三の酉まである。ちなみに立冬は八日であるから、今年は三の酉まであり、俗に火事が多いとも言われている。くれぐれも火の用心。また秋は、読書の秋でもある。「今夜新たに読む本は、未知の世界の旅ぞかし」とは与謝野晶子の言。根気が無くなって、難しい本は三行で眠くなる。従って、最近は読みやすい本ばかりを選んで読んでいる。今楽しんでいるのは『満州国演義』である。美味しいものを食べるようにチビリ、チビリと頁をめくっている。

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