白雲去来

蜷川正大の日々是口実

今日も起きられず。

2016-01-09 23:10:37 | 日記
一月二日(土)晴れ。

今日も熱が下がらず、絶不調。正月二日は、社友や同志の方と一緒に皇居参賀に行き靖国神社に初詣に行く、ということを十年以上続けている。社友から、「二日はどうしますか」という問い合わせが随分とあったが、どうしても起きることが出来ずに中止とした。

食欲もなく、お粥を作っては少し食べ、白湯と薬を飲み寝ていると言う一日だった。せめて自宅のすぐ近くを走る箱根駅伝の選手を応援したかったが、起き上がることも出来ずに、おでこに冷たいタオルを載せてテレビの音声をうつらうつらと聞いていた。最悪の日なり。

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正月早々風邪で寝ていた。

2016-01-09 22:56:23 | 日記
一月一日(金)晴れ。祝皇国の春。

謹賀新年おめでとうございます。新年が皇国はもとより、私のこのブログをご覧になっています皆様にとりまして佳い年となりますことを心からご祈念申し上げます。

毎年正月は、伊勢原に行き野村先生のお墓と私の両親のお墓に詣で、さらに古い同志であった板垣哲雄君のお墓参りに行くことが我が家の年初めの行事だったのだが、今年は断念。九時に志村、横山の両兄に迎えに来てもらったが、熱はあるし寒気もするので、お墓参りは両兄にお願いをした。二人に挨拶をして再び布団に入った。

正月なので医者もやっておらず、開いている薬局を愚妻に探しもらい薬を飲んで寝るが、三十分置きくらいにトイレに行くので熟睡が出来ない。大好きな二ューイヤーズ駅伝にもうつらうつらとして集中出来ず、夢うつつの中で音声だけを聞いていた。最悪の正月である。熱があるせいか、食事もとらずに白湯を飲み、またトイレと言う情けない一日だった。

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大晦日、絶不調の始まり。

2016-01-09 22:37:58 | 日記
十二月三十一日(木)晴れ。

ここ何年も、我が家で「年越しの会」を催している。しかし今年の大晦日は、少し静かに過ごそうと思い、お客さんはカメ&アコちゃんだけに声を掛けた。おっともう一人、奥さんが家出、ではなかった友達と旅行に行ってしまい、一人の年越しはさみしいと前から言われていた大行社の岸谷聖一氏を我が家に招いての年越しとなった。

午後から事務所に今年最後の片付けに行ってから、下町の横浜橋商店街に買い物に出た。しかしものすごい人出である。買おうと思った物もほとんど売り切れている。仕方がないので横浜駅の「そごう」へ行ったが、ここも同じ。今更ながら日本人の正月に対する執着に圧倒される。偶然カメ&アコちゃんに遭遇。一緒に自宅に戻る。

五時半に、「年越しの会」をスタート。六時に岸谷氏来訪。徐々に酒の肴を出そうと思っていたら、どうも体の調子が良くない。七時を過ぎたぐらいには起きているのがやっというありさま。お客さんに悪いので悟られないように子供に命じて布団を敷き、横になったが、寒気がして仕方がない。熱も出て来たらしく、ひさしぶりにうなされた。これが正月不幸の始まりだった。除夜の鐘もきかずに気を失ったように寝てしまった。

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静かな年越し。

2016-01-07 23:20:49 | 日記
十二月三十日(水)晴れ。

何とか機関誌を年内に発送しようと思い朝食後から事務所に缶詰。何奈とか四時過ぎに完成。後は封筒に入れて発送するのみ。ホッとした。この十年ほど静かな年末と正月を過ごしている。平成二年の春に戦線復帰した頃は野村先生もまだ健在で、バブルの残り香で世の中はかなり景気よさそうに思えた。

その頃、野村先生の盟友の盛田正敏社長が横浜のヨットハーバーに係留していたのが「チャンポサ」という五十二フイートのクルーザー。管理責任者は私の友人の古谷喜久男氏。年末にはそのクルーザーで友人らと年越しをした。当時は独身ということもあって、かなり無茶もしたが、それも楽しい思い出である。大晦日の午前零時に港に停泊している船から一斉に汽笛が鳴る。ヨコハマの新年の恒例行事である。満たされている時は良いが、独り暮らしで金もなく、明日に希望もない時にこの汽笛は身に沁みる。若い頃にそんな大晦日を何度か過ごしたことがあった。

この歳になるまで、海外へはかなり行ったが、一度も海外で新年を迎えたことが無い。来年は、何とか無理をしてでも海外で新しい年を迎えてみたいと思っている。しかし暮と正月三ケ日はめちゃくちゃ料金が高い。正月の四日に出発すると三分の一ぐらいで行けるのだから、ついためらってしまう。同じ飛行機、同じホテル、同じ行程で暮や三ケ日の出発は高いのだから、ためらうのは当然か。

夜は、静かに酔狂亭で月下独酌。

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今年最後の紅灯の巷へ。

2016-01-07 18:40:53 | 日記
十二月二十九日(火)晴れ。

憂国の企業家として一部の人たちには有名な松本洋三氏と今年最後の忘年会を行った。昔なじみの悦子ママのやっている「うさぎ屋」にしようかとも思ったが、混んでくると落ち着かないので、まずは関内の鮨屋「写楽」にてスタート。ここは私の定宿であるが、最近は、関内に足が遠くなった分、当然ながら顔を出すことも少なくなった。

松本氏は博学で、かつ志のある企業人として、話をしていても楽しい。二時間ほどいてから紅灯の巷(こうとうのちまた=調べてみてね)へ転戦。酔って粉黛(ふんたい=これも調べてみてね)相手に杯盤狼籍(はいばんろうぜき=調べてみてね)。ここにも二時間ほどいて解散。楽しい酒だった。

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