白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ニイタカヤマノボレとトネガワクダレ。

2017-01-06 09:00:37 | 日記
十二月二十八日(水)晴れ。

安部総理が真珠湾を訪問。恐らく、昨年のオバマ大統領の広島訪問への返礼?だろうと思うが、これまで、日本軍の真珠湾攻撃が、アメリカ側にとっては長い間、「騙し討ち」だったが、最近は、日本軍の「奇襲攻撃」と改められているとも言う。当時のルーズベルトが、日本軍の奇襲を知っていた、というのが、今や定説となりつつあるが、いずれアメリカでも、自国の国民を参戦に導くために、あえて「騙し討ち」を演出した、と言うことが、定説になる日も近いかもしれない。第一次世界大戦の参戦の時も、アメリカの大統領は、似たような手法を使ったことが、思い出させる。

安部総理の、真珠湾への「慰霊」には、文句もないが、なぜ日本が、アメリカと戦わなければならなかったのか・・・。これを明らかにして貰いたいものだ。真珠湾の奇襲は、大東亜戦争の象徴的な出来事ではあるが、当時、支那と戦っている最中に、アメリカと戦端を交えたのか。野村先生ではないが、「黄色人種である日本人が、なぜアメリカをはじめとする白色人種と三年半にわたって死闘を演じたことの真意を、後世の史家は、明らかにしてくれるであろう」。

昭和十六年十二月二日、大本営より機動部隊に対して「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電文が発信された。ニイタカヤマ(新高山)は当時日本領であった台湾の山の名(現・玉山)で、富士山より高い、当時の日本の最高峰の山。一二〇八とは十二月八日のことで、「X(エックス)日を十二月八日(日本時間)と定める」の意の暗号であった。ちなみに、戦争回避で攻撃中止の場合の電文は「トネガワクダレ」。

夜、私の秘蔵のDVDボックスから「トラトラトラ」を見る。

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今年最後の「やまと」へ。

2017-01-05 17:44:49 | 日記
十二月二十七日(火)晴れ。

後四日で今年も終わると言うのに、あれも、これも終わらない。気ばかり急いて、結局、夜になって晩酌の時間となってしまう。何があっても、どんなことが起きても、晩酌だけは欠かさない。六十の半ばを過ぎて、あくせくやっていられるか。と開き直って、酔う。

そうか、今日は、仲良しのカメちゃんと待ち合わせて、今年最後の「やまと」にご挨拶へ。いつもの、揚げ鳥に、イギリスのEU離脱、アメリカのトランプ大統領で日米関係は、お隣の朴大統領と、結局は、慰安婦対策の十億円が無駄になることや、安部総理の真珠湾訪問について、幼馴染のトオルちゃんも呼び出して、三人で喧々諤々、侃々轟々、口角飛泡、隣の知らない客も参戦して、「朝から生テレビ」並みの大激論になった。というのは嘘で、何を話したか、全く記憶にないほどのアホバカ話に花が咲いて、新年もお互いの息災を誓い合いました。

こんな感じで、ただ馬齢を重ね、老いて行くのです・・・。

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今年最後の忘年会。

2017-01-05 14:05:25 | 日記
十二月二十六日(月)晴れ。

今日は、今年最後の忘年会。といっても大がかりなものではなく、日頃からお世話になっているお二人の方に誘われて、牛タンの名店「たん右衛門」にての三人会である。天下の素浪人をもって任ずる身としては、こういった人たちがいてこそ、日々がある。

二十年も前の頃は、良く、このお店に来たが、歳のせいか、肉をそれほど食べたいと思わなくなった。そんな訳で、足が遠のいた。この三人で行くのも本当に久しぶりのことで、店のオヤジも喜んでいた。二時間ほど飲んで解散したが、帰る頃にはお店は満席。決して安い店ではないのに、これもアベノミクス効果か、などと考えながら帰宅。

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風呂吹きと蕪村忌

2017-01-05 13:06:27 | 日記
十二月二十五日(日)曇り後晴れ。

私は、野村先生とは違って、句作はしない。まったくセンスが無いのである。それでも「句集」を読むのは好きで、今まで随分と読んだ。それでも、俳句そのものよりも、俳句を作る人たちの人物像に興味があり、山頭火や尾崎放哉などの評伝も好きだ。

今日は「蕪村忌」だそうだ。正岡子規は、当時、余り名の出ていなかった蕪村を俳壇に紹介したのが縁で、明治三十年から毎年、その命日に蕪村忌を営むようになったと、楠本健吉の『歳時記』にある。子規の明治三十三年の句に「風呂吹きや蕪村百八十回忌」や「蕪村忌や奥のはたはた摂の蕪」などがある。

『歳時記』によれば、摂津(大阪)の水路霧石が名産天王寺(大阪市天王寺付近が発祥で、江戸時代から栽培されている。蕪が地面から浮き上がったように成長することから、「天王寺浮き蕪」とも呼ばれいた。乾蕪として全国に広まり有名であったようで、「名物や蕪の中の天王寺」と与謝野蕪村に詠まれている)を送って風呂吹きをご馳走して出すのが例になっていた。(奥のはたはた)とは、秋田の島田五空から送られたハタハタのことである。ちなみに、「風呂吹き」とは、野菜等を大きく切って茹でたり煮たり蒸したものに練り味噌をかけて食べる日本料理。冬の季語。ダイコンやカブ、トウガンや柿の実などが用いられ、「風呂吹き大根」や「蕪の風呂吹き」、「柿の風呂吹き」などと呼ばれ、いずれも熱いものを食べる。

私は、蕪の煮物が好きではなく、(おしんこは好き)「風呂吹き」はもっぱら大根である。豊橋の社友、福井英史さんに教わった、練味噌をかけて風呂吹き大根を作って酒の肴にした。

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畳替え。

2017-01-05 12:56:15 | 日記
十二月二十四日(土)晴れ。

七時に、家族をがぁーっと起こして、まず朝食。午前町に畳屋さんが来るので、それまでに、恥ずかしくないように部屋やキッチンの掃除。

この家で畳を換えるのは、二度目だ。近所の畳屋さんが、表替えをとても安くやってくれる。感心するのは、一人で、タンスや書棚、テレビの位置をずらして、畳を外して行く。私だったら、この作業だけでお手上げだ。

夕方に、新しくなった畳が届き、寝転んでみた。い草の良い匂いに全身がつつまれる。日本人だなぁー、としみじみ思う。畳替えと言うと、忠臣蔵を思い出す。吉良の嫌がらせで、饗応をする部屋の畳を古いままにしていたのを、換えなくてはならないと聞き、慌てて、家臣が馴染みの畳職人に頼み込んで、新しくする場面だ。といっても我が家は、たかが八枚。それでも、なぜか心が華やぐ。畳と何とかは新しい物が良いと、昔の人は良く言ったものだ。まあ「何とか」の方は、古くてもそれなりに味があって良い。

夜は、酔狂亭で、「黒霧島」を相手に我が酔狂亭にて月下独酌。

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