十月九日(火)曇り。
沖縄県那覇市でおこなわれた翁長雄志・前沖縄県知事の県民葬が執り行われた。日本・メコン地域諸国首脳会議の出席を理由に欠席した安倍首相の代理として菅義偉官房長官が追悼の辞を代読し終わると、多くのヤジが飛んだ。ニュースでこの様子を見て、何と礼儀知らずな、非常識で育ちの悪い人たちかと思った。例え、自分たちと思想信条を異にするとはいえ、葬儀の席、それも弔辞の後に、罵声を浴びせかけたり、抗議の声を挙げるなどと言うことは、その人たちが支持をした翁長雄志氏をも冒涜する行為であると言える。日本人の美徳とか、情と言うものを全く持ち合わせていない人たちであると感じた次第。そういった非常識な人たちのニュースを見て、思い出したことがある。終戦直前の内閣総理大臣、鈴木貫太郎のエピソードである。
昭和二十年の四月、小磯陸軍大将の内閣が総辞職をしたあと、大命を拝したのは、海軍の軍人として日露戦争の折、駆逐艦の艦長として活躍し、その後、連合艦隊司令長官、軍令部部長、侍従長を歴任した、鈴木貫太郎提督であった。この鈴木貫太郎大将は、昭和十一年には天皇のお側に使える侍従長の立場にあったが、その年に起きた二・二六事件の際に、「君側の奸」として、決起将校の指導者的存在である安藤輝三大尉の部隊に襲撃をされ、瀕死の重傷を負った。
この鈴木内閣が成立した昭和二十年の四月七日は、戦艦大和が巡洋艦矢矧を先頭に八隻の駆逐艦と共に沖縄に向けて海上特攻に出撃し、九州南方沖で撃沈された日でもある。この大和の撃沈から六日後、米大統領のフランクリン・ルーズベルトが急逝した。その報に接した、鈴木貫太郎総理は短いメッセージを発表した。ルーズベルトの政治的功績を認め「深い哀悼の意をアメリカ国民に送る」と述べただけの簡単なものだったが、同盟通信を通じてこれが海外に流されると、欧米各地で予想外の反響が起こった。
スイスの新聞「バーゼル報知」の主筆が「敵国の首相(元首)の死に哀悼の意を捧げた日本の首相の心ばえはまことに立派である。これこそ日本武士道精神の発露だろう。ヒトラーが、この偉大な指導者の死に際してすら「悪魔の死」と誹謗の言葉を浴びせて恥じなかったのとは、何という大きな相違であろうか。日本の首相の礼儀正しさに深い敬意を表したい」と書いた。一国の総理の顔が、その国の顔となることもある。立場は違うが、葬儀の席で、罵声を浴びせかけたり、政治スローガンを大声で発した、一部の不心得者の顔が、沖縄県民のイメージを損ねることにならないように祈るばかりである。
沖縄県那覇市でおこなわれた翁長雄志・前沖縄県知事の県民葬が執り行われた。日本・メコン地域諸国首脳会議の出席を理由に欠席した安倍首相の代理として菅義偉官房長官が追悼の辞を代読し終わると、多くのヤジが飛んだ。ニュースでこの様子を見て、何と礼儀知らずな、非常識で育ちの悪い人たちかと思った。例え、自分たちと思想信条を異にするとはいえ、葬儀の席、それも弔辞の後に、罵声を浴びせかけたり、抗議の声を挙げるなどと言うことは、その人たちが支持をした翁長雄志氏をも冒涜する行為であると言える。日本人の美徳とか、情と言うものを全く持ち合わせていない人たちであると感じた次第。そういった非常識な人たちのニュースを見て、思い出したことがある。終戦直前の内閣総理大臣、鈴木貫太郎のエピソードである。
昭和二十年の四月、小磯陸軍大将の内閣が総辞職をしたあと、大命を拝したのは、海軍の軍人として日露戦争の折、駆逐艦の艦長として活躍し、その後、連合艦隊司令長官、軍令部部長、侍従長を歴任した、鈴木貫太郎提督であった。この鈴木貫太郎大将は、昭和十一年には天皇のお側に使える侍従長の立場にあったが、その年に起きた二・二六事件の際に、「君側の奸」として、決起将校の指導者的存在である安藤輝三大尉の部隊に襲撃をされ、瀕死の重傷を負った。
この鈴木内閣が成立した昭和二十年の四月七日は、戦艦大和が巡洋艦矢矧を先頭に八隻の駆逐艦と共に沖縄に向けて海上特攻に出撃し、九州南方沖で撃沈された日でもある。この大和の撃沈から六日後、米大統領のフランクリン・ルーズベルトが急逝した。その報に接した、鈴木貫太郎総理は短いメッセージを発表した。ルーズベルトの政治的功績を認め「深い哀悼の意をアメリカ国民に送る」と述べただけの簡単なものだったが、同盟通信を通じてこれが海外に流されると、欧米各地で予想外の反響が起こった。
スイスの新聞「バーゼル報知」の主筆が「敵国の首相(元首)の死に哀悼の意を捧げた日本の首相の心ばえはまことに立派である。これこそ日本武士道精神の発露だろう。ヒトラーが、この偉大な指導者の死に際してすら「悪魔の死」と誹謗の言葉を浴びせて恥じなかったのとは、何という大きな相違であろうか。日本の首相の礼儀正しさに深い敬意を表したい」と書いた。一国の総理の顔が、その国の顔となることもある。立場は違うが、葬儀の席で、罵声を浴びせかけたり、政治スローガンを大声で発した、一部の不心得者の顔が、沖縄県民のイメージを損ねることにならないように祈るばかりである。