白雲去来

蜷川正大の日々是口実

読書に映画。

2019-03-26 18:36:23 | 日記
三月二十四日(日)晴れ。伊豆高原にて。

六時半に起床。断食にもう何回も来ているので、空腹感はなし。朝食は、五分粥とお麩の味噌汁。何も食べないよりも、少し食べた後の空腹感のほうがきつい。午前中に治療。午後から、盟友と伊豆高原で行われている「桜祭り」をウォーキングを兼ねて見学。道には鶯の声が。春を実感する。

二時過ぎに宿に戻り、ひねもす読書。夜は、ツタ屋でレンタルしたDVDを見る『空海』『オーシャンズ2』の二作品。眠られぬ夜には丁度よい娯楽作品だった。

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象牙と石の彫刻美術館にたまげた。

2019-03-26 18:32:26 | 日記
三月二十三日(土)雨のち曇り。伊豆高原にて。

いつもならば、六時半からウォーキングなのだが、外は雨。昨日と打って変わって、かなり寒い。夜中にトレーナーを重ね着したほどだ。七時半から、広間で「気功体操」。九時過ぎより、カップリングなどの治療。十時に朝食。「りんごジュース」一杯。

雨がひどいので、自室にてさまざまな手紙を四通。山平重樹さんから『叛骨―最後の極道・竹中武』(徳間文庫)をご恵送頂いた。添えられた手紙には、「柚月裕子さん(注・解説文を書いて頂いた)『ファンなのです。「検事シリーズが最高なのです』の解説があまりにすばらしく、ぜひ読んでいただきたく送らせていただきます。」とあった。柚月裕子という作家を迂闊にも知らなかった。なんでも先ごろ評判になった映画『孤狼の血』の原作者であることを知ったが、あの映画の原作者が女性だと知って驚いた。少し読んでみようと思った次第。

午後から、宿のパンフにあった「象牙と石の彫刻美術館」という所に盟友と共に出かけた。宿の近くに中国人の画家の美術館があるのだが、以前行ってみてがっかりしたことがあったので、余り期待せずに出かけたが、良い意味で期待が外れ、とても素晴らしかった。まず驚かされたのは象牙の彫刻の見事さと、その量である。かつて故宮博物館で見た三重、五重の球形の彫り物や数々の作品群。

また、白楽天の唐の玄宗皇帝と楊貴妃とのラブロマンスを歌った「長恨歌」をモデルにした長さ七十五メートル、千五百種の天然石を使った「彩石象嵌屏風」には、度肝を抜かれた。この美術館のオーナーはてっきり中国人かと思ったら、伊豆の土肥の「桜餅」に使用する「葉」の栽培業者で、中国に栽培技術指導に1980年代に中国に渡り、巡り合った美術品を買い求めた。とパンフにはあった。
まだ中国がバブルに入る前の時代だからこそ、日本人化の手に入ったのだと思う。私の同級生の古美術の専門家に、是非見てもらいたいと思った次第である。

夜は寒くて、ストオブと電気毛布を併用して寝た。不思議と酒の力を借りずに眠りにつけた。

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断食へ。

2019-03-26 18:27:09 | 日記
三月二十二日(金)晴れ。伊豆高原へ。

今年一番の暖かさとか。半袖でも過ごせる陽気である。これで桜も一気に開花するに違いあるまい。朝食は、昨日の残りのマグロの刺身、縞エビの頭の味噌汁、おまけに伊勢原の寿雀卵でTKG。

今日から月曜日まで恒例の「断食」に出る。去年は十一月に行ったのだが、翌月、新年にかけて怒涛の宴会が続き、折角の断食もあっという間に元の黙阿弥に。仕方がなく、盟友に無理を言って体調をリセットするための断食となった。

午前中は、銀行や郵便局に行き急ぎの用事を済ませてから荷造り。
午後一時に我が家を出た。東名に入るまで、混んでいて殊の外時間がかかり、四十五分もかかってしまった。その後は、まあまあで、熱海から、国道135号を伊豆高原に向かってひた走り。四時半宿着。盟友はすでに着いていた。すぐに問診。

六時に夕食。といっても「具なし味噌汁」カップ一杯。
伊豆高原は「高原」というくらいであるから、平地よりは幾らか温度が低い。夜になって部屋のストオブをつけ、電気毛布のスイッチを入れて早めに寝た。

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しっかり爺になりました。

2019-03-26 18:11:03 | 日記
三月二十一日(木)曇り。春分の日。

私の六十八歳の誕生日である。早生まれなので一つ上の人と同期となる。小学校へ上がったころは、この一つ若いというのが私にとってはハンデで、ほとんど勉強についていけなかった。小学校時代、六年間で二人の担任の先生に教わったが、四年生からの三年間の田端という担任が嫌な奴で、金持ちのそれも勉強のできる者しか可愛がらず、アホで加えて貧乏人の私などは、ほとんどボロカスで、今なら考えられないが、殴る蹴る、真冬に廊下に立たされる、などということは日常茶飯事のことだった。「軍隊上がり」と言うのが自慢の男で、たぶん自分も軍隊でやられたのだろう、なにかあると、太ももの横を膝で蹴る。やられると、立っていられず、うずくまってしまう。それを楽しんでいるかのように、やられた。今思い出しても嫌な野郎だった。

中学に進学したときに、新しい担任の坂田という女性の国語の先生が担任となった。その先生が、なぜか私に「新入生を代表して作文を書きなさい」と指名された。それまで担任が嫌なこともあって、勉強などしたこともなかった私に、「なぜ」という思いもあったが、提出した。その作文が校内紙に掲載された時、チョッピリ誇らしかった。そして陸上部に入り、「努力すれば報われる」ということと、注目されることの喜びを知った。高校からその後の青春時代のことはそのうちに書いてみたいと思っています。

まあ人生でそれほど「良かった」という思いはないが、この歳まで、恙無く生きてこられたかなと思っている。家族から『写真が語る・横浜市の百三十年』という一万円もする本をプレゼントしてもらった。夜は、どこかに揃って食事に行こうかとも思ったが、少し上等な肉と刺身を調達して我が家で焼き肉。社友からも誕生日のメッセージやプレゼントを頂き、感謝しております。ささやかだが、いい一日だった。

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東京行き。

2019-03-26 18:09:02 | 日記
三月二十日(水)晴れ。

良い天気である。気持のよい朝は、まず朝食から。伊勢原の肉屋さんで買った「トン漬け」とオムレツにとろろこぶのスープ。昼は、駅そば。かき揚げそばを食べたが、自分の記憶の中では、最低の味、特に蕎麦が最低だった。どこの駅かは言わん。

私が役員の末席を汚している大行社の幹部会議に出席のために東京行き。相談役の一人として、ご挨拶をさせて頂いた。終了後は、六本木にて二次会。少し体調が悪くて、ビールの小瓶を二本ほどでやめた。七時にご挨拶してお暇した。駅で家族にケンタのフライドチキンを買って帰った。

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