白雲去来

蜷川正大の日々是口実

名前だけ真面目な食事会。

2019-03-26 18:07:04 | 日記
三月十九日(火)晴れ。

今日も良い天気。アジの干物にポークハムと目玉焼き、今日も大根の味噌汁。昼は抜いた。夜は、月に一度の名前だけ真面目な会合を、馬車道の「佐島」にて開催。このお店は、スタッフの人柄もよく、料理もリーズナブルでおいしい。名前のように「佐島漁港」から上がる魚をメインにしている。九人が出席。その後、関内に転戦。二日早い私の誕生日に友人らが「泡」を抜いてくれた。酔った勢いでもう一軒転戦して、へろへろになって帰宅。まったく懲りない

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元町のアストロ

2019-03-26 18:00:03 | 日記
三月十八日(月)晴れ。

昨日の酒が残りおり、朝はいささか不快。お天道様にスマンと詫びて風呂に入り酒を抜く。
二日酔いでも、寝ぼけていても朝食を抜いたことはない。サバの文化干し。スーパーのものだが、残念だった。伊勢原の卵でTKG、大根の味噌汁。昼は抜いた。五時半に友人と待ち合わせての食事会があったのだが、予定していた店が定休日。ほかの店と思って行くが、ここも休み。ついていない。仕方がなく自宅の近所のそば屋へ。ここがまあまあで良かった。送っていただき早めに帰宅。

ニュースで内田裕也さんの訃報を知った。生の裕也さんを初めて見たのは、その昔、横浜の元町にあった「アストロ」というディスコティック。ジョー山中がリードボーカルだったフラワー・トラベリンバンドのステージだった。確かレッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛」が印象に残っている。後年、野村先生と『平凡パンチ』で対談をしたり、麻布の焼き肉屋「三幸苑」でばったりお会いしたり何度か直接話をすることもあった。ジョー山中さんは「群青忌」にて「群青」を歌って頂いたこともある。知っているミュージシャンが、徐々に少なくなってゆく。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生会でした。

2019-03-21 08:22:58 | 日記
三月十七日(日)晴れ。

伊勢原の先生の浄発願寺に行く途中に「寿雀卵」という銘柄の卵を売っている販売所がある。一時は、卵を買うお客が列をなしていたが、最近では、卵を量産したのか、それともブームが去ったのか、いつ行っても、「売り切れ」と言うことはなくなった。

お墓参りに行くと、農協でお花を買うついでに、近所の農家が持って来ている野菜を買い、帰りに「寿雀卵」を買うのが楽しみである。その卵を使って今朝は、TKG(卵かけご飯)、小さなカップヌードル、キュウリの糠漬け。昼は、私の誕生祝に、西横浜の「オアジ」にて食事会。

いやはや四日後の二十一日には、六十八歳となる。早生まれなので六十九歳の人と同期となる。若い頃は、一歳若いと言うことが、何かなめられているようで嫌だったが、この歳になると、一歳でも若いと言うことが、何となく嬉しく感じるものなのだ。戦争は知らないが、終戦から、わずか六年後に私は生まれた。横浜市南区西仲町という、典型的な下町で、京急の黄金町駅から歩いて五、六分の所だった。生まれた家はもうないが、私よりも三つ上の、お世話になった大家さんの娘さんご家族が今でもその土地に住んでいる。私は、その人に弟のようにかわいがってもらい、勉強から野球、遊びのほとんどを教わった。

納豆売り、豆腐屋のラッパ、夏の金魚売り、あさりとシジミ売り、風鈴売り、工場の終業のサイレン、風呂屋の煙突の煙、「クズやおはらーい」の声、駄菓子屋、傘や鍋の修理やさん、アイスキャンデー売り。町でリヤカーを引く物売りも最近は見なくなった。衣紋掛け、写真機、こうもり、乳母車、その他、アルミホイルを銀紙と言っては家人に笑われている。昭和は遠くになりにけりである。

昼から、佐伯さん夫妻と、松本君夫妻が段取りをしてくれて西横浜の「オアジ」にて、私の誕生会と大熊雄次さんの還暦の祝いを行った。盟友の古谷喜久男さん、成田功さん、ミッチー橋本さん、中山和哉さん、京子ちゃんの総勢十二名で楽しい食事会となった。夜に、中華街の「フラッシュバック」の三十年のお祝いがあったがへろへろで行くことは出来なかった。五時過ぎに帰宅してから、爆睡。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辞典・事典。

2019-03-19 11:47:22 | 日記
三月十六日(土)晴れ。

午前中に、かかりつけの病院にて定期検診。採血をして貰ってから、薬をたくさんもらって帰宅。診療と薬代で約、八千円強。高いと思っても命の値段とあれば仕方なし。朝食を食べずに病院へ行ったので、「ホカ弁」の「特のりタル弁当」を家族分買って帰宅。

食後にお墓参り。伊勢原までは、スムースに走り正午に着。野村先生のお墓に詣でてから、両親のお墓へ。上の子供は今月大学を卒業、下は後二年だが、とりあえず家族は恙なく暮らしていることを報告する。帰宅後に夕食の肴を求めて松原商店街へ。カツオとマグロを買ったが、久しぶりに外れた。

最近は、とんと辞書を引かなくなった。事務所には「広辞苑」が二冊ほどある。一冊は、東拘に座っている時に四宮正貴先生から差し入れして頂いたものだ。もう一冊は、昭和六十年に私が買った物。その二冊をほとんど使用しない。なぜか。それは「広辞苑」専用の電子辞書(SEIKO・第六版)を使っているからだ。小型で持ち歩きに便利であり、引きたい文字をキーボードに打てば即画面に出てくる。

北海道にいる頃には、連休が続く時などに、読む本が無くなり、「広辞苑」の全頁読破に挑戦したが、残念ながら実現しなかった。それでも「類語」など随分と勉強になった。『現代用語の基礎知識』という本もあった。今でもあるのだろうか。これも事務所に二冊ある。大行社の印刷があるから、何かの行事で引き出物としたものが取ってあるのだろう。しかし、これもほとんど使用しない。何か調べものがあれば、パソコンで大体用が足りてしまう。便利な世の中になったものだ。

今、私の事務机にある辞書は、『中国故事成語辞典』『中国故事名言辞典』『文書・文例辞典』『現代漢和辞典』。辞典ではないが、調べものをするのに、『日本史歳時記』『漢詩名句』『漢詩一日一言』『俳句歳時記』『中国古典一日一言』などである。こういった物を読んでいて、楽しいと思ったのは、何歳ぐらいまでだろうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

憲法に関する勉強会。

2019-03-19 11:28:12 | 日記
三月十五日(金)晴れ。

連日、暖かくて助かる。どうも寒いのが苦手である。朝食は、サバの文化干し、キュウリのおしんこ、山芋の糠漬け、わかめの味噌汁。昼は、新宿にて「かき揚そば」。夜は、新宿の寿司屋にて、先輩、同志らと会食。

「憲法を考える勉強会」に出席するために東京行き。早めについたので、歌舞伎町の蕎麦屋にて昼食。四時前に会場入り。四宮正貴先生と横山孝平氏が、まず基調報告。その後、各自が、憲法の改正はどうあるべきか。特に、安倍政権の主張する「加憲」について論議。二時間半の勉強会は大変参考になった。終了後は、近くの寿司屋にて直会。

一口に「憲法の改正」といっても民族派内でも意見が様々である。現行憲法無効論の明治憲法の復元。全日本愛國者團體會義のように、自らの憲法草案(「皇国憲法草案」)などを持っての「自主憲法制定論」。現行憲法の一部改正(特に九条の改正を主とした)論。などの意見がある。しかし、政治勢力ではない民族派が「改憲」を訴えても実現性に乏しい。あくまでも在野の立場から、現行憲法の矛盾を論じ続けて行かなければならないと私は思う。

原点に返って色々と考えさせられた今日の勉強会であった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする