白雲去来

蜷川正大の日々是口実

来月は久しぶりに岐阜行き。

2022-04-15 16:23:53 | 日記

4月4日(月)雨。

背広を着てネクタイを締めて出かける・・・と言うことがほとんどなくなった。仲間内の祝い事や会合の案内も以前と比べて随分と少なくなった。デモや集会は、若い人たちに任せて久しい。五月には本当に久しぶりに地方に出る。5・15事件の慰霊祭(大夢祭)が岐阜にて行われるので一門の人達と共に参加する。都合が悪いことに同日に全国有志大連合(全有連)の第37回大会が栃木で行われる。古い同志の舟川孝さんや名古屋の山田忠史さんたちと久しぶりに語らい、その後一献と楽しみにしていたのだが、大夢祭の記念シンポジウムに諸先生に交じって私がパネラーとして登壇する。申し訳ないが全有連の方は代理出席とさせて頂くつもり。

東京では連日、6千人から8千人の人がコロナに罹患している。夏にはどうしても札幌に行かねばならないので、どうかそれまでに下火になって欲しいと神に祈る思いである。コロナは人を疎遠にするとしみじみ思う。夜は、おとなしく酔狂亭にて独酌。お供は「芋」。


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甲論乙駁にいささかうんざり。

2022-04-14 18:58:01 | 日記

4月3日(日)雨。

ニュースは、毎日ウクライナ情勢のことばかり。ロシア通とかいう大学の先生や防衛の専門家の顔ぶれも同じ。ロシアの脅威何て何も今更始まったわけではなく、我国だって北方領土を強奪されたままだし、そのロシアの脅威を日本人が気にしないか、気が付かないだけだ。ウクライナの都市の惨状を目にするたびに、明日の日本かもと、暗澹たる気持ちになる。杞憂に終わればよいのだが。

ロシアの侵略は、その実は「米ロの代理戦争」、「米国の民主党のせい」、「ウクライナのネオナチ勢力のせい」「なんでも反米の立場から、日本のニュースをフェイクと断ずる人」等、甲の人が論ずると、乙の人がそれに反対するというように、議論がいろいろあってまとまらないことを「甲論乙駁(こうろんおつばく)」という。正にその状態。早い話が、誰も現場に行っこともなく(私も)、自分が「そう思う」あるいは「そうあって欲しい」という意見に近い人の論を信じ、自分の意見のように言う。本当のことは誰も分からない。たった一人、分かっているのはプーチンだけだろう。

友人の戦場カメラマンの宮嶋茂樹さんが現地に行きレポートを送っており「文春オンライン」で読むことが出来る。私は、彼の見聞きしたこと、レポートを信じている。どんな理由があるにせよロシアの行なっていることは、武力による現状の変更、すなわち侵略行為である。私が分かる事実は、それ以外にない。


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我が家の一人鍋。

2022-04-13 11:05:20 | 日記

4月2日(土)晴れ。

良い天気なり。朝食は、野菜炒め、生卵、ワカメの味噌汁。昼食は、ハムエッグとトースト2枚にコオヒイ。夕食は、「コン郎ミニ」というカセットコンロを使った「一人鍋」にブリの刺身。最近我が家で始めたのが「一人鍋」である。家族四人それぞれの好みが異なる。私と愚妻は韓国風。子供たちは辛いのがダメなので、カレー鍋。具材は、牛肉、豚、鶏の肉に野菜。そして仕上げにはラーメンにうどん、または雑炊。好みで食べる。話も弾むし、これが結構楽しい。お供は「芋」。

今年は、東北や北海道では大雪で大変だったと連日ニュースでやっていた。失礼ながら雪の降る風景を見ると「雪の降る街を」という歌を思い出す。そしてその歌の心象風景は、雪の降る街の街灯の下を歩く私。場所は網走駅の近くの道である。随分前に、社友で亡くなられた正田秀幸さんと奥さん、そしてご私たち夫婦の4人で冬の網走を旅した。その時に街を歩いたことが脳裏に刻まれているのかもしれない。ナナカマドの実の上に積もった雪がきれいだった。またいつの日か、雪の網走を訪ねてみたい。

「雪の降る町を 雪の降る町を 思い出だけが 通りすぎてゆく 雪の降る町を 遠い国から 落ちてくる この思い出を この思い出を いつの日か包まん あたたかき幸(しあわ)せのほほえみ」。


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落ち葉でも桜は別格。

2022-04-13 10:09:13 | 日記

4月1日(金)晴れ。

月の初めの朝食は、納豆、竹輪の磯部揚げ、韓国海苔、ウエイパーを使った卵スープ。昼は、ミスドのポンデリング2個とコオヒイ。夜は、チヂミ、鶏肉のカレー焼、ソース焼きそば。お供は「芋」酔狂亭にて独酌。

事務所の前の坂は「へび坂」という。「南区の歴史」によれば、かつては細い山道で、途中に清水がわき、蛇を多く見かけたことから名付けられたらしいと言われている。現在は階段の坂になっていおり全長は約230m。その階段の脇に咲いている桜が見ごろである。道を歩いていると、他の落ち葉だと汚く見えるのに、桜だとそうは感じないから不思議だ。古い歌で強縮だが、仲宗根美樹さんのヒット曲に「川は流れる」と言うものがある。一番の出足は「病葉(わくらば=病気で枯れた葉。特に,夏,赤や黄に変色して垂れたり縮まったりした葉)を今日も浮かべて街の谷川は流れる」。

川や溝に様々な病葉が溜まっていると、はやく掃除しろよと無責任にも思うのだが、桜は個人的な偏見かもしれないが、溝に溜まっていてもなぜか哀れさを感じ、美しく思えるのだ。特に、水面に散った桜の花びらが連なって流れているのを筏に見立てた「花筏」を見ることが出来ると、しばし見とれてしまう。そして野村先生の「花筏 母も妻子も遠く棲む」の句が浮かぶ。

終日、機関誌の編集。不思議と同じページだけが両面印刷できずにミスプリントとなってしま。恐らくパソコンとの相性の問題だろうが、写真などなく活字だけのページなのに不思議だ。用紙の無駄がハンパなく嫌になる。※写真は弘前城の桜。一度見てみたいものだ。


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筆不精で申し訳ない。

2022-04-12 16:41:26 | 日記

3月31日(水)曇り。

昨夜は、久しぶりに「仲良し会」を催した。場所は、私の自宅と事務所のちょうど中間にある「食道苑」というコードネームは「892983」。つまり焼肉屋さん。聞けば、もう随分と長いこと営業しているとのことだが、何十年も近くに住んでいながらそのお店の存在を全く知らなかった。昭和感があふれるお店で、肉も値段の割には美味しくて、次は家族で行ってみたいと思った次第。

訳あって獄中に座す後輩二人から来信。一人は、少々長い刑で長野の施設に。もう一人は、静岡の施設に。刑務所からくる手紙の共通している特徴は、時候の挨拶が長いことである。文章は、なるべく短く要点のみを書く、と教わったので原稿も手紙も長く書くのはどうも苦手である。また歳のせいか、手紙を書くのが段々億劫になって来た。昔は、「筆まめ」を自負していたが、最近は「筆不精」となった。頭が下がるのは『宗教問題』の小川寛大さん。機関誌を送ると必ずお礼の葉書が届く。反対に私は『宗教問題』を送って頂いても、礼状を出したことがない。反省しきりである。

絵葉書が好きで、旅に出ると家族はもちろん親しい人たちに必ず葉書を書いた。ホテルの備え付けの物だったり、飛行機の機内で貰ったり、海外では土産屋でその国の絵葉書を買った。中には、私が帰国してから後を追いかけるように届く物があるが、最近は何処の国でも郵便事情が良くなったようだ。若き大陸浪人こと杉山茂雄君は旅先から良く絵葉書を送ってくれる。たまにそれを眺めながらコロナ禍で旅に出ることのできない慰めとしている。※杉山君から届いた絵葉書。


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