スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
⑰-2 の第2図の局面で僕に分かったのは次のことです。
後手の狙いは次に☖5八飛成の王手金取りを掛けることです。このうち,金取りは金を動かすか銀を打つことによって受けることができますが,王手は受けられません。☗6五玉は☖6四歩と打たれ,☗6六玉では歩を打たせた分だけ損ですし,かといって☗同馬☖同銀は☗同玉に☖5四飛成で詰んでしまうからです。しかし金取りだけを受けても☖5八飛成は王手で入るのですから,これも一手としての価値に欠けます。つまりこの局面では先手は受ける手はありません。受ける手がないなら攻めることになります。
ただし具体的にそう攻めればよいのかということは僕には判然としません。実戦は☗7四桂と打ちました。
これはすぐにいい攻め方だと分かりました。というのはこれには☖同銀の一手ですが,そこで☗同歩と取っておけば,単に攻めて駒を得しただけでなく,6三の銀を外すことができたので,先手玉の安全度が高くなるからです。
実戦の流れだけでいうとこの手は先手の7五の歩が7四に進むという点がデメリットになりました。しかしそれはあくまでもこの後の展開の上でのことです。
後手は手番を得ましたが,指す手はひとつしかありません。もちろん☖5八飛成です。
王手ですが受けるのですが,どう受けるのかは予測できました。
書簡七十 はシュラー Georg Hermann Schullerがスピノザに出したものです。書簡七十二 はシュラーがスピノザから受け取ったものです。ですからこの2通の存在についてシュラーが知らなかったことはあり得ません。それどころかその内容まで知っていたといわなければなりません。そしてその内容のうちに,ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizとスピノザとの間で,『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』を主題とした書簡のやり取りがあったことを確定させる記述が含まれていました。よってライプニッツの指令をシュラーが忠実に守るためには,この2通は抜き取っておかなければならないということを,実際に抜き取りを実行する前の段階で,シュラーは分かっていたことになります。
この2通の書簡の記述を分析することによって今回の考察の中で明らかにすることができたのは,スピノザとライプニッツの間で書簡のやり取りがあったことは,ふたりの間での極秘事項であったということでした。したがってスピノザの親友であったシュラーも,その事実を知らなかったのです。シュラーがそれを知ったのは書簡七十の基となった書簡をチルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausから受け取ったときです。とはいえそれはライプニッツの発言によるものでしたから,その時点ではシュラーはまだそのことを確信するまでには至っていなかったかもしれません。書簡七十二を読んでようやく,シュラーはそれが事実であることを確信したというのが真相に近いかもしれません。
ところで,スピノザとライプニッツとの間での文通が極秘事項であったというのは,それが『神学・政治論』を主題とした書簡に限ったことではありません。すべての文通について該当します。ですからシュラーは,『神学・政治論』を主題としていない書簡四十五 と書簡四十六 が存在するということについては,もしそのことをライプニッツから知らされていなかったとすれば,書簡を抜き取る段階でも知らなかったことになります。むしろシュラーがこれらの書簡の存在のことをライプニッツから聞き及んでいなかったとすれば,ここまでの状況から勘案する限り,スピノザとライプニッツの間での文通は,『神学・政治論』を主題としたものがすべてであると思い込むのではないでしょうか。
⑰-1 の第1図では僕にも目につく一手があります。それは☖5七飛と王手馬取りに打つ手です。実際にその手が指されました。
先手はいくら詰まないからといって馬を取られてはいけません。ですからここでの応手が☗6六玉しかないことも僕には分かります。当然その手が指されました。
僕程度の棋力ですと,この局面で最初に思い浮かぶのは☖5八飛成になります。飛車取りになっているので飛車を処置しなければなりません。逃げるとすれば4七,3七,2七,5八,5九の5ヶ所ですが,5八なら金取りになるので,それが一番得と思えるからです。ただしこれは最初に思いつくというだけで,考えてみて負けということなら別の手を探すでしょう。そのうちのひとつは☖5五飛成ですが,これは☗同玉とされて角2枚では後手が勝てる気がしません。
実戦は☖4八角という手が指されました。
指されてみれば飛車を動かすよりはこの方が優れていることは僕にも分かりますし,おそらく時間を掛けて考えれば発見できる手だとは思います。この種の手がどの程度の時間で思い浮かぶのかということは,おそらく棋力を計測する上での指標となるのではないでしょうか。
実戦はこの角が後に妙に働くことになるのですが,後手がそのことまで視野に入れていたかどうかは不明です。
『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』を主題としたライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizとスピノザとの間の書簡のやり取りと,そうしたやり取りがあったことを確実に証明してしまう書簡七十 および書簡七十二 は,遺稿集Opera Posthuma の編集作業に入る前の段階で,シュラー Georg Hermann Schullerによって抜き取られいていたというのが,僕が作る物語の骨子になります。そしてもちろんシュラーはその行為を,ほかの編集者たちに知られないように遂行しなければなりません。というか,ほかの編集者たちに知られないうちに遂行したとしなければ,この物語は成立しないでしょう。この実行の方法は,ふたつ考えることができます。
遺稿集が発刊されたのである以上,スピノザの遺稿は編集者たちが入手できるような措置が実際に講じられたのです。それが,この遺稿集が収められた机を,スぺイク Hendrik van der Spyckがリューウェルツ Jan Rieuwertszに送ったということです。送られた遺稿がどのように管理されていたかは分かりません。ただ,スピノザの遺稿集を発刊することは,そのこと自体が罪に問われかねない行為でしたから,作業自体は水面下で進められたと考えるのが自然です。もっとも,この作業に関しては,編集者たちに対する未必の協力者もおそらくは存在したでしょう。そもそもライプニッツ自身が,だれがこの作業を行っているかということは知っていたにも関わらず,そのことをステノ Nicola Stenoには秘密にしておきました。カトリックの有力者であるステノにこのことが伝われば,編集作業は中断あるいは中止を余儀なくされるからです。つまりライプニッツは遺稿集を読んでみたいと思っていたからそうしたわけで,そのように思っていた人がほかにいて,その作業自体に積極的に協力するのではなくても,その作業が中止に追い込まれることは避けるべく行動したということがあったとしても,それはそれで不自然な話ではありません。
少なくともシュラーは,編集作業が始まる前に,どんなに遅くとも当該のすべての書簡の存在がほかの編集者のひとりにでも知られる前に,それらを抜き取っておかなければなりません。遺稿がリューウェルツに送られてから,そのための時間がシュラーにどれほどあったか分かりませんが,それができた可能性も否定はできません。
AbemaTVの将棋チャンネル では,公式戦が生中継されることがあります。その中には,解説がありのものとなしのものがあって,解説がある場合には一手一手の善し悪しが何となくでも分かる場合が多いのですが,解説がない場合にはそれが僕の力だけでは分からないため,勝ちそうだと思っていた方が急に負けになっていて驚くということが,しばしばではありませんがたまにあります。今回は昨年度の放映の中から,そういう将棋を紹介していきます。これはこういう将棋を紹介することで,僕が解説のない将棋を,どういった観点から観戦しているのかということも分かってもらえるだろうと思うからです。
取り上げるのは昨年度のA級順位戦二回戦の将棋。後手のダイレクト向飛車でした。
記憶が定かではないのですが,僕は観戦を始めたのが第1図あたりからだったと思います。
この局面は終盤戦に入っています。将棋が終盤になってから観戦し始めた場合は,僕はまずどちらが勝ちそうかということから考えていきます。プロの将棋の場合は一手違いになることが多いので,僕の力ではどちらが勝ちそうなのか分からない場合が圧倒的に多いのですが,この将棋は例外で,先手が勝つのではないかと思いました。理由としては,手番は後手ですが、飛車角しかなく,すぐに先手玉を寄せるのは大変そうであること。それに対して先手は持駒が豊富で,5五の馬が攻守によく効いていることです。どちらが勝ちであるかは分からないことが多いので,僕の力でこのように判断することができる場合は,差がついているということも往々にしてあります。この将棋は,それほど大きな差であったわけではないのですが,ここは先手がよいという判断自体は誤っていませんでした。僕はこの認識をもったまま,観戦を続けていくことになります。
バディウAlain Badiouは,空を考察の対象としなければならないから公理論が採用されなければならないと主張していました。おそらくその根拠は,公理論において空を定義する必要があったらだと僕は思います。それ以外に,非実在的なものを考察の対象とするために,公理論を採用しなければならないという理由が僕には見当たらないからです。ですからバディウはきっと,考察のために空を定義する必要があると考えていたのでしょう。そして空を定義してしまえさえすれば,空について考察することが可能になると考えていたのだと思います。
これだけでは,スピノザが示す定義Definitioの要件を,バディウが定義しようとした空が満たすということはできません。空が,あるいはもっと広くいえば,非実在的なものが,知性intellectusがそれを概念するconcipereのに資するような形で定義され得るのかということはまだ判然としていないからです。同時に,公理論における定義の要件について,バディウがスピノザが示したようなものとして解していたかも分からないからです。ただ,スピノザが示すような条件を満たす形で空を定義することは,できないことではないだろうと僕は考えています。
『デカルトの哲学原理 Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae 』の第二部定義五では,真空が定義されています。それによれば真空とは物体的実体substantia corporeaのない延長Extensioのことです。この定義は,真空を説明するために役立つ定義であるとはいえません。物体的実体のない延長というのは,それ自体で何らかのものの本性essentiaを説明するとはいえないからです。ですが物体的実体とか延長というのが何であるのかということは,定義するかどうかということは別としても,『デカルトの哲学原理』という公理論の中で明らかにすることができる事柄ですから,真空を吟味するためには役立つ定義です。そして真空というのは非実在的なものですから,非実在的なものを,吟味するために役立つように定義するということができるということは,この一例が明示しているといえるでしょう。いい換えれば,たとえそれが非実在的なものであったとしても,公理論を論証していくために,知性は非実在的なものを概念することができるのであり,そのための定義も立てられるのです。
⑯-7 の第2図ですが,飛車を逃げられてしまった以上,先手は6五龍と銀の方を取るほかありません。
第1図となって駒割だけなら先手の銀得です。ですが後手は5七にと金を作っているのが大きく,互角に戦えるのです。というか,ここはすでに後手が優勢です。
後手は☖5六銀と龍取りに打ちつつ攻めに厚みを加えました。先手はとりあえず☗5二銀打と王手をして☖3一玉に☗5四龍と逃げました。後手が☖6六歩と打ったのに対して先手は☗7五角の王手。後手は☖5三歩と中合いをして☗同龍に☖6七歩成と攻め合いにいきました。
これには☗5六龍と銀を取る手が空き王手になるのですが,そこで☖2一玉と逃げるのが決め手でした。
同じようですが第2図で☖2二玉と上がると逆転でした。
第2図以降は☗5四龍と龍を逃げた手に対して☖5二金と質駒の銀を取って後手が勝っています。
綜合と分析という分類でみたときに,バディウAlain Badiouが数学は公理論的でなければならないという場合の公理論が,綜合的方法に分類できるかは僕には分かりません。実際にバディウが想定していた公理論の内容がどのようなものであったかは,『主体の論理・概念の倫理 』でも『〈内在の哲学〉へ 』でも説明されていないからです。ただ,数学が公理論でなければならないという点ではバディウはスピノザと一致をみているのであって,かつスピノザは明らかにそれは綜合的方法ではない,というか分析的方法であるホッブズThomas HobbesやライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizの数学も数学であると認めるでしょうから,バディウの数学を数学と認めないということはあり得ないように思えます。バディウの数学は,公理論の中でも公理論的集合論です。つまりスピノザは公理論的集合論を数学であると認めるでしょう。これは,スピノザは集合論を数学として認めるであろうといっているのと同じです。
つまり,数学を存在論から分離し,単に数学として解する限り,スピノザが集合論を数学として認めないという可能性はないといっていいと僕は考えます。ですから実際に問題となってくるのは,何が数学であるかということより,何が学知scientiaであるのかということになるでしょう。いい換えれば,スピノザがその存在existentiaを認めない空を規定する数学である集合論について,スピノザはそれを学知である,あるいは真の認識cognitioであるということを認めるのかということが,もっといえばそのことだけが,問題として存在すると僕は考えます。バディウ自身は数学は存在論であるといっていて,僕はその立場には立ちませんし,スピノザもそういう立場は採用しないと思われますが,存在論的な観点が集合論が学知であるか否かということには大きく関係してくるのです。
まず最初に,空のような非実在的なものを,存在論の中に組み込むというのが,数学的な観点としてではなく,哲学的な,あるいは形而上学的な観点からはどのようなことを具体的に意味するのかということを考えておきましょう。バディウが数学的な点から空を含む集合論が数学であるというときには,空は数学的な概念だといわなければならないからです。
⑯-6 の第2図は龍取りですから,先手は龍を逃げなければなりません。逃げ場所は3つありますが,☗5五龍は☖5七歩成が厳しく後手の勝勢。☗6三龍は☖6二飛で先手の龍と後手の飛車の交換が避けられないので先手の損。なので☗6四龍とするほかありません。
この手は金銀の両取りになっています。6五の銀はともかくこのまま王手で6一の金を取られてはいけません。なので☖6二飛として銀取りを受けるのは当然でしょう。
この将棋は⑯-3 でいったように,先手から誘導したものです。ただ後手の対応の仕方により,先手としてはあまり変化する余地がないままここまで進みました。そしてここにきて,先手にはふたつの有力な変化がある局面に至りました。ひとつは☗6三銀と飛車取りに打って6五の銀を取りにいく順で,もうひとつが☗6三角と王手をして6五の銀を取りにいく順です。実戦は☗6三銀と打ちましたが,先手が一手負けの順に進みましたので,ここでは☗6三角の方がよかった可能性はあります。
☗6三銀は王手ではありませんので後手は☖5七歩成と指しました。ここでは飛車は取れませんので先手は☗7七銀と玉の逃げ道を作ります。そうしておいて後手は☖8二飛と逃げました。
何もせずに飛車を逃げたのが好手で,ここからは後手の勝ち筋に入っているようです。
分割することができない絶対的な量から,個々の分割することが可能な有限finitumの量が発生することを示しているのが第一部定理一六 です。もちろん,量として規定されるのは延長の属性Extensionis attributumに属するものだけです。属性は無限に多くあり,この定理Propositioはそれらの属性についても同じことをいっています。ただ,どういう場合であっても,絶対的なもの,無限なものから有限であるものが発生するとこの定理はいっているのであり,延長の属性に属する量はそのひとつです。
これがスピノザの実在論の原理であると,上野はいっているのです。上野はそれを,あるものすべてという存在existentiaのドメインを確定してしまう方法だと述べています。もっともこの点は,実在論の可能性について言及している部分なので,ここでは詳しい説明を省きます。現在の考察との関連で僕が重視したいのは,スピノザは上野がいうあるものすべてというのを,神Deusのうちにあるものとして規定していることです。それが第一部定理一五 です。そして何より注意したいのは,あるものすべてが神のうちにあり,なおかつ神なしには何もあることができないとするなら,端的にあるものだけがすべてで,それ以外に何かがあるという余地はないということです。
バディウAlain Badiouは,存在論が多の存在論であるなら,多は空でなければならないといっていました。ところがスピノザの実在論では空があるという余地はありません。このことがバディウにとっては大きな問題点でしたし,また近藤が,バディウにとっての唯一の理論的なライバルがスピノザの『エチカ』であるといったことの意味であったと思われます。したがって,もしもこの観点からバディウがスピノザの公理論を理解することができなかったという,『主体の論理・概念の倫理 』における近藤の発言を解するなら,バディウが理解できなかった,あるいは同意することができなかったのは,公理論そのものではなかったのはもちろん,幾何学的方法そのものでもなく,第一部定理一五であったと解するのが適当であると僕は考えます。幾何学的方法を採用すると,必ず第一部定理一五に示される事柄が導き出されなければならないとは,僕には考えにくいからです。
⑯-5 の第2図は,先手が放置して☖5七歩成と王手をされて玉を吊り出されては大変です。かといって☗5六同歩と取るのは☖4六角で終了です。なので☗5四飛と王手を掛けるのはこの一手。
これに対して☖5二飛は飛車交換して先手がよいでしょう。☖5二金も☗6三銀や☗7一角が残るので☖4一玉と逃げました。
ここも☖5七歩成とされると☗同飛は☖4六角があります。なので☗5六飛と歩を払いました。これが銀取りになっているので☖6五銀はこの一手。
今度は☗8六飛からの飛車交換は後手に分がありそうです。右に逃げる手はあったかもしれませんが,成れるのですから☗5三飛成とするのは自然に思えます。
後手はこれが読み筋だったようで☖5六歩。☗同歩は☖3五角で終了なので☗7九王と早逃げしました。それでも後手は☖3五角。
後手の攻めは快調ですが,先手が悪くなったというわけでもありませんでした。
第一部公理一の意味 は,存在するものは実体substantiaであるか,そうでなければ実体の変状substantiae affectioである様態modiであるかのどちらかであるということでした。つまりそれ自身のうちにあるesse in se実体と実体のうちにある様態のどちらかだけが存在するのであり,それ以外には何も存在しないのです。これは存在するあらゆるものが実体のうちにあるという意味で,内在の哲学の論拠になるのですが,それと同時に,それ自身のうちにあらゆるものを含む実体が存在するという意味で,一の存在論でもあるのです。内在の哲学を採用するとその存在論が必ず一の存在論になると結論していいのかどうかは僕には分かりません。しかし少なくともスピノザの哲学のように,内在論を徹底的に推進していけば,その存在論が一の存在論にならざるを得ないのは間違いないところだと思います。
さらにこの公理Axiomaには僕が第一部公理一の実在的意味 といっているものが含まれています。すなわち第一部公理一を公理として採用する限り,実体が存在するか,そうでなければ何も存在しないかのどちらかでなければならないということが帰結するのです。しかし何も存在しないということはそれ自体で不条理でしょう。したがって実体は確実に存在するのです。いい換えれば,それ自身のうちにあるものは確実に存在するのです。つまりそれ自身のうちにあるものというのは,仮定としてあるいは名目的にそのようにいわれるのではなく,実在的なものとしてそのようにいわれていると解さなくてはなりません。こちらの説明の方が,なぜスピノザの哲学が,多の在論ではなくて一の存在論であるのかということを分かりやすく理解できるかもしれません。
何度かいっているように,『エチカ』の第一部の最初の方には,実在的な意味はもたず,名目的にそのようにいわれている定理Propositioがいくつか存在しています。しかしそれが実在的な段階に突入すると,一の存在論はさらに徹底されます。それが第一部定理一四 および第一部定理一四系一 で,そこでは存在する実体は神 Deusだけであるということと,神は唯一 であるということが主張されています。つまり単に実体のうちにすべてが存在するだけでなく,実体自体が一なのです。
⑯-4 の第2図から,後手は☖5四歩と突いていきました。
これには☗6四角と取る一手でしょう。そこで☖5二金とか☖6二飛とかすれば穏やかな進行に戻ったかもしれません。しかし☖5三銀と上がりました。
角を引いては後手の注文通りですから先手としても☗3五飛と角を取る一手。☖同歩と取り返すのは☗5三角成で銀損ですから後手も☖6四銀と角の方を取る一手。飛車取りが残っているので先手は☗3四飛と取りました。
後手はさらにここで☖5五歩と突きました。☗4七銀と逃げてしまうと☖2五角と打たれ,☗6四飛は☖4七角成でこれは後手がいいでしょう。☖2五角に☗3七飛と逃げ☖4五桂なら☗2七飛というのはあったかもしれませんが,どうも形が窮屈です。よってすぐに☗6四飛と取り,☖5六歩と進みました。
第2図となって角と銀が総交換という派手な中盤戦となりました。
議会派 の出身であったフッデ Johann Huddeが,王党派 がオランダの政治の実権を握った後にもアムステルダムAmsterdamの市長でいることができたのは,フッデ自身が党派的な人物ではなかったということの証明でしょう。そして同時に,実権を握っていた王党派の中心にも,フッデがアムステルダム市長でいることを許容する,党派性から遠ざかっていた人物がいたからだと推定することができます。
スピノザが党派的ではなかったということは,王党派のコンスタンティン Constantijin Huygensと深い交際があったという事実からだけでなく,『国家論 Tractatus Politicus』で主張されていることからも明らかだと僕は考えます。『国家論』は,君主制,共和制,民主制という各々の国家制度が,どのようなシステムの下でその制度下に暮らす市民Civesにとって最良のものであり得るかということを検討した書物でした。スピノザはこれらの制度の中では民主制が最善であると考えていました。つまり民主主義者であったわけです。民主制の部分はスピノザの死によって中途で終っています。『スピノザの生涯 』を考察したときにいったように,その部分には明らかにスピノザ自身の哲学の裏付けを欠く,あるいはそれに反する内容が含まれていました。しかしここでの考察においてはそのことを問う必要はありません。民主主義者であったスピノザが,君主制についても共和制についても,その制度下において市民にとっての最善を模索していたということが重要です。つまりスピノザは民主主義者ではあったのですが,だからといって君主制や共和制を頭から否定したわけではなく,そうした制度の下でも市民にとって最善なシステムがあると認識していたわけです。これは君主制や共和制を絶対的に否定していなかったということの,紛れもない証であるといわなければなりません。つまりスピノザは,民主主義についても党派的でなかったことになるのです。
なお,『国家論』についてアルチュセールLouis Pierre Althusserとの関係で述べておけば,土地と住宅の公有 が,君主制における最善の政策としてあげられていたことは指摘しておくべきでしょう。君主制とは特権階級の独裁であり,スピノザは土地や住宅を公有することは,独裁下での政策とみていたのです。
⑯-3 の第2図の☗4五歩がなぜ意外な手であるかというと,この局面では先手の7六の歩が浮いているからです。先手が研究してきていることは後手も承知だったでしょうが,それでも☖7六銀と歩を取りました。
これは角取りですし,先に☗4五歩と突いておいた関連から先手の☗4四角は必然手といえるでしょう。
角を交換すると後手の歩が伸びてきて,これは先手の言い分が通る形。なので☖3三桂で交換を拒否するのも当然といえます。
先手はここで☗3六歩と突いて跳ねた桂馬の頭を狙いにいきました。これを受けるには☖1三角しかありません。先手は☗3五歩。
すぐに☖同角は角交換になって☗3四歩と打たれます。ですから☖4三歩☗5五角としてから☖3五角と取るのも当然の進行でしょう。飛車取りなので先手は☗3六飛と逃げました。
ここで一段落したかのようですが,この将棋はここからさらに激しい変化に進みます。
ここまでの説明から分かるように,Xに関してその意志voluntasがないというのは,Xに関してそれを肯定する意志作用volitioが存在しないという意味です。あるいはXに関して,それを否定する意志作用があるという意味です。そして僕たちが一般的に意志の有無について言及する場合は,スピノザの哲学で説明すればこのような意味を帯びているのです。僕は今回の件については,保険会社の社員とも話をしましたが,保険金を請求する意志がない人を受取人として指名することはできないと言ったとき,このような意味を帯びていた筈です。つまり,妹に保険金を請求することに否定する意志作用があるなら,いい換えれば保険金を請求することを肯定する意志作用がないなら,僕の保険金の受取人として妹を指定することはできないという意味であった筈です。
僕は,保険金を請求する意志が妹には存在しないといいました。ですが,それはこのような意味ではないのです。僕の判断では,保険金を請求することを肯定する意志作用もないし,保険金を請求しないことを肯定する意志作用もないという意味で,妹には保険金を請求する意志はないと解するのです。
第二部定理四九 および第二部定理四九系 から分かるのは,Xを肯定するのであれ否定するのであれ,そういう意志作用が存在するならXの観念ideaが存在するということです。したがって,Xに関してそれを肯定する意志作用はないしそれを否定する意志作用もないということは,Xに関する観念がないという意味なのです。僕はこのような意味で,妹には保険金を請求する意志はないといったのです。そもそも妹には僕の生命保険金の観念を有していないばかりでなく,一般的に生命保険という観念も存在しないのです。個々の観念と個々の意志作用は同じものなのですから,観念がなければ意志作用が存在する筈はありません。
このような場合も,意志作用が存在しないということができます。少なくともスピノザの哲学ではいうことができます。つまり,スピノザの哲学においてXについて意志がないというのは,単にXについてそれを肯定する意志作用がない場合のほかに,Xの観念が存在しない場合も含まれていることになります。
詳しく紹介する将棋は第44回NHK杯テレビ将棋トーナメントの準決勝の将棋です。これは1995年2月に収録されたものです。
第1図は2 の第1図と同一の局面です。1 の将棋と同じ対戦カードで,2も後手は同じ棋士ですから,先手は自身から誘導すればこの局面までは進むだろうし,ここまで進めば☖6五銀とぶつけてくるだろうと予想していたものと思います。
後手も先手の誘導に乗る形で進めてきたわけですが,先手に何らかの対策があることは理解していたでしょう。2の将棋は必ずしも後手がうまくいったわけではないかもしれませんが,勝ったのは後手であり,手を変える必要があるのは先手だからです。ですからその研究を避ける手段もあったわけですが,注文通りに☖6五銀と指しました。
先手はここですぐに手を変えました。☗4五歩と突いたのです。2の将棋は☗同銀☖同歩に☗4五歩だったので,それと比べれば銀の交換をせずに歩を突いたということになります。交換の有無はともかく,☗4五歩が有力な対策であるという認識が先手にはあったということだと思います。
後手も先手が対策を用意していることは分かっていたでしょうが,ここですぐに変化してくるのは意外だったのではないでしょうか。
スピノザの哲学による精神分析学の正当化はフロイトSigmund Freudにとって邪魔であったというのは僕の推測です。ですからフロイトが本当にそう認識していたかは不明です。ただ,そういう正当化は不要であったということはフロイト自身がいっているのですから,これは事実であると判断しなければなりません。
僕は医学とか生理学,生物学といった学問は自然科学に属するとみなします。一方,社会学とか心理学,文化人類学といった学問は人文科学であり,自然科学であるとはみなしません。フロイトは心理学の文脈で語られることもある学者で,その限りにおいては人文科学者であると僕は解します。しかし精神分析学は心理学よりは医学に類似する学問なので,僕は自然科学とみなします。よって精神分析学者としてのフロイトは自然科学者です。これはたぶんフロイト自身もそう認識していたであろうと僕は思います。『主体の論理・概念の倫理 』にも,たとえばラカンJacques-Marie-Émile Lacanのような精神分析学者が論考の対象となっていますが,これは自然科学者が研究対象になっていると僕は解します。つまりこの点においては,数学者が研究対象となっている場合と同じように解するということです。
フロイトは自身の精神分析学に哲学的正当化は不要であったといっています。これは裏を返せば,精神分析学を哲学的に正当化することができるということをフロイトは知っていたということです。要するにフロイトは,精神分析学は自然科学であるけれど,そこには形而上学も含まれているし方法論も含まれているということには気付いていたのです。そしてフロイトの場合はただそれに気が付いていたというだけではありません。フロイト自身の学説がスピノザに負っているということを認めるとフロイトはいっているのですから,スピノザの哲学はフロイトの精神分析学を哲学的に正当化することができるとフロイトは認識していたと考えなければならないからです。つまり,フロイトは単に精神分析学に形而上学と方法論が含まれているということに気付いていただけではないのです。どのような哲学が精神分析学を正当化できるのかということも知っていた,そういう意識もあったのです。
⑯-1 の将棋が短手数で後手の勝ちに終わった最大の要因は,第2図以降の後手の失着にあったのですが,第1図のように組んでしまうといきなり銀をぶつけられてから☖6六歩と突かれて先手としては面白くありません。なので飛車先交換腰掛銀を選択した場合には,第1図のようには組まないようにする指し方が求められることになりました。先手がそういう工夫をした将棋としては第15回日本シリーズの2回戦があります。1は1993年3月,こちらは1994年10月に指されました。
この第1図のように,6九玉,5八金の形に組むのではなく,6八玉の形にするのが工夫。それが1の将棋との最大の違いで,後手は☖4三銀直と上がれていません。この銀は後に5四に上がって攻めに厚みを加える意味があるので,それを阻止するのは先手にとっては得なのです。そしてここで☖4三銀直なら☗6六歩と突けます。消極的かもしれませんが,4三に銀を上がった後手は進展性に乏しいのに対し,先手は銀冠に組んでいくことができるので,ゆっくり指せば先手が十分になりそうです。
よってここでは☖4一玉とか☖5二金が普通でしょう。ですが後手はこれでも☖6五銀とぶつけてきました。
そこから☗同銀☖同歩は必然と思える進行で,先手は☗4五歩と突きました。ここで☖6六歩なら☗同歩ではなく☗同角と取れます。☖6五銀には☗4四角と出ることができるからです。よって後手はそこで☖4三銀としました。
第2図は先手の手番なので,主導権を握って攻めていくことができました。ただ,後手の居玉が意外といい形になる展開となり,最後は攻め合いになって後手が勝っています。
第2図でも先手が悪いということはないと思います。ですがこれから紹介する将棋は先手がさらに工夫をしたので,中盤が派手な応酬になりました。
障害支援区分認定 に関連することといっても,このときの電話は主治医の件とは異なった内容です。支援計画書 の作成もそのひとつであったように,妹の障害区分を認定してもらうためにはほかにもいろいろな条件があって,そのひとつに,区の担当者による聞き取り調査というのがありました。
この聞き取り調査というのは,妹自身に対して,そして妹の保護者である僕に対して,さらに日常的に妹の世話をしているグループホームおよび通所施設の職員に対してのものです。それぞれを別個に行えば手間が掛かりますから,一度にその三者から聞き取りを行います。このときの電話は,区の担当者が通所施設と相談した結果,その調査を12月12日の午後1時から通所施設で行うことになったので,参加するようにとの通告でした。
認定をしてもらわなければ困りますから出席するほかありませんので承諾しましたが,これは少々びっくりするような内容ではありました。日時に関する相談は僕には事前にはなく,区役所と通所施設だけで決定してしまってあったからです。僕は時間の都合はいくらでもつけることができますから,いつになっても出席することは可能ですが,だれでもそうであるというわけではなく,むしろ日時を自分の方から指定したいという保護者の方が多いのではないかと思います。どの保護者に対してもこのような形で事後通告されているのかどうかは知りませんが,もしそうであるなら,見直しの余地がある決定方法ではないかと思えます。
11月29日,木曜日。郵便局に行きました。これは母のゆうちょ銀行の口座を相続するにあたって,ゆうちょ銀行の本社に送付するための書類の確認のためでした。そして不備があると指摘されました。僕は母の除籍謄本だけを持参したのですが,母の婚姻後のすべての戸籍が必要であるとのことでした。母の除籍謄本の戸籍は,作成し直されたもので,それ以前のものがあったからです。なので本社への書類の送付はまだできませんでした。
午後,みなと赤十字病院から電話がありました。これは簡易保険の入院と手術の請求のために,15日に申請してあった書類が完成したというものでした。
今回は中盤で派手な応酬があった第44回NHK杯の準決勝の将棋を紹介するのですが,その将棋に関連する将棋を事前に何局か紹介します。まずは第11回全日本プロトーナメントの準決勝の将棋です。
飛車先交換相腰掛銀の将棋で,局面は先手が銀を移動させたところ。その前に後手が玉も6一の金も動かさずに☖4三銀直と雁木の形を作ったのが珍しい指し方で,あるいは新手であったかもしれません。
狙いは第1図でいきなり☖6五銀とぶつけることにありました。この戦型はこのように銀をぶつけるのが狙い筋になるのでガッチャン銀という俗称があるのですが,このように居玉で後手からぶつけていくのは考えにくく,先手も意表をつかれたのではないかと思います。
この局面は放置しておけば☖7六銀と進出されてしまいますから☗同銀☖同歩は必然です。そこで先手は☗8六歩と銀冠を目指したのですが,銀の交換で伸ばした歩を☖6六歩と突き捨てるのが好手でした。
☗同角は☖6五銀と打たれてしまって先手がいけません。なので☗同歩ですがこれは後手の大きな利かし。この後,先手に失着が出たこともあるのですが,64手という短手数で後手の勝ちになっています。
こうした例外は,食の場合にだけ発生するわけではありません。たとえばだれかが欠伸をしているのを目撃することによって自分も眠気を感じてしまうとか,あろ特定の音を聞いたりある特定の匂いを嗅ぐことによって尿意なり便意なりを催すということは僕たちには確かにあるのであって,こうした現象はそのような表象像imagoなしにはあり得ません。つまりそれは第二部定理一二 だけで説明することができるわけではなく,第二部定理一七 ないしは第二部定理一七系 によって説明されなければならないのです。
睡眠や排泄の場合より,食の場合の方がこうしたことは頻繁に生じるといっていいかもしれません。これにもはっきりとした理由があります。それは僕たちにとって食欲という欲望cupiditas,あるいはその観念ideaは,別の知覚perceptioである味覚や味覚から発生する喜びlaetitiaと関連している場合が多いからです。これに対して睡眠とか排泄に関連する欲望は,喜びとの関連でいえば,その欲望自体が充足される喜びとは別の喜びと関連していることが少ないのです。このゆえに僕たちは,食欲には二種類があるということは理解しやすいのですが,睡眠や排泄と関わる欲望にも実は二種類あるのだということには気付きにくいのです。だから僕は食との関連で説明するのが分かりやすいと思い,まずその例を用いたのです。
ただし,次の点にも気を付けておいて下さい。
食欲という欲望が,その欲望自体が充足されるのとは別の喜びと結び付きやすいのは,それだけ多くの食糧が存在している,あるいは存在していると表象されるからです。いい換えれば食べきることができないほどの食糧で溢れかえっているからです。ですからもしも食糧が極度に不足しているという状態では,食欲自体が充足される喜びが,それと関連する別の喜びよりずっと大きくなるでしょう。他面からいえば,食欲が充足される喜びが,それとは別の喜びとはそれだけ関連付けにくくなるでしょう。よって人間はそのような状態に置かれれば,あるいは現にそのような状態に置かれている人間は,食に関する観念も,排泄に関する観念や睡眠と関連する観念と,そう大差がないものとして認識するcognoscereことになります。
⑮-4 の第2図は先手玉に詰みが発生しています。すでに40秒将棋でしたが後手は読み切っていました。
☖3八銀成☗同玉はこれしかありません。そこで☖4八金と捨てるのが好手。これでどう応じても先手玉は詰んでいます。
実戦は第1図以下☗4八同玉☖5八金☗4七玉☖4八飛☗3六玉☖4五飛成まで指して先手の投了となりました。
投了図以下は☗2六玉と寄るのが最も長引きますが☖2五歩☗3七玉☖3六歩☗2八玉のとき☖3九銀と打つ手があり,先手の応手に関わらず☖4八龍で詰みます。
4月2日,月曜日。妹を通所施設まで送りました。今年度から送迎 の時間,といっても迎えの時間だけが変更になりましたが,このことはこの日に伝えられたものでした。
母は夕食の支度はずっと続けていましたが,この日はそれまでより品数が少なくなりました。これはわき腹が痛かったからでした。癌に由来する痛みであったと思われます。ただ痛みの発現 以降,こうした痛みは発生したり小康状態になったりが続いていて,この時点でも母はまだ痛み止めとして処方されたカロナールは飲んでいませんでした。これはそもそも母は薬を服用するということ自体が好きではなかったということと関係しています。鉄剤を服用していたのは,輸血 する以前の状態には貧血が関係していて,輸血によってそれが楽になり,かつ鉄剤の服用を始めたことによって,輸血以前の状態には至らなかったため,効果があるということを理解していたからだと思われます。しかし同時に処方されている胃薬については服用しなかったのは,飲んでいないからといって特段の影響が発生しているという理解がなかったからでしょう。カロナールに関してはまだ飲んだことがありませんでしたから,それがどの程度まで効果的であるのかということをよく分かっていなかったので,飲むという決意になかなか至らなかったのだと思います。とはいえ痛みは辛いものですから,もしそれを我慢しているという方がいるようであれば,医師から鎮痛剤が処方されているなら,痛みを感じたならすぐにそれを服用した方がよいということは,僕は現時点ではアドバイスします。
4月4日,水曜日。介護保険を認定してもらうためには,医師の診断書が必要とされます。それは3月30日に届いていました。母は認定を受ける気を失いかけていたのですが,書類があるのならそれは提出しておいた方がいいと僕には思えましたので,僕がこの日にみなと赤十字病院に行きました。ところが,そのためには問診票も合わせて提出しなければならないとのことでした。問診票は僕が適当に書くこともできましたが,母が正しく書いた方がよかろうと思い,この日は病院で受け取った問診票を持ち帰っただけです。
⑮-3 の第2図で,まず思い浮かぶ手は何かと問われれば,将棋のルールを知っているなら☗8五同桂と答える人が多いのではないでしょうか。実戦の先手の指し手もそれでした。
ところがこの手が先手の敗着。ただ,最も自然に思える手が敗着になるということは,この図はすでに難解だったといえるでしょう。
正着は☗7三香成。これを☖同王は☗8五桂と王手で馬を取られてしまうので問題外。☖9四王と逃げるのも☗8二龍が馬取りの詰めろで後手は窮します。よって☖7三同金と取るのですが,そうしておいて☗8五桂と馬を取っておけば,変化の余地は多くありますが先手が勝てていました。
単に☗8五同桂は詰めろではありません。よって後手は☖3八銀成☗同金と取ってから再び☖4九銀と打ちました。
先手はそこで☗7三桂成。これを☖同金と取ると,先に☗7三香成としたのと似たような展開になる上に銀を1枚入手していますから先手が勝てます。ですがこの場合は☖9四王と逃げる手が成立しました。これだと先手は☗8二龍と取るほか攻める手段がありません。
第2図の後手玉は受けがありません。よって勝つには先手玉を詰ますしかありません。
Sさんの話だと,妹は作業所でもグループホームでも,優等生的に振る舞っているという印象を受けました。それでもそれは妹がそうしたいと思ってそうしているのでしょうから,迷惑をかけているというわけではないので,そのままでいいだろうと思いました。一方,妹の睡眠時間 が大きく減少することを僕は心配していたのですが,少なくともグループホームや通所施設にいる間は,それは問題とはなっていなかったようです。妹の身体がその生活に慣れてくるということはある筈で,この時点で心配ないのであれば,とくに対策を講じる必要はなく,しばらくは見守ってゆくだけでよいだろうと思いました。
この面談の中で,妹の支援計画の計画書を作成しなければならないという話がありました。この種の計画書は従来からあり,これは施設の方で作成していました。正直にいうと僕などは妹は幸せな日々を送っていられるのであればそれで十分であり,何か新しいことができるようになってほしいというような願望はまったくありません。そもそも40歳を超えた人間にそのようなことを望むのは,知的障害者であるかないかに関係なく,酷であろうと思うのです。ですから,妹が入所するにあたってもこの計画書を作成してもらい,その結果などもこの日の三者面談で報告されたのですが,僕はあまり大きな関心を抱いてはいませんでした。
この日の話で出た支援計画書というのは,そうしたものではなくもっと公的性格を帯びたものです。こうした施設を利用する場合には,第三者,主に社会福祉法人ですが,この第三者が間に入って計画書を立て,それを行政で判断して福祉サービスの支給を決定するというものです。したがってこの計画書が存在しないと,サービスを受けることができません。つまり妹はグループホームに入所し続けることができなくなるのです。厳密にいうとこれは依頼しなければならないというわけではなく,自分で作成することもできますが,その場合には所定の書式などを調べなければならず,とても大変です。
これが事業者に依頼すればすぐにできるというものではありませんでした。現時点でも依頼できていません。
⑮-2 の第2図の☗7七桂は,後手が馬で取れば後手玉が詰みで,かつ当たりになっていた8五の銀にヒモをつける手になっています。ですから一見するとよさそうな手なのですが,実際には失着でした。というのはこの手は銀にヒモをつけてはいますが☗8四歩と打っていけば後手玉が詰むというわけではありません。つまり詰めろになっていないのです。よってここで後手は受ける必要がなく,☖4九銀と打つことができました。
打たれたからといって先手が負けになっているわけではありません。でも驚いたことにこの局面は意外なほどに難しくなっているのです。それでも先手は不用意に☗7三香成としてしまい☖同馬と王手で取られさえしなければ勝てるという楽観はあったかもしれません。
☗4八金引と受けたのはおそらく冷静な一手で,この銀をこのまま手持ちにできれば先手が勝てそうです。そこで後手は☖8五馬と銀を取りました。
この手は逆転するためにはこう指すほかないと意味の勝負手だったと思います。
1月15日,月曜日。通常であれば僕が妹を通所施設に送って行くところでしたが,この日は伯母と母に頼みました。というのもこの日は僕の内分泌科の通院の日に当たっていて,その診察の予約が午後1時半からでした。妹を送って行くとそれには間に合いません。というか,1時半なら間に合いますが事前の検査等を入れれば間に合いません。なので頼んだのです。妹の送迎に関して僕が担当を外れたのは,今までのところこれ1回きりでした。僕の通院は必ず月曜で,月曜は妹が週末をグループホームで過ごさない限りは送って行かなければなりません。ただ,この日に送ることができなかったのは診察の時間が午後1時半になっていたためで,これ以降は診察の時間を遅らせてもらうようにしました。なので通院と送りがかち合っても,これ以降は送って行くことができるようになっているのです。なお,僕の診察は大抵の場合は午後1時でした。この日が30分遅くなっていたのは,前の週がハッピーマンデー で休みだったことが影響していたものと思います。
病院に到着したのは午前11時50分でした。ただ,中央検査室は意外なほどに空いていて,すぐに採血をすることができました。よってその後で採尿をして,注射針の処理も済ませました。この後,院内の食堂で昼食です。
中央検査室が空いている場合は内分泌科も空いているというケースが多く,それはこの日も同様でした。予約の午後1時半より少し前に診察が始まりました。
HbA1c は7.4%で前年の11月 よりかなり高くなっていました。ただ,それでも低血糖がなくなっていたわけではありません。全体の3.4%が低血糖でした。前回は夕食前と睡眠前に集中していたのですが,インスリンを減らした効果でそちらは0だったのですが,朝食前と昼食前には出ていたのです。そこで今度は持続効果型のインスリンを0.01㎎減らすという措置が採られることになりました。睡眠の前には低血糖が出ていないのに,朝になると血糖値が下がっているというのは,超即効型はよく効いていて,持続効果型が効きすぎているということだからです。ほかには異常がありませんでした。
⑮-1 の第2図から,後手は☖9五馬という手を指しました。
この馬は7三に利いています。部分的にいえば☗7三香成を☖同馬と取ったところで☗7五桂で後手玉は詰みです。ただ,☖7三同馬と取った手は先手玉に対する王手になっているので,この詰みの受けにはなっているのです。
先手はここでは☗7三香成とはできません。ただこの馬は8四にも利くようになっているので,打ち歩詰めのために打てなかった☗8四歩は打てるようになっていて,以下☖同馬☗同銀☖同王と進めておけば先手が勝てたろうと思います。ただ,この手順は後手玉を上に逃がすような感があるので,先手は不満に感じたようです。そこで別の手を指しました。それが☗7七桂です。
これはただですが☖同馬なら今度は☗7三香成を☖同馬と王手で取ることができなくなっているので,その順は先手の勝ちです。
搬入にはKさん に応援を依頼してありました。Kさんは自宅からグループホームに行く方が便利だった筈ですが,場所 が分かりません。ですからまず僕たちの家に来てもらい,9時半過ぎにバスで上大岡に向いました。場合によっては上大岡からタクシーで行くことも視野に入れていましたが,ターミナルでバスを降りたすぐのところに,グループホームの最寄りの停留所へ向う京急のバスが停車していましたので,それに乗り込みました。この日は行きだけでなく帰りもバスでの移動だったのですが,母はそれで大丈夫だったのです。
バスを降りてから道に迷ってしまいました。グループホームは見学 のときに行ったきりで,しかもそのときは自動車で案内されましたから,迷ってしまったことは仕方ないかと思いますが,母に余計な身体の負担をかけてしまうことになりました。バスを降りたら少し直進して,左に曲がるのですが,曲がらなければならない道よりひとつ前の道を曲がってしまったようで,その後でぐるりと1周するような形でホームに到着したのです。建物の横に,荷物の運搬を依頼した業者の軽トラックはすでに到着していました。
ホームの方に挨拶をして,荷物を妹の部屋に搬入しました。搬入といっても,これは単に運び入れるという意味ではありません。たとえば寝具などはベッドの上に敷かなければなりませんし,衣類なども整理して箪笥にしまうといった作業を伴っています。時期的なものもあり,1年を通して使用するものを除外すれば大体のものは冬用のものだけでしたが,妹ひとり分の,通常より量が少ない引越しに伴う作業を行ったというように解釈してくれた方が,実情には近かったと思われます。妹の部屋は2階ですが,すでに説明したようにエレベーターがありますので,搬入はそれほど大変ではありませんでした。
Kさんと母が親しくなったのは,単に同僚であったということだけでなく,母と同様に特殊学級,現在の特別支援学究を担当していたということもありました。このホームで暮らしている人のひとりは,かつてのKさんの教え子であったということが,これは偶然ではありましたが判明することになりました。