スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

神と悪霊&色

2025-02-01 10:47:38 | 哲学
 汎神論と汎悪霊論は,スピノザの哲学が唯名論という特徴を有する以上,どちらであっても同じであり,したがって『生き抜くためのドストエフスキー入門』において佐藤が指摘していることは,スピノザの哲学に対しては成立しないと僕はいいました。しかしこの説明だけでは,なぜ成立していないのかということがよく分からないという人もいるだろうと僕は推測します。なのでここでは別の観点からこのことを説明していきます。
                           
 僕が施したような唯名論の観点からの説明に,どこか納得がいかないと感じる人がいるとすれば,それはたぶん,その人が神Deusに対してまた悪霊に対して,あらかじめ価値を有しているからです。ここでいう価値というのは善悪を意味します。つまり,神は善bonumであって悪霊は悪malumであるということを規定の事実であるように,意識的にであれ無意識的にであれ抱いていると,僕の説明は十分ではないと感じられることになります。すなわち,いくら汎神論と汎悪霊論が,絶対に無限な実体substantiaに対する命名の差異にすぎないとしても,汎神論から生じる世界は善なる世界で,汎悪霊論から生じる世界は悪なる世界になるであろうということになり,実際には大きな差異があると感じられるようになるからです。基本的に佐藤の指摘が文学評論としては成立するのは,この価値観を規準に語っているからなのです。
 スピノザの哲学では善も悪も事物の本性naturaに属するものではなく,それを認識するcognoscere人間の現実的本性actualis essentiaに依拠します。これは第四部定理八から明らかです。したがって神は本性の上で善であり,悪霊は本性の上で悪であるということは成立しません。むしろ神も悪霊も,ある人からすれば善だけれども別の人から見れば悪であるという場合がありますし,同じ人間が神ないし悪霊を,あるときは善とみなし別のときには悪とみなすということもあるのです。
 スピノザの哲学で神といわれるとき,それは善なるものを意味するわけではないし,悪なるものを意味するわけではありません。善悪に関しては中立だとみなす必要があります。神を悪霊といい換えても同じことが成立するので,汎神論と汎悪霊論は,スピノザの哲学では同じことになるのです。汎神論の世界は善なる世界というわけではありませんし,汎悪霊論の世界が悪なる世界というわけでもないのです。

 このことがネコにだけ妥当するわけではなく,たとえばイヌにも妥当しまたウマにも妥当するといったことは,とくに説明するまでもなく明白でしょう。したがってネコにはネコの実体substantiaがあるように,イヌにはイヌの実体があり,ウマにはウマの実体があるというように,それこそ無限に多くのinfinita実体があるということになるでしょう。第一部定理一六により,無限に多くのものが無限に多くの仕方で生じるのですから,実体をこのような仕方で規定する限り,どうしてもこのような結論にならざるを得ないのです。
 以前に『ゲーテとスピノザ主義』について考察したときに,ゲーテJohann Wolfgang von Goetheがいう原型というのがスピノザの哲学における実体に該当し,メタモルフォーゼが実体の変状substantiae affectioすなわち様態modiに該当するという形式で,ゲーテの植物学とスピノザの哲学の関連性を説明したことがあります。このときの植物の原型を植物実体として理解すれば,これはここで考察している実体に即したような形で,といっても植物というのは,ネコやイヌ,ウマよりは広きにわたるといわなければなりませんが,論理構成上は同じものになっているといえます。単純にいえばこのような植物実体というものを想定することができるのであれば,動物実体というものも想定することができるようになる筈で,この場合も結局のところは第一部定理一六により,無限に多くの実体が存在するという結論にならざるを得ないからです。
 このように実体を規定した場合,この例で示したネコの色とか模様とか動きといったものは,それ自体で示すことができないので,実体とはなり得ません。たとえば黒という色は,ネコなりイヌなりウマなりの色を表すから意味をなすのであって,そうでなければ意味をなしません。模様とか動きといったものもそれと同様です。なのでこれは様態に該当するでしょう。実際に第一部定義五では,様態はほかのもののうちにあるといわれていて,そのほかのものというのをここでいっている実体に該当するとすれば,まさに色とか模様とか動きといったものは,ウマとかイヌとかネコのうちにあるといえることになるのであって,様態とはほかのもののうちにあることになるでしょう。

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