先生の秘密が何であったのかを探るテクストとして,石原千秋の『『こころ』大人になれなかった先生』では,僕が示したのとは別の部分が指摘されています。
『こころ』は上十三と十四の間に亀裂があります。十三では先生と私が散歩をしながら話をするのですが,十四では先生の家でその話の続きをしている設定となっているからです。この設定の不自然さは,十四で先生の部屋で話している内容を,隣の部屋にいる奥さんに聞かせる必要があったためかもしれません。十四の冒頭ではもう家に戻っていると僕は判断しますが,十四の途中で帰ってきたと読解できなくもないことも認めます。
この会話の中で,先生は奥さんも信用しないのかと私に尋ねられ,自分自身を信用できないので他人のことも信用できないという主旨の答えをします。そしてそれは,考えた上でのことではなく,自分自身がやったことに裏打ちされたものだと説明します。
ここで隣の部屋の奥さんが先生を呼びます。先生は中座しますが,素早く戻ってきます。ここからかつて示した先生の忠告へと続いていきます。
なぜ奥さんは呼び掛けたのか。私が書いているのですから真相は不明です。単に用事があったからかもしれません。でも,石原が読解しているように,隣の部屋でふたりの話を聞いていた奥さんが,先生が言ってはいけないことを言ってしまうのではないかと心配になり,たしなめるために先生を呼んだという可能性も否定はできません。奥さんが話を聞いていることは承知の上だったけれども,私はそれを忘れて質問してしまった,というように私は書いているからです。
石原の読解が正しければ,先生の秘密というのは錯綜したものであることになります。最終的に先生と私の間だけの,奥さんに対する秘密が存在することは間違いないと僕は思いますが,少なくともこの時点では,先生と奥さんだけが共有している私に対する秘密も存在しているということになるからです。
ファン・ローンまたはメナセ・ベン・イスラエルを介することによって,スピノザとレンブラントには知り合う可能性がありました。これと同じ関係が,スピノザとフェルメールの間にも存在したなら,ふたりが知り合いであった蓋然性は高くなります。とりわけメナセのような,当事者自身が著名人であるという場合には,その交友関係の広さから,ほかにも共通の知人が存在する可能性も増すことになります。いい換えればその分だけ,スピノザとフェルメールが知己になる可能性も高くなるわけです。
『フェルメールとスピノザ』でマルタンがこの推理をするとき,仲介者として取り上げているのは顕微鏡学者のレーウェンフックです。ルーヴェンフックと表記する方が適切であるかもしれませんが,大概はレーウェンフックで通っていますから,僕もそれに倣うことにします。
レーウェンフックが産まれたのは1932年。これはスピノザそしてフェルメールが誕生したのと同年です。つまりこの3人は同じ年齢です。誕生の地はフェルメールが住み,スピノザの終焉の地となったハーグに近いデルフトです。研究もそこで行いました。したがってレーウェンフックがスピノザとフェルメールの仲介者になり得る歴史的条件と地理的条件は整っています。
レーウェンフックとフェルメールが親しかったことは疑問の余地がないと思われます。フェルメールが死んだとき,遺産管財人となったのがレーウェンフックであったからです。この事実は,フェルメールの生存中からふたりが親しかったことの証であると僕は考えます。それもただ普通に親しいというより以上の親密な関係があったものと想定してよいと思います。
一方,レーウェンフックとスピノザの間に何らかの関係があったということを証明するものはありません。僕はレーウェンフックに関連するものは,顕微鏡学関係も伝記に類するようなものも読んだことはありませんが,スピノザに関連する書物のうち僕が読んだものの中で,スピノザとレーウェンフックが知り合いだったと指摘しているものは皆無です。だれも指摘していないなら,確たる資料はないと判断してよいでしょう。
『こころ』は上十三と十四の間に亀裂があります。十三では先生と私が散歩をしながら話をするのですが,十四では先生の家でその話の続きをしている設定となっているからです。この設定の不自然さは,十四で先生の部屋で話している内容を,隣の部屋にいる奥さんに聞かせる必要があったためかもしれません。十四の冒頭ではもう家に戻っていると僕は判断しますが,十四の途中で帰ってきたと読解できなくもないことも認めます。
この会話の中で,先生は奥さんも信用しないのかと私に尋ねられ,自分自身を信用できないので他人のことも信用できないという主旨の答えをします。そしてそれは,考えた上でのことではなく,自分自身がやったことに裏打ちされたものだと説明します。
ここで隣の部屋の奥さんが先生を呼びます。先生は中座しますが,素早く戻ってきます。ここからかつて示した先生の忠告へと続いていきます。
なぜ奥さんは呼び掛けたのか。私が書いているのですから真相は不明です。単に用事があったからかもしれません。でも,石原が読解しているように,隣の部屋でふたりの話を聞いていた奥さんが,先生が言ってはいけないことを言ってしまうのではないかと心配になり,たしなめるために先生を呼んだという可能性も否定はできません。奥さんが話を聞いていることは承知の上だったけれども,私はそれを忘れて質問してしまった,というように私は書いているからです。
石原の読解が正しければ,先生の秘密というのは錯綜したものであることになります。最終的に先生と私の間だけの,奥さんに対する秘密が存在することは間違いないと僕は思いますが,少なくともこの時点では,先生と奥さんだけが共有している私に対する秘密も存在しているということになるからです。
ファン・ローンまたはメナセ・ベン・イスラエルを介することによって,スピノザとレンブラントには知り合う可能性がありました。これと同じ関係が,スピノザとフェルメールの間にも存在したなら,ふたりが知り合いであった蓋然性は高くなります。とりわけメナセのような,当事者自身が著名人であるという場合には,その交友関係の広さから,ほかにも共通の知人が存在する可能性も増すことになります。いい換えればその分だけ,スピノザとフェルメールが知己になる可能性も高くなるわけです。
『フェルメールとスピノザ』でマルタンがこの推理をするとき,仲介者として取り上げているのは顕微鏡学者のレーウェンフックです。ルーヴェンフックと表記する方が適切であるかもしれませんが,大概はレーウェンフックで通っていますから,僕もそれに倣うことにします。
レーウェンフックが産まれたのは1932年。これはスピノザそしてフェルメールが誕生したのと同年です。つまりこの3人は同じ年齢です。誕生の地はフェルメールが住み,スピノザの終焉の地となったハーグに近いデルフトです。研究もそこで行いました。したがってレーウェンフックがスピノザとフェルメールの仲介者になり得る歴史的条件と地理的条件は整っています。
レーウェンフックとフェルメールが親しかったことは疑問の余地がないと思われます。フェルメールが死んだとき,遺産管財人となったのがレーウェンフックであったからです。この事実は,フェルメールの生存中からふたりが親しかったことの証であると僕は考えます。それもただ普通に親しいというより以上の親密な関係があったものと想定してよいと思います。
一方,レーウェンフックとスピノザの間に何らかの関係があったということを証明するものはありません。僕はレーウェンフックに関連するものは,顕微鏡学関係も伝記に類するようなものも読んだことはありませんが,スピノザに関連する書物のうち僕が読んだものの中で,スピノザとレーウェンフックが知り合いだったと指摘しているものは皆無です。だれも指摘していないなら,確たる資料はないと判断してよいでしょう。