友好交流20周年の第36回サンタアニタトロフィー。クラシカルノヴァが右前球節炎で出走取消となり15頭。
最内枠から押してトーセンアドミラルがハナへ。ソルテが2番手でがっちりとマーク。セイントメモリー,ケイアイレオーネ,ゴーディーの順で続き,その後ろにカキツバタロイヤルとムサシキングオーが併走。最初の800mは48秒7のミドルペース。
3コーナーを回るとソルテがトーセンアドミラルの外に並んでいき,一時的に後ろとの差が開きました。トーセンアドミラルは4コーナーまでで一杯になり,ソルテが単独の先頭に。追ってきたケイアイレオーネは手応えがよさそうに見えたのですが,思いのほか差を詰めるに至らず,ソルテの優勝。ケイアイレオーネが2馬身半差で2着。ケイアイレオーネの外から最後は差を詰めたカキツバタロイヤルが半馬身差で3着。
優勝したソルテは先月の京成盃グランドマイラーズに続き4連勝。南関東重賞は3連勝で5勝目。今日は斤量が増えていて,転入馬も含めて相手強化と課題はありましたが,克服しました。久々だったとはいえ2着馬は重賞2勝の強豪ですから,これを退けた点には価値があったのではないでしょうか。レース振りが安定していますから,大きく崩れることは考えにくく,この路線ではしばらく中心的存在であり続けるでしょう。適当なレースがあれば重賞にも挑戦してほしいところです。父はタイムパラドックス。祖母のはとこに2003年の新潟ジャンプステークスを勝ったマルゴウィッシュ。Sorteはイタリア語で運命。
騎乗した金沢の吉原寛人騎手は南関東重賞は京成盃グランドマイラーズ以来の制覇。サンタアニタトロフィーは初勝利。管理している大井の寺田新太郎調教師もサンタアニタトロフィー初勝利。
スピノザとライプニッツの会見が史実として確定できるのは,ライプニッツがメモを残したからです。その中に,スピノザとデ・ウィットの関係の冒頭で示した,デ・ウィットの虐殺の後,それを非難する貼紙をしに行こうとしたが,大家によって止められたというスピノザの話があります。このことから分かるのは,スピノザとライプニッツの会見では,哲学的な話題だけが独占的に話されたわけではないということです。ライプニッツがいうように,何日間にわたって何度か話し合ったとすれば,それはむしろ自然なことであって,他愛のない世間話もあったと理解するのが妥当であると思います。だとしたら,ライプニッツが自身の行動についてスピノザに対して話したという可能性は否定できません。ライプニッツは直前にレーウェンフックを訪問しているのですから,そのことをスピノザに伝えたと仮定しても,極端に無理が生じるわけではないのです。
同じことが,ライプニッツとレーウェンフックの会見にもいえます。こちらの会見はそう長い時間であったわけではないようなので,スピノザの場合と同一視することはできません。しかしライプニッツが,自身のその後の行動の予定として,スピノザを訪問することをレーウェンフックに喋ったとして,それが極端に不自然であるということはできないでしょう。1676年の時点でこれをいうことは無意味ですが,こちらの場合の方が現在の論点としては重要です。
レーウェンフックがフェルメールに対してスピノザを紹介するとして,スピノザとレーウェンフックが会ったことがあるというのは絶対条件ではありません。同様に,スピノザがレーウェンフックのことを知っているということも絶対条件ではありません。レーウェンフックがスピノザのことさえ知っているならば,何らかの機会に,レーウェンフックがスピノザの名前をフェルメールとの会話の中で発することにより,フェルメールはスピノザを知ることになるからです。
要するに『フェルメールとスピノザ』におけるマルタンの推理を成立させるための最低限の条件は,レーウェンフックがスピノザを知っていたという点にあります。
最内枠から押してトーセンアドミラルがハナへ。ソルテが2番手でがっちりとマーク。セイントメモリー,ケイアイレオーネ,ゴーディーの順で続き,その後ろにカキツバタロイヤルとムサシキングオーが併走。最初の800mは48秒7のミドルペース。
3コーナーを回るとソルテがトーセンアドミラルの外に並んでいき,一時的に後ろとの差が開きました。トーセンアドミラルは4コーナーまでで一杯になり,ソルテが単独の先頭に。追ってきたケイアイレオーネは手応えがよさそうに見えたのですが,思いのほか差を詰めるに至らず,ソルテの優勝。ケイアイレオーネが2馬身半差で2着。ケイアイレオーネの外から最後は差を詰めたカキツバタロイヤルが半馬身差で3着。
優勝したソルテは先月の京成盃グランドマイラーズに続き4連勝。南関東重賞は3連勝で5勝目。今日は斤量が増えていて,転入馬も含めて相手強化と課題はありましたが,克服しました。久々だったとはいえ2着馬は重賞2勝の強豪ですから,これを退けた点には価値があったのではないでしょうか。レース振りが安定していますから,大きく崩れることは考えにくく,この路線ではしばらく中心的存在であり続けるでしょう。適当なレースがあれば重賞にも挑戦してほしいところです。父はタイムパラドックス。祖母のはとこに2003年の新潟ジャンプステークスを勝ったマルゴウィッシュ。Sorteはイタリア語で運命。
騎乗した金沢の吉原寛人騎手は南関東重賞は京成盃グランドマイラーズ以来の制覇。サンタアニタトロフィーは初勝利。管理している大井の寺田新太郎調教師もサンタアニタトロフィー初勝利。
スピノザとライプニッツの会見が史実として確定できるのは,ライプニッツがメモを残したからです。その中に,スピノザとデ・ウィットの関係の冒頭で示した,デ・ウィットの虐殺の後,それを非難する貼紙をしに行こうとしたが,大家によって止められたというスピノザの話があります。このことから分かるのは,スピノザとライプニッツの会見では,哲学的な話題だけが独占的に話されたわけではないということです。ライプニッツがいうように,何日間にわたって何度か話し合ったとすれば,それはむしろ自然なことであって,他愛のない世間話もあったと理解するのが妥当であると思います。だとしたら,ライプニッツが自身の行動についてスピノザに対して話したという可能性は否定できません。ライプニッツは直前にレーウェンフックを訪問しているのですから,そのことをスピノザに伝えたと仮定しても,極端に無理が生じるわけではないのです。
同じことが,ライプニッツとレーウェンフックの会見にもいえます。こちらの会見はそう長い時間であったわけではないようなので,スピノザの場合と同一視することはできません。しかしライプニッツが,自身のその後の行動の予定として,スピノザを訪問することをレーウェンフックに喋ったとして,それが極端に不自然であるということはできないでしょう。1676年の時点でこれをいうことは無意味ですが,こちらの場合の方が現在の論点としては重要です。
レーウェンフックがフェルメールに対してスピノザを紹介するとして,スピノザとレーウェンフックが会ったことがあるというのは絶対条件ではありません。同様に,スピノザがレーウェンフックのことを知っているということも絶対条件ではありません。レーウェンフックがスピノザのことさえ知っているならば,何らかの機会に,レーウェンフックがスピノザの名前をフェルメールとの会話の中で発することにより,フェルメールはスピノザを知ることになるからです。
要するに『フェルメールとスピノザ』におけるマルタンの推理を成立させるための最低限の条件は,レーウェンフックがスピノザを知っていたという点にあります。