4日に長崎で指された第4期叡王戦七番勝負第三局。持ち時間は3時間。
永瀬拓矢七段の先手で相矢倉風の立ち上がりから先手が7八の金を6七に上がると,後手の高見泰地叡王も追随して先後同型に。先手から仕掛けて後手が反撃という展開になりました。
先手が歩を打った局面。結果からいうと後手はここで受けが必要だったようですが,成桂をただで取られるのもひどいですから☖4九成桂と逃げるのはある意味で当然の一手。先手のこの後の見切りが見事だったというべきでしょう。
まず☗1六香と走ります。対して☖1五歩☗同香☖1四香☗同香☖同銀は常套手段。そこで☗4六香と入手した香車で攻めます。
☖8八歩は紛れを求めたといえますが無視して☗4五香と取ってしまい☖8九歩成に☗4六金と立ったのが力強い決め手でした。
これには☖5四桂の両取りがあるのですがもちろんそれは織り込み済み。☗5五角と逃げれば☖同角☗同金とするほかなく,そこでも仕方のない☖8八角に☗4四金からその角を取って大勢が決しました。
永瀬七段が3連勝。第四局は明日です。
マイエルLodewijk Meyerは続けてその見解,すなわち数学家たちが用いる方法が,真理veritasを探究するにも教授するにも最善で最も確実な方法であるという見解について,その妥当性も説明しています。それによると,未知な事柄についての確実な認識cognitioは,前もって確実に認識された事柄から帰結されなければならないからです。さらにこのとき,定義Definitioは取り扱われる事柄についての最も明白な説明で,要請Postulatumや公理Axiomaは,だれも拒むことができない命題であるからです。この部分で,マイエルは公理という語を共通概念notiones communesといい換えています。スピノザもまた公理と共通概念を等置します。ここにもマイエルが書いているのだけれど,その見解はスピノザと一致しているという証拠を見出すことができるでしょう。そしてそれとは別に,この『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』が書かれている時点で,すでにスピノザは共通概念の発見に至っていたのだと解することもできます。
『デカルトの哲学原理』が発刊されたのは1663年の暮れです。ただこれは実際に発刊されたときであり,書簡十五はこの年の8月に出されています。このとき,この部分についての注文は何もつけられていませんから,おそらくこの共通概念という語は,マイエルの最初の草稿にすでにあったものと推測されます。ですから遅くともそのときまでに,マイエルは共通概念という語が何を意味するのかを知っていたと判断しなければなりません。『エチカ』では共通概念という語が単独で出てくるのは第二部定理四〇の備考一で,実際に定理Propositioとして扱われているのはその前の第二部定理三七,第二部定理三八,第二部定理三八系,第二部定理三九の一群です。マイエルは『エチカ』の草稿の所持を許されていた友人のひとりでしたから,この部分を読んでその語がいわんとするところを知ったのかもしれません。もしそうであるなら,この時期にはこの部分の原型はすでに完成していたとみるべきであることになります。また,マイエルが草稿でそれを知ったのではないとしても,スピノザと無関係にここでこの語を使用したとは考えにくいので,スピノザが共通概念をこれ以前に発見していたのは僕には間違いのないことであると思われます。
永瀬拓矢七段の先手で相矢倉風の立ち上がりから先手が7八の金を6七に上がると,後手の高見泰地叡王も追随して先後同型に。先手から仕掛けて後手が反撃という展開になりました。
先手が歩を打った局面。結果からいうと後手はここで受けが必要だったようですが,成桂をただで取られるのもひどいですから☖4九成桂と逃げるのはある意味で当然の一手。先手のこの後の見切りが見事だったというべきでしょう。
まず☗1六香と走ります。対して☖1五歩☗同香☖1四香☗同香☖同銀は常套手段。そこで☗4六香と入手した香車で攻めます。
☖8八歩は紛れを求めたといえますが無視して☗4五香と取ってしまい☖8九歩成に☗4六金と立ったのが力強い決め手でした。
これには☖5四桂の両取りがあるのですがもちろんそれは織り込み済み。☗5五角と逃げれば☖同角☗同金とするほかなく,そこでも仕方のない☖8八角に☗4四金からその角を取って大勢が決しました。
永瀬七段が3連勝。第四局は明日です。
マイエルLodewijk Meyerは続けてその見解,すなわち数学家たちが用いる方法が,真理veritasを探究するにも教授するにも最善で最も確実な方法であるという見解について,その妥当性も説明しています。それによると,未知な事柄についての確実な認識cognitioは,前もって確実に認識された事柄から帰結されなければならないからです。さらにこのとき,定義Definitioは取り扱われる事柄についての最も明白な説明で,要請Postulatumや公理Axiomaは,だれも拒むことができない命題であるからです。この部分で,マイエルは公理という語を共通概念notiones communesといい換えています。スピノザもまた公理と共通概念を等置します。ここにもマイエルが書いているのだけれど,その見解はスピノザと一致しているという証拠を見出すことができるでしょう。そしてそれとは別に,この『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』が書かれている時点で,すでにスピノザは共通概念の発見に至っていたのだと解することもできます。
『デカルトの哲学原理』が発刊されたのは1663年の暮れです。ただこれは実際に発刊されたときであり,書簡十五はこの年の8月に出されています。このとき,この部分についての注文は何もつけられていませんから,おそらくこの共通概念という語は,マイエルの最初の草稿にすでにあったものと推測されます。ですから遅くともそのときまでに,マイエルは共通概念という語が何を意味するのかを知っていたと判断しなければなりません。『エチカ』では共通概念という語が単独で出てくるのは第二部定理四〇の備考一で,実際に定理Propositioとして扱われているのはその前の第二部定理三七,第二部定理三八,第二部定理三八系,第二部定理三九の一群です。マイエルは『エチカ』の草稿の所持を許されていた友人のひとりでしたから,この部分を読んでその語がいわんとするところを知ったのかもしれません。もしそうであるなら,この時期にはこの部分の原型はすでに完成していたとみるべきであることになります。また,マイエルが草稿でそれを知ったのではないとしても,スピノザと無関係にここでこの語を使用したとは考えにくいので,スピノザが共通概念をこれ以前に発見していたのは僕には間違いのないことであると思われます。