さいたま市で指された昨日の第12期マイナビ女子オープン五番勝負第三局。
先手の西山朋佳女王が初手☗7八飛で三間飛車を明示すると里見香奈女流名人は向飛車。先手も向飛車に振り直しての相振飛車になりました。先手から攻めていきましたが,軽視していた受けが後手にあったため,厳密には無理だったようです。ただ戦線を拡大しつつ攻め続けていくことはできました。
先手が☗7四歩と打ち,後手の7三の銀が逃げたところ。ここが勝敗を分けるポイントになりました。
正解は☗5五銀☖同銀と捨てて☗4二角。これなら後手が飛車を逃げたときに☗3三角成とした手が銀取りになるため,後手はまだ受ける必要がありました。
実戦は単に☗4二角と打ったために☖5二飛と当てて逃げられたときに☗3一角成とせざるを得ず,手番を渡すことになりました。
後手は☖6五歩。先手の飛車は角に睨まれているため,桂馬を取られたときに☗同銀とはできません。なのでそれを避けて☗8六飛と逃げました。後手は☖8二桂。今度は桂馬を取られて銀で取るとその桂馬で飛車銀両取りが掛かってしまうので☗8七飛と逃げました。☗8七飛はすぐにできたのですが,これは桂馬を使わせた方が得との判断での手順で,その判断自体は間違いではなかったのではないかと思います。ただ後手は急ぐ必要がないので☖2八歩と打ちました。
こういう手で間に合ってしまうようでは先手がすでに厳しいです。攻め合いにはなりましたが,後手が押し切りました。
里見名人が勝って1勝2敗。第四局は22日です。
スピノザもマイエルLodewijk Meyerも,綜合的方法だけが数学的方法であるわけではなく,数学者の間で普通に行われる幾何学的方法は綜合的方法だけれど,分析的方法で行われる数学もあるということは認めていたというように解しておくのが最も安全だと思います。したがって,数学的方法というのが綜合的方法すなわち幾何学的方法に限られるというわけではなく,そうではない分析的方法もあるとみていたと解しておくのがよいでしょう。このとき,デカルトRené Descartesは分析的方法の方が優れていると考え,マイエルやスピノザは綜合的方法の方が優れていると考えていたという差異はあったのですが,スピノザやマイエルが分析的方法も数学的方法であると認めていたように,デカルトもまた綜合的方法も数学的方法であると解していたのはたぶん間違いありません。実際にデカルトの哲学はほとんどが分析的方法によって記述されているのですが,一部では綜合的方法が用いられているからです。
ただし,ここでは次の点に注意しておかなければなりません。マイエルは,綜合的方法の方が分析的方法よりも優れている,すなわち真理veritasを探究するのにも教授するのにも最善で最も確実なのは綜合的方法であるという認識を有していましたから,分析的方法によって書かれているデカルトの哲学を,分析的方法にも綜合的方法にも正しい理解があり,かつデカルトの哲学にも詳しいだれかが,綜合的方法によって再構成することを望んでいました。マイエル自身がそれに着手したこともあったといっています。ですから,スピノザがカセアリウスJohannes Caseariusに教授したデカルトの哲学は,マイエルにとっては待ち望んでいたような内容であったわけです。マイエルがこれを書籍化し,出版することを強くスピノザに薦め,金銭的援助を惜しまなかったのは,こういった理由があったからなのです。
ここから分かるように,分析的方法と綜合的方法というのは,方法論としては対立するのかもしれませんが,全面的に対立するようなものではなかったのです。なぜなら,分析的方法によって記述されたものを綜合的方法によって置き換えるということは可能であるということが,ここでは前提されているからです。
先手の西山朋佳女王が初手☗7八飛で三間飛車を明示すると里見香奈女流名人は向飛車。先手も向飛車に振り直しての相振飛車になりました。先手から攻めていきましたが,軽視していた受けが後手にあったため,厳密には無理だったようです。ただ戦線を拡大しつつ攻め続けていくことはできました。
先手が☗7四歩と打ち,後手の7三の銀が逃げたところ。ここが勝敗を分けるポイントになりました。
正解は☗5五銀☖同銀と捨てて☗4二角。これなら後手が飛車を逃げたときに☗3三角成とした手が銀取りになるため,後手はまだ受ける必要がありました。
実戦は単に☗4二角と打ったために☖5二飛と当てて逃げられたときに☗3一角成とせざるを得ず,手番を渡すことになりました。
後手は☖6五歩。先手の飛車は角に睨まれているため,桂馬を取られたときに☗同銀とはできません。なのでそれを避けて☗8六飛と逃げました。後手は☖8二桂。今度は桂馬を取られて銀で取るとその桂馬で飛車銀両取りが掛かってしまうので☗8七飛と逃げました。☗8七飛はすぐにできたのですが,これは桂馬を使わせた方が得との判断での手順で,その判断自体は間違いではなかったのではないかと思います。ただ後手は急ぐ必要がないので☖2八歩と打ちました。
こういう手で間に合ってしまうようでは先手がすでに厳しいです。攻め合いにはなりましたが,後手が押し切りました。
里見名人が勝って1勝2敗。第四局は22日です。
スピノザもマイエルLodewijk Meyerも,綜合的方法だけが数学的方法であるわけではなく,数学者の間で普通に行われる幾何学的方法は綜合的方法だけれど,分析的方法で行われる数学もあるということは認めていたというように解しておくのが最も安全だと思います。したがって,数学的方法というのが綜合的方法すなわち幾何学的方法に限られるというわけではなく,そうではない分析的方法もあるとみていたと解しておくのがよいでしょう。このとき,デカルトRené Descartesは分析的方法の方が優れていると考え,マイエルやスピノザは綜合的方法の方が優れていると考えていたという差異はあったのですが,スピノザやマイエルが分析的方法も数学的方法であると認めていたように,デカルトもまた綜合的方法も数学的方法であると解していたのはたぶん間違いありません。実際にデカルトの哲学はほとんどが分析的方法によって記述されているのですが,一部では綜合的方法が用いられているからです。
ただし,ここでは次の点に注意しておかなければなりません。マイエルは,綜合的方法の方が分析的方法よりも優れている,すなわち真理veritasを探究するのにも教授するのにも最善で最も確実なのは綜合的方法であるという認識を有していましたから,分析的方法によって書かれているデカルトの哲学を,分析的方法にも綜合的方法にも正しい理解があり,かつデカルトの哲学にも詳しいだれかが,綜合的方法によって再構成することを望んでいました。マイエル自身がそれに着手したこともあったといっています。ですから,スピノザがカセアリウスJohannes Caseariusに教授したデカルトの哲学は,マイエルにとっては待ち望んでいたような内容であったわけです。マイエルがこれを書籍化し,出版することを強くスピノザに薦め,金銭的援助を惜しまなかったのは,こういった理由があったからなのです。
ここから分かるように,分析的方法と綜合的方法というのは,方法論としては対立するのかもしれませんが,全面的に対立するようなものではなかったのです。なぜなら,分析的方法によって記述されたものを綜合的方法によって置き換えるということは可能であるということが,ここでは前提されているからです。