スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヴィクトリアマイル&執筆の時期

2019-05-12 19:24:41 | 中央競馬
 第14回ヴィクトリアマイル
 アマルフィコーストとクロコスミアが好発。これをラッキーライラック,ミッキーチャーム,アエロリットの3頭が追う形。向正面のうちにアエロリットが先手を奪い,3馬身ほどのリードをとる形になりました。6番手はレッドオルガ,カンタービレ,ソウルスターリングの3頭。9番手にノームコア。10番手にメイショウオワラ,プリモシーン,フロンテアクイーンの3頭。13番手がデンコウアンジュとサウンドキアラで,2番手以降は13頭が一団。2馬身差の15番手にミエノサクシード。16番手はレッツゴードンキとサトノワルキューレ。4馬身差の最後尾にワントゥワン。前半の800mは44秒8のミドルペース。
 アエロリットが道中のリードを保ったまま直線に。2番手になっていたミッキーチャームがこれを追いましたが,伸びたのはその後ろにいたクロコスミアとラッキーライラック。さらに大外のプリモシーンとラッキーライラックとプリモシーンの間からノームコアも伸びてきて,優勝争いは4頭。外から2頭目のノームコアが,一旦は先頭のラッキーライラックを差し切り,プリモシーンの追い上げも凌いでレコードタイムで優勝。プリモシーンがクビ差で2着。ラッキーライラックを差し返す形でクロコスミアが半馬身差の3着。ラッキーライラックはハナ差で4着。
 優勝したノームコアは紫苑ステークス以来の重賞2勝目で大レース初制覇。このレースは一長一短のメンバー構成で,優勝候補が数多くいました。この馬もその1頭。東京競馬場の1600mで瞬発力勝負というのは不安材料でしたが,前半の方が早いペースになったのが,それを克服できた要因になったと思います。本質的にはもう少し距離があった方がいいタイプで,エリザベス女王杯の方が適性は高いのではないでしょうか。成長力はありそうなタイプで,もっと強くなる余地がありそうです。母の父はクロフネ。ひとつ下の半妹に今年のクイーンカップを勝っている現役のクロノジェネシス。Normcoreは究極の普通というファッションの潮流。
 騎乗したオーストラリアのダミアン・レーン騎手は日本での大レースも日本馬に騎乗しての大レースも初勝利。管理している萩原清調教師はチャンピオンズカップ以来の大レース7勝目。ヴィクトリアマイルは初勝利。

 第一部定理八備考二の中には,スピノザがフッデJohann Huddeの質問に対して返答した書簡三十四とほぼ同様の内容の記述があります。もちろんフッデの質問が,この備考Scholiumで記述した内容をもって答えるのに適切な内容だったから,スピノザはそのように答えたと解することは可能です。ですが,僕の推測はそれとは違っています。というのもこの書簡と備考の文言があまりに一致しすぎているように思えるからです。なので僕は,フッデから質問をされたスピノザが,このような疑問を感じる人が存在するのであれば,それについては『エチカ』でも触れておいた方がいいだろうと考えるに至り,後に備考に記述したのではないかと思っているのです。もしもこの僕の推測が正しいとすれば,書簡三十四は1666年1月7日付となっていますから,この備考が現状の内容になったのは,その後であると考えなければなりません。
                                   
 ただし,だから共通概念notiones communesと公理Axiomaを等置した部分の記述も,1666年1月より後に『エチカ』に付せられたと結論することはできません。というのも,その部分は現状の『エチカ』でいえば第一部定理七と関係しているのに対し,フッデへの書簡と重なる部分は,定理Propositioとしていえば第一部定理五と関係しているからです。そしてそちらの部分の方が後の記述になっているので,第一部定理七に関係する部分は早い段階から存在していて,第一部定理五と関連する部分が後に書き足されたという可能性はあるからです。僕は『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』のマイエルLodewijk Meyerによる序文は,この部分とリンクしているように思えるので,この備考は従来からあったものに,フッデの質問の影響による部分が付加されたと推定します。実際にそのように読むこともできます。岩波文庫版の旧版なら44ページの中ほどから,新版なら49ページの最後の行から後の部分は,フッデの質問を受けてつけ加えられた部分で,そこまでの部分は従来から存在していたとしても,文章が不自然ではないからです。
 執筆の時期がいつであったにせよ,スピノザが共通概念と公理を早い段階で等置していたことは間違いなく,よってその段階では共通概念という概念の発想に至っていたと僕は解します。
コメント
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