およそ1年にわたって君臨し続けた女王の引退で,暫定ではあれ新女王を決するレースになった第60回エンプレス杯。

サンビスタがやや出負け。逃げたのはエミーズパラダイスでワイルドフラッパーが2番手でマーク。少し掛かっていたとも思えるママキジャとアクティビューティがその後ろ。サンビスタもその直後まで追い上げての追走。スローペースであったと思われます。
2周目の向正面の半ばで抑えきれないようにワイルドフラッパーが先頭に立つと,エミーズパラダイスは後退。アクティビューティ,サンビスタが追っていきましたが,直線に入るとワイルドフラッパーがぐんぐんと引き離していき,2秒2もの大差をつけて圧勝。2着は追った2頭の接戦。写真判定となり,内から追い上げたサンビスタをどうにか振り切りアクティビューティが2着。ハナ差の3着にサンビスタ。
優勝したワイルドフラッパーは重賞初勝利。これだけの差をつけての勝利ですから,文句なしに新女王の座に就いたといえるでしょう。底を見せていない面があり,まだ成長している感もありますから,牝馬路線にとどまらず,牡馬相手の重賞勝利も狙えるのではないでしょうか。Wild Flapperは手に負えないほどのお転婆。
騎乗したのはイタリアのクリスチャン・デムーロ騎手で管理しているのは松田国英調教師。エンプレス杯は共に初勝利。
『エチカ』の中の自然学の部分は,人間の精神の本性を探求するための手段として挿入されています。第二部定理一三にあるように,人間の精神の現実的本性を構成する観念の対象はその人間の身体です。ですから人間の精神の本性を解明するためには,人間の身体の本性についても,一定程度の考察が不可欠なのです。こうした目的から分析が行われているのですから,それは人間の精神の本性の解明にあたって必要最小限の内容だけを有していれば十分です。したがって自然学の部分では,物体に関しての詳しい分析がなされていないのはもちろん,人間の身体の本性に限定しても,それを十全に判明させているとはいえません。いかにスピノザの自然観に,常識の転覆が含まれていたとしても,こうした事情を考慮に入れたならば,スピノザがそれを『エチカ』で詳しくは語らなかったのも,当然といえば当然だといえるでしょう。
とはいえ,こうしたスピノザの自然観が,垣間見えるような部分が皆無であるとは僕は考えていません。一例として,岩波文庫版114ページから115ページにかけての第二部自然学②補助定理五を示すことができます。
この補助定理で個体といわれているのは,物体のことです。第二部定義七で,スピノザは複数の個物res singularisによって構成される単一のres singularisの存在を認めます。ここでいわれている個体は,そうした条件から構成されている物体,つまり複数の物体によって組織されている単一の物体のことです。そしてここではその物体が本性を維持するための条件として,運動および静止の割合の保持ということが示されています。それが保持されるということは,それが存在するということが前提されているわけです。つまり運動および静止の割合というものがある物体を組織していて,それが不変である限り,その物体の本性も形相も不変であるといわれているのです。
このことのうちに,こうした運動および静止の割合というものなしに,この複合物体の現実的存在はあり得ないということが含まれているいえます。つまり運動と静止が,複合物体の存在に対して「先立つ」ということを,スピノザは前提しているのです。

サンビスタがやや出負け。逃げたのはエミーズパラダイスでワイルドフラッパーが2番手でマーク。少し掛かっていたとも思えるママキジャとアクティビューティがその後ろ。サンビスタもその直後まで追い上げての追走。スローペースであったと思われます。
2周目の向正面の半ばで抑えきれないようにワイルドフラッパーが先頭に立つと,エミーズパラダイスは後退。アクティビューティ,サンビスタが追っていきましたが,直線に入るとワイルドフラッパーがぐんぐんと引き離していき,2秒2もの大差をつけて圧勝。2着は追った2頭の接戦。写真判定となり,内から追い上げたサンビスタをどうにか振り切りアクティビューティが2着。ハナ差の3着にサンビスタ。
優勝したワイルドフラッパーは重賞初勝利。これだけの差をつけての勝利ですから,文句なしに新女王の座に就いたといえるでしょう。底を見せていない面があり,まだ成長している感もありますから,牝馬路線にとどまらず,牡馬相手の重賞勝利も狙えるのではないでしょうか。Wild Flapperは手に負えないほどのお転婆。
騎乗したのはイタリアのクリスチャン・デムーロ騎手で管理しているのは松田国英調教師。エンプレス杯は共に初勝利。
『エチカ』の中の自然学の部分は,人間の精神の本性を探求するための手段として挿入されています。第二部定理一三にあるように,人間の精神の現実的本性を構成する観念の対象はその人間の身体です。ですから人間の精神の本性を解明するためには,人間の身体の本性についても,一定程度の考察が不可欠なのです。こうした目的から分析が行われているのですから,それは人間の精神の本性の解明にあたって必要最小限の内容だけを有していれば十分です。したがって自然学の部分では,物体に関しての詳しい分析がなされていないのはもちろん,人間の身体の本性に限定しても,それを十全に判明させているとはいえません。いかにスピノザの自然観に,常識の転覆が含まれていたとしても,こうした事情を考慮に入れたならば,スピノザがそれを『エチカ』で詳しくは語らなかったのも,当然といえば当然だといえるでしょう。
とはいえ,こうしたスピノザの自然観が,垣間見えるような部分が皆無であるとは僕は考えていません。一例として,岩波文庫版114ページから115ページにかけての第二部自然学②補助定理五を示すことができます。
この補助定理で個体といわれているのは,物体のことです。第二部定義七で,スピノザは複数の個物res singularisによって構成される単一のres singularisの存在を認めます。ここでいわれている個体は,そうした条件から構成されている物体,つまり複数の物体によって組織されている単一の物体のことです。そしてここではその物体が本性を維持するための条件として,運動および静止の割合の保持ということが示されています。それが保持されるということは,それが存在するということが前提されているわけです。つまり運動および静止の割合というものがある物体を組織していて,それが不変である限り,その物体の本性も形相も不変であるといわれているのです。
このことのうちに,こうした運動および静止の割合というものなしに,この複合物体の現実的存在はあり得ないということが含まれているいえます。つまり運動と静止が,複合物体の存在に対して「先立つ」ということを,スピノザは前提しているのです。
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