第三部定理五五備考で,スピノザが単に自己満足acquiescentia in se ipsoとはいわず,自己愛philautiaまたは自己満足といって,自己愛と自己満足という,そこでの説明からすれば同じ感情affectusでなければならない感情を,別の語によって示した理由に関する僕の推測は理解してもらえたものと思います。簡単にいえば,自己満足という感情は,現実的に存在する人間にとって,最も肯定的に評価できる感情であり得るのと同時に,最も否定的に評価しなければならない感情でもあるのです。
これは僕の推測にすぎないのですが,そこには確かに本来的には同じである感情を,別の語で示す意義というものがあるということは事実だと思います。したがって僕はこれ以降はこの意義を実りあるものとするために,この同じ感情を,自己満足と自己愛とに分けて記述していくことにします。これは,第三部諸感情の定義二五でいわれている自己満足という感情を,二種類に分けて記述していくという意味です。
これから僕が自己満足というとき,それは能動的な自己満足のことを意味します。これに対してもしも僕が自己愛といったなら,それは受動的な自己満足のことを意味します。スピノザによる定義Definitioによれば,能動的であろうと受動的であろうと,現実的に存在する人間が自分自身ないしは自分の働く力agendi potentiaを観想するcontemplariことによって喜びlaetitiaを感じるなら,すべからく自己満足といわれることになります。ですからこれから僕がこのブログで自己満足といったら,スピノザがいっているのよりも狭い意味になるという点に注意しておいてください。
第四部定理五二によれば,理性ratioから生じる自己満足は存在し得る最高の満足です。この感情を僕は自己満足といいます。対して第三部諸感情の定義二八説明によれば,高慢superbiaは自己満足の一種です。この場合の自己満足を,僕はこれから自己愛と記述していくことにします。能動的な方を自己満足といい,受動的な方を自己愛という理由,つまりその逆ではない理由は,この説明の中にあります。この説明の中でもスピノザは,高慢を単に自己満足の一種とはいわず,自己満足あるいは自己愛の一種といっているからです。
7月30日,金曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。そのままО眼科に寄ってから帰りました。この日は目薬を処方してもらっただけです。6日に健康保険証が送付されてきたのは,健康保険証に新しく枝番号というのがついたからでした。この関係で,薬局でもその保険証の提示を求められました。薬局で保険証の提示を求められた記憶は僕にはないのですが,あるいは記憶違いであったかもしれません。
8月2日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
午後は内分泌科の通院でした。
病院に到着したのは午後2時10分でした。中央検査室ではだれも採血を待っていませんでした。注射針の処理を済ませるとすぐに僕の順番になりましたので,まずは採血をして,最後に採尿をしました。
診察が開始になったのは午後3時20分でした。6月の通院のときにいっておいたように,この日は臨時代行の医師による診察でした。
HbA1cは6.7%と,僕としてはかなり良好な値になっていました。これはやはり季節的なもので,例年のように暑くなってきて,血糖値が安定するようになってきたためです。低血糖は3.8%と,割合が増えていました。ただ,この時点ではまだ問題になるほどではないので,注射する量を減らす措置は採りませんでした。79㎎/㎗以下になると低血糖ですが,その数値に近い低血糖であれば,それほど問題視する必要はないのです。ただまだ暑さはまだ続くので,もしも2日連続で同じ時間帯に低血糖が発生するようであれば,その前のインスリンを0.01㎎減量するように指示を受けました。たとえば就寝前に続いたら,夕食前に注射する超速攻型のインスリンを減量するということです。もしも朝食前に続いたら,持続効果型のトレシーバの量を減らすことになります。
この日もこれ以外には異常は出ていませんでした。
予約に空きがなかったために,次の診察は9月27日と,2ヶ月弱の間隔になり,その間に必要なインスリンと注射針が,いつもより多くなりました。この影響もあり,薬局にはヒューマログの在庫が足りませんでした。よってそれは配達を依頼して帰りました。帰宅したのは午後5時5分でした。
これは僕の推測にすぎないのですが,そこには確かに本来的には同じである感情を,別の語で示す意義というものがあるということは事実だと思います。したがって僕はこれ以降はこの意義を実りあるものとするために,この同じ感情を,自己満足と自己愛とに分けて記述していくことにします。これは,第三部諸感情の定義二五でいわれている自己満足という感情を,二種類に分けて記述していくという意味です。
これから僕が自己満足というとき,それは能動的な自己満足のことを意味します。これに対してもしも僕が自己愛といったなら,それは受動的な自己満足のことを意味します。スピノザによる定義Definitioによれば,能動的であろうと受動的であろうと,現実的に存在する人間が自分自身ないしは自分の働く力agendi potentiaを観想するcontemplariことによって喜びlaetitiaを感じるなら,すべからく自己満足といわれることになります。ですからこれから僕がこのブログで自己満足といったら,スピノザがいっているのよりも狭い意味になるという点に注意しておいてください。
第四部定理五二によれば,理性ratioから生じる自己満足は存在し得る最高の満足です。この感情を僕は自己満足といいます。対して第三部諸感情の定義二八説明によれば,高慢superbiaは自己満足の一種です。この場合の自己満足を,僕はこれから自己愛と記述していくことにします。能動的な方を自己満足といい,受動的な方を自己愛という理由,つまりその逆ではない理由は,この説明の中にあります。この説明の中でもスピノザは,高慢を単に自己満足の一種とはいわず,自己満足あるいは自己愛の一種といっているからです。
7月30日,金曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。そのままО眼科に寄ってから帰りました。この日は目薬を処方してもらっただけです。6日に健康保険証が送付されてきたのは,健康保険証に新しく枝番号というのがついたからでした。この関係で,薬局でもその保険証の提示を求められました。薬局で保険証の提示を求められた記憶は僕にはないのですが,あるいは記憶違いであったかもしれません。
8月2日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
午後は内分泌科の通院でした。
病院に到着したのは午後2時10分でした。中央検査室ではだれも採血を待っていませんでした。注射針の処理を済ませるとすぐに僕の順番になりましたので,まずは採血をして,最後に採尿をしました。
診察が開始になったのは午後3時20分でした。6月の通院のときにいっておいたように,この日は臨時代行の医師による診察でした。
HbA1cは6.7%と,僕としてはかなり良好な値になっていました。これはやはり季節的なもので,例年のように暑くなってきて,血糖値が安定するようになってきたためです。低血糖は3.8%と,割合が増えていました。ただ,この時点ではまだ問題になるほどではないので,注射する量を減らす措置は採りませんでした。79㎎/㎗以下になると低血糖ですが,その数値に近い低血糖であれば,それほど問題視する必要はないのです。ただまだ暑さはまだ続くので,もしも2日連続で同じ時間帯に低血糖が発生するようであれば,その前のインスリンを0.01㎎減量するように指示を受けました。たとえば就寝前に続いたら,夕食前に注射する超速攻型のインスリンを減量するということです。もしも朝食前に続いたら,持続効果型のトレシーバの量を減らすことになります。
この日もこれ以外には異常は出ていませんでした。
予約に空きがなかったために,次の診察は9月27日と,2ヶ月弱の間隔になり,その間に必要なインスリンと注射針が,いつもより多くなりました。この影響もあり,薬局にはヒューマログの在庫が足りませんでした。よってそれは配達を依頼して帰りました。帰宅したのは午後5時5分でした。
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