スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
昨晩の第11回川崎マイラーズ 。
発馬後の加速力の差でバンドオンザランがハナへ。2番手にベンテンコゾウ。3番手はキャプテンキングとウェイトアンドシーでこの4頭が先行集団。2馬身離れてトロヴァオとアンサンブルライフが好位追走。2馬身差でクリスタルシルバー。2馬身差でゴールデンバローズ。直後をムサシキングオーとトキノパイレーツでさらにレガルスイまでが中団。4馬身差でハセノパイロでその後ろのトキノエクセレントが後方を進み,ミヤジマッキーは大きく取り残されました。前半の800mは49秒3のミドルペース。
3コーナーを回ってバンドオンザランの外にベンテンコゾウが並び掛けていき,2頭が併走のような形で直線に。キャプテンキングはここからベンテンコゾウの外に出されると,内の2頭をあっさりと抜き去り,最後まで止まらずに後続の追い上げを凌いで優勝。2着争いはキャプテンキングの外から伸びたトロヴァオ,向正面から動いてトロヴァオの外から追い上げたトキノパイレーツ,馬群を捌いて内目から伸びてきたクリスタルシルバーの3頭。制したのはトロヴァオで半馬身差の2着。クリスタルシルバーがクビ差の3着でトキノパイレーツがクビ差で4着。
優勝したキャプテンキング はブリリアントカップ に続き南関東重賞4連勝で5勝目。前走で距離は克服していましたが,短くなるのはプラス材料。川崎で走るのが初めてではありましたが,浦和では南関東重賞を勝っていて,浦和よりは走りやすい筈なので懸念はしていませんでした。上位に自身より後ろから差してきた馬たちが入っていて,それを3番手から先に抜け出して抑えていますから,半馬身以上の力量差はあるとみていいでしょう。時計が出やすい馬場状態でしたがタイムも優秀。競馬場を問わずに走れる上,取り口が安定しているのが強み。焦点はどの馬がこの馬にストップをかけるのかということになっていきそうです。母の5つ上の全兄に2007年にアンタレスステークスとプロキオンステークス,2008年に根岸ステークスを勝ったワイルドワンダー 。
騎乗した大井の坂井英光騎手はブリリアントカップ以来の南関東重賞18勝目。第2回 以来9年ぶりの川崎マイラーズ2勝目。管理している大井の的場直之調教師は南関東重賞6勝目。川崎マイラーズは初勝利。
分析的方法を綜合的方法に置き換えることが可能であることが前提であったら,綜合的方法を分析的方法で置き換えることも可能であるという前提もあったと解しておくべきでしょう。よって僕は,マイエル Lodewijk Meyerはそう認識していたし,スピノザも同様であったと判断します。
この部分は,序文の冒頭の部分と矛盾しているといえます。というのは冒頭部分では数学家たちが用いる方法として綜合的方法が言及され,その方法が真理veritasを探究するのにも教授するのにも最善で最も確実な方法であることは,単にマイエルとスピノザの認識cognitioとしてではなく,知識人に共通の見解であるというように語られていたのに,こちらの部分では,デカルト René Descartesは分析的方法の方が優れていると考えていたと言及されているからです。したがって僕がそこで疑問を呈しておいたように,実際にはスピノザやマイエルの認識は,統一見解であったわけではないとするべきでしょう。ただ,分析的方法というのは,数学家たちが普通に用いる方法ではない,実際にはこの点も疑わしくはあるのであって,これもまたマイエルやスピノザにとっての認識にすぎなかったかもしれないのですが,少なくともマイエルやスピノザがそのように認識していた数学家たちが普通に用いる方法ではなかったのだとしても,その方法は分析的方法に置き換えることが可能であるということは,分析的方法も数学的方法であるということを認めなければ成立しないので,現状の考察の上では,この矛盾について深く掘り下げる必要はないでしょう。
一方,綜合的方法が数学における幾何学的方法になぞらえられているという点については,スピノザが同意していたのは間違いありません。これは『エチカ』から明白です。というのも『エチカ』の正式なタイトルというのはEthica ordine geometrico demonstrata であり,これは幾何学的秩序によって証明されたエチカ,という訳になるからです。ここでは秩序とか順序を意味するordoという単語が用いられていますが,『エチカ』の方法は綜合的方法で,それが幾何学的といわれているのですから,この秩序は方法をも意味し得るでしょう。
さいたま市で指された昨日の第12期マイナビ女子オープン 五番勝負第三局。
先手の西山朋佳女王が初手☗7八飛で三間飛車を明示すると里見香奈女流名人は向飛車。先手も向飛車に振り直しての相振飛車 になりました。先手から攻めていきましたが,軽視していた受けが後手にあったため,厳密には無理だったようです。ただ戦線を拡大しつつ攻め続けていくことはできました。
先手が☗7四歩と打ち,後手の7三の銀が逃げたところ。ここが勝敗を分けるポイントになりました。
正解は☗5五銀☖同銀と捨てて☗4二角。これなら後手が飛車を逃げたときに☗3三角成とした手が銀取りになるため,後手はまだ受ける必要がありました。
実戦は単に☗4二角と打ったために☖5二飛と当てて逃げられたときに☗3一角成とせざるを得ず,手番を渡すことになりました。
後手は☖6五歩。先手の飛車は角に睨まれているため,桂馬を取られたときに☗同銀とはできません。なのでそれを避けて☗8六飛と逃げました。後手は☖8二桂 。今度は桂馬を取られて銀で取るとその桂馬で飛車銀両取りが掛かってしまうので☗8七飛と逃げました。☗8七飛はすぐにできたのですが,これは桂馬を使わせた方が得との判断での手順で,その判断自体は間違いではなかったのではないかと思います。ただ後手は急ぐ必要がないので☖2八歩と打ちました。
こういう手で間に合ってしまうようでは先手がすでに厳しいです。攻め合いにはなりましたが,後手が押し切りました。
里見名人が勝って 1勝2敗。第四局は22日です。
スピノザもマイエル Lodewijk Meyerも,綜合的方法だけが数学的方法であるわけではなく,数学者の間で普通に行われる幾何学的方法は綜合的方法だけれど,分析的方法で行われる数学もあるということは認めていたというように解しておくのが最も安全だと思います。したがって,数学的方法というのが綜合的方法すなわち幾何学的方法に限られるというわけではなく,そうではない分析的方法もあるとみていたと解しておくのがよいでしょう。このとき,デカルト René Descartesは分析的方法の方が優れていると考え,マイエルやスピノザは綜合的方法の方が優れていると考えていたという差異はあったのですが,スピノザやマイエルが分析的方法も数学的方法であると認めていたように,デカルトもまた綜合的方法も数学的方法であると解していたのはたぶん間違いありません。実際にデカルトの哲学はほとんどが分析的方法によって記述されているのですが,一部では綜合的方法が用いられているからです。
ただし,ここでは次の点に注意しておかなければなりません。マイエルは,綜合的方法の方が分析的方法よりも優れている,すなわち真理veritasを探究するのにも教授するのにも最善で最も確実なのは綜合的方法であるという認識を有していましたから,分析的方法によって書かれているデカルトの哲学を,分析的方法にも綜合的方法にも正しい理解があり,かつデカルトの哲学にも詳しいだれかが,綜合的方法によって再構成することを望んでいました。マイエル自身がそれに着手したこともあったといっています。ですから,スピノザがカセアリウス Johannes Caseariusに教授したデカルトの哲学は,マイエルにとっては待ち望んでいたような内容であったわけです。マイエルがこれを書籍化し,出版することを強くスピノザに薦め,金銭的援助を惜しまなかったのは,こういった理由があったからなのです。
ここから分かるように,分析的方法と綜合的方法というのは,方法論としては対立するのかもしれませんが,全面的に対立するようなものではなかったのです。なぜなら,分析的方法によって記述されたものを綜合的方法によって置き換えるということは可能であるということが,ここでは前提されているからです。
平塚記念の決勝 。並びは松井‐和田‐郡司‐中村‐岡村の南関東,松岡健介-村上の近畿,清水-松岡貴久の西国。
郡司がスタートを取って松井の前受け。6番手に松岡健介,8番手に清水で周回。残り3周のバックに入るところで清水が上昇開始。松岡貴久の後ろに松岡健介がスイッチ。バックの出口では清水が松井を叩いて誘導を斬りました。5番手まで引いた松井は残り2周のホームの出口から発進。清水も抵抗しましたが,打鐘では松井が叩いて先行。しかし中村が離れてしまい,清水が4番手に。その清水はコーナーから捲り上げていきましたが郡司が牽制。内が開いたので清水マークの松岡貴久がバックでインをするすると上昇。和田の内まで上がり,和田をどかして前に出ようとしました。不意を突かれた和田はスピードをアップすることができず,この間に後ろで脚を溜めていた松岡健介の捲りが炸裂。村上とふたりで大きく後ろを離して直線勝負。差し脚を凌いだ松岡健介が優勝。村上が4分の1車輪差の2着で近畿のワンツー。松井の発進に離れて村上の後ろになっていた岡村が4車身差で3着。
優勝した兵庫の松岡健介選手は2012年2月に小田原で開催された花月園メモリアル 以来の記念競輪2勝目。このレースは南関東勢が圧倒的に有利なメンバー構成で,清水の抵抗は受けたものの松井は叩ききり,中村と岡村は離れてしまったものの想定していたレース展開にはなりました。ただ松岡貴久に内から斬り込まれて分断されてしまったのが誤算。フィニッシュがばらばらの入線になっていることから分かるように,力を十全に発揮できなかった選手が多くなりました。その中でしっかりと自分の脚を使ったのが近畿勢だったということになります。
マイエル Lodewijk Meyerの序文は続けて,事情,これは真理veritasを探究するにも教授するにも数学的方法が最善で最も確実であるという事情ですが,事情はその通りだけれど,現実は異なってきたと述べています。それは著述家たちが,数学的方法は数学にのみ特有の方法であるとみなしてきたからだという見解が付せられています。
しかしそれとは別個の見解を持ち合わせていた人もいるにはいたともマイエルはいっています。そして今世紀,これは17世紀のことですが,17世紀に至ってデカルト René Descartesが出現しました。このいい方から分かるように,デカルトは数学的方法が最善で最も確実であるということに気付いていたというようにマイエルは解しています。僕はこの点でもスピノザは同じ見解を有していたと解します。しかしデカルトの哲学というのは,一部を除けば,定義Definitioや要請Postulatumあるいは公理Axiomaを先に置き,定理Propositioと証明Demonstratioがその後に続くという方法で記述されてはいません。実際にはデカルトはそうでない方が真実でありまた確実な教授方法であると考えていたのです。そのデカルトの方法は,分析的方法といわれます。というか,デカルト自身がそのようにいっています。
当然ながらこうしたことも序文に書かれているのであって,マイエルもスピノザもそれは知っていたのです。したがって,ふたりは,真理を探究しまた教授するのに最善で最も確実な方法が,定義や公理ないしは要請を先に置いて,しかる後にそこから定理と証明を続けること,こちらは綜合的方法といわれる方法ですが,それはこの綜合的方法だと認識していたのですが,それだけが数学的方法であると考えていたわけではないと読むこともできます。いい換えれば数学的方法には綜合的方法だけが含まれるわけではなく,分析的方法もまた数学的方法であるえるあり得ると認識していたと読むことは可能でしょう。
ただし,デカルトの哲学に関する著書は,数学における証明方法と秩序ordoに従っているのだけれど,綜合的方法とは異なった仕方で記述されていて,この綜合的方法が幾何学者たちにおいて普通は用いられている方法であるといわれているので,少なくとも幾何学的方法というのが綜合的方法であることは確実です。
11日に安芸の宮島で指された第4期叡王戦 七番勝負第四局。
高見泰地叡王の先手で永瀬拓矢七段の横歩取り ☖8四飛。後手はすぐに銀を2三に上がって玉を盤面の左側へ。早い段階で飛車角の総交換になる華々しい戦いに。進んでいくうちに後手が指しやすくなっているように僕には思えました。途中の先手の攻め方が重かったのかもしれませんし,受けなくていいところを受けてしまったためだったのかもしれません。
後手が飛車を打った局面。これは☗5三香成と馬筋を止める詰めろが掛かるので危ないのではないかと思ったのですが,実はそうではありませんでした。☖6一香と打ってしまうのがいい手。これはさすがに☗同とと取るほかないですが☖同金と取れば5三の成香取りになっています。これを取られては先手には勝ち目がありませんから☗6三成香も仕方がないでしょう。しかしこの手は詰めろではないので☖6八銀☗7六王☖8四桂☗8六王まで追ってから☖4九飛成と金を取る手が回って後手の勝ちが決定的となりました。
☖6一香が実質的な決め手。こういう手が決め手になるのは永瀬七段らしさを感じます。
4連勝で永瀬七段が叡王を奪取 。プロ入りから約9年半で初タイトル獲得です。
共通概念 notiones communesをスピノザがどのくらいの時期に発見するに至っていたのかということは,『知性改善論 Tractatus de Intellectus Emendatione 』に関する探究と少し関係する部分があります。たとえばドゥルーズの見解 では,『知性改善論』は共通概念が未発見であったためにトートロジーに陥ってしまい,そのために未完に終わったというようになっているからです。
シモン・ド・フリース Simon Josten de Vriesから送られた書簡八 に対する返答が書簡九 で,これは1663年3月に出されています。書簡十二 がマイエル Lodewijk Meyerに送られたのが翌月で,この直後にスピノザはレインスブルフ Rijnsburgからフォールブルフ Voorburgに移住しました。ですから8月にマイエルに出された書簡十五 はフォールブルフからの書簡です。僕の見解では,書簡八で現在の第一部定理一〇 の備考Scholiumに触れられていることから,第一部定理八 はすでに完成していたとみるべきで,その時点でこの定理Propositioにも備考はあり,現在のものは後に書き足されたとみますが,共通概念と公理Axiomaを等置した部分はそのときからあったと思います。たぶん僕のこの見解には一定の合理性はある筈ですから,そうであれば少なくともスピノザはレインスブルフにいるうちには共通概念の発想に至っていたとしておかしくありません。となるとドゥルーズの見解では,『知性改善論』はスピノザの哲学者としての人生としてはかなり早い段階に書き始められ,中途で終ってしまい,放置されたことになるでしょう。
これは前にもいいましたが,僕は『知性改善論』が未完になった理由は,ドゥルーズGille Deleuzeが想定しているのとは違っていると考えています。ドゥルーズの見解を肯定すると,スピノザはそこで課題となる事柄についての結論について,何らの見込みがないままに『知性改善論』を書き始めたと仮定しなければならず,その仮定自体が著しく不自然であると思えるからです。
ただ,『知性改善論』がトートロジーに陥ったまま未完になっているのは事実であり,ドゥルーズがいっていることにもまったく合理性がないというわけではありません。そしてそちらの説を採用するなら,共通概念はわりと早い段階で発見されていたとみるべきで,よって『知性改善論』は本当に初期の段階の著作であったことになるでしょう。
第14回ヴィクトリアマイル 。
アマルフィコーストとクロコスミアが好発。これをラッキーライラック,ミッキーチャーム,アエロリットの3頭が追う形。向正面のうちにアエロリットが先手を奪い,3馬身ほどのリードをとる形になりました。6番手はレッドオルガ,カンタービレ,ソウルスターリングの3頭。9番手にノームコア。10番手にメイショウオワラ,プリモシーン,フロンテアクイーンの3頭。13番手がデンコウアンジュとサウンドキアラで,2番手以降は13頭が一団。2馬身差の15番手にミエノサクシード。16番手はレッツゴードンキとサトノワルキューレ。4馬身差の最後尾にワントゥワン。前半の800mは44秒8のミドルペース。
アエロリットが道中のリードを保ったまま直線に。2番手になっていたミッキーチャームがこれを追いましたが,伸びたのはその後ろにいたクロコスミアとラッキーライラック。さらに大外のプリモシーンとラッキーライラックとプリモシーンの間からノームコアも伸びてきて,優勝争いは4頭。外から2頭目のノームコアが,一旦は先頭のラッキーライラックを差し切り,プリモシーンの追い上げも凌いでレコードタイムで優勝。プリモシーンがクビ差で2着。ラッキーライラックを差し返す形でクロコスミアが半馬身差の3着。ラッキーライラックはハナ差で4着。
優勝したノームコア は紫苑ステークス以来の重賞2勝目で大レース初制覇。このレースは一長一短のメンバー構成で,優勝候補が数多くいました。この馬もその1頭。東京競馬場の1600mで瞬発力勝負というのは不安材料でしたが,前半の方が早いペースになったのが,それを克服できた要因になったと思います。本質的にはもう少し距離があった方がいいタイプで,エリザベス女王杯の方が適性は高いのではないでしょうか。成長力はありそうなタイプで,もっと強くなる余地がありそうです。母の父はクロフネ 。ひとつ下の半妹に今年のクイーンカップを勝っている現役のクロノジェネシス 。Normcoreは究極の普通というファッションの潮流。
騎乗したオーストラリアのダミアン・レーン騎手は日本での大レースも日本馬に騎乗しての大レースも初勝利。管理している萩原清調教師はチャンピオンズカップ 以来の大レース7勝目。ヴィクトリアマイルは初勝利。
第一部定理八備考二の中には,スピノザがフッデ Johann Huddeの質問に対して返答した書簡三十四 とほぼ同様の内容の記述があります。もちろんフッデの質問が,この備考Scholiumで記述した内容をもって答えるのに適切な内容だったから,スピノザはそのように答えたと解することは可能です。ですが,僕の推測はそれとは違っています。というのもこの書簡と備考の文言があまりに一致しすぎているように思えるからです。なので僕は,フッデから質問をされたスピノザが,このような疑問を感じる人が存在するのであれば,それについては『エチカ』でも触れておいた方がいいだろうと考えるに至り,後に備考に記述したのではないかと思っているのです。もしもこの僕の推測が正しいとすれば,書簡三十四は1666年1月7日付となっていますから,この備考が現状の内容になったのは,その後であると考えなければなりません。
ただし,だから共通概念notiones communesと公理Axiomaを等置した部分の記述も,1666年1月より後に『エチカ』に付せられたと結論することはできません。というのも,その部分は現状の『エチカ』でいえば第一部定理七 と関係しているのに対し,フッデへの書簡と重なる部分は,定理Propositioとしていえば第一部定理五 と関係しているからです。そしてそちらの部分の方が後の記述になっているので,第一部定理七に関係する部分は早い段階から存在していて,第一部定理五と関連する部分が後に書き足されたという可能性はあるからです。僕は『デカルトの哲学原理 Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae 』のマイエル Lodewijk Meyerによる序文は,この部分とリンクしているように思えるので,この備考は従来からあったものに,フッデの質問の影響による部分が付加されたと推定します。実際にそのように読むこともできます。岩波文庫版 の旧版なら44ページの中ほどから,新版なら49ページの最後の行から後の部分は,フッデの質問を受けてつけ加えられた部分で,そこまでの部分は従来から存在していたとしても,文章が不自然ではないからです。
執筆の時期がいつであったにせよ,スピノザが共通概念と公理を早い段階で等置していたことは間違いなく,よってその段階では共通概念という概念の発想に至っていたと僕は解します。
8日にとかちプラザ で指された第30期女流王位戦 五番勝負第二局。
渡部愛女流王位の先手で里見香奈女流名人の角道オープン四間飛車。後手は玉を深く囲うとすぐに5筋の歩を突いて中飛車に。角道を止めたノーマル中飛車になりました。ずいぶんと挑発的な手順と感じましたが,先手がそれに乗る形ですぐに戦いに。銀と桂馬の交換で先手の駒得という分かれになりました。ただ飛車側ではなく玉側の桂馬との交換でしたから,後手もそこまで差をつけられたわけではないと思います。
後手が9一に歩を受け,先手が歩を打った局面。9筋は後手から仕掛けたもので,角を取れずに受けなくてならないのでは何らかの誤算が生じていたものと推測されます。
ここで後手は☖同金と取り☗同銀☖9九角成と進めました。ここに至っては仕方がなかったものと思います。先手は☗6四角と逃げることに成功。
逃げましたが6四の歩を取ったので☖6六歩と打つ手が生じていて,この局面ですぐに打ってしまう方がよかったようです。ですが☖9八香成としました。先手は☗5三銀成。
ここが最大のポイントで,☖5七歩と叩いておくのがよかったそうです。実戦は☖1二飛と逃げたため☗5五角と引く手が絶好になりました。
後手は第2図から☖6六歩と打ちましたがこれは☗6九王と早逃げする手がありあまり効果的ではありません。ここは駒得の上に駒の働きも優っている先手が優勢になっています。
渡部王位が勝って 1勝1敗。第三局は29日です。
第一部定理八 の備考二には,次のような記述もみられます。
「この定理はすべての人々にとって公理でありそして共通概念の中に数えられるであろう 」。
この定理Propositioといわれているのは第一部定理七 のことです。つまり実体substantiaの本性naturaにその存在existentiaが属するということは,公理Axiomaであり共通概念notiones communesであるという性格を帯びるとスピノザはいっているのであり,ここでは公理と共通概念が明らかに等置されています。これは『デカルトの哲学原理 Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae 』のマイエル Lodewijk Meyerによる序文と同じ等置であり,それがマイエルだけの見解ではなく,スピノザの見解でもあるということの明白な証拠となり得るでしょう。
『エチカ』で共通概念という語が使用されるなら,それは第二部定理三八 において始めて論理的に証明されている共通概念と同じ意味を有していると解するのが妥当であると僕は考えます。この段階で共通概念という語が使用されているのは,いささか早すぎるように思いますが,少なくともこの備考Scholiumを記した段階で,スピノザが共通概念を発見していたことは間違いないと僕は思います。ただし,この備考がいつ書かれたかを特定するのはやや困難な面もあると思っています。
シモン・ド・フリース Simon Josten de Vriesがスピノザに送った1663年2月24日付の書簡八 には,現在の第一部定理一〇 の備考に該当する部分に関する質問があります。これはこの時点では第八定理とされていますが,現在の第一部定理八もこの時点で完成していたのは間違いないとみていいでしょう。現在の第一部定理一 から八までは一群と解するべきであり,定理一〇が完成していて定理八が後から加えられたとは考えにくいからです。同時に,現在の第一部定理一〇の備考に該当する部分もこのときには存在したのですから,『エチカ』には早い段階から備考が付せられていたというのも間違いないといえます。ですから現在の第一部定理八が完成した時点ですでに備考もあったという見方は可能で,その場合にはこの部分はスピノザが『デカルトの哲学原理』の発刊を決意する以前からあったということになるでしょう。
ですが,僕はこの備考二の全体が,現状と同じ形でその時点から存在していたとは考えていません。
4日に長崎で指された第4期叡王戦 七番勝負第三局。持ち時間は3時間。
永瀬拓矢七段の先手で相矢倉風の立ち上がりから先手が7八の金を6七に上がると,後手の高見泰地叡王も追随して先後同型に。先手から仕掛けて 後手が反撃 という展開になりました。
先手が歩を打った局面。結果からいうと後手はここで受けが必要だったようですが,成桂をただで取られるのもひどいですから☖4九成桂と逃げるのはある意味で当然の一手。先手のこの後の見切りが見事だったというべきでしょう。
まず☗1六香と走ります。対して☖1五歩☗同香☖1四香☗同香☖同銀は常套手段。そこで☗4六香と入手した香車で攻めます。
☖8八歩 は紛れを求めたといえますが無視して☗4五香と取ってしまい☖8九歩成に☗4六金と立ったのが力強い決め手でした。
これには☖5四桂の両取りがあるのですがもちろんそれは織り込み済み。☗5五角と逃げれば☖同角☗同金とするほかなく,そこでも仕方のない☖8八角に☗4四金からその角を取って大勢が決しました。
永瀬七段が3連勝 。第四局は明日です。
マイエル Lodewijk Meyerは続けてその見解,すなわち数学家たちが用いる方法が,真理veritasを探究するにも教授するにも最善で最も確実な方法であるという見解について,その妥当性も説明しています。それによると,未知な事柄についての確実な認識cognitioは,前もって確実に認識された事柄から帰結されなければならないからです。さらにこのとき,定義Definitioは取り扱われる事柄についての最も明白な説明で,要請Postulatumや公理Axiomaは,だれも拒むことができない命題であるからです。この部分で,マイエルは公理という語を共通概念notiones communesといい換えています。スピノザもまた公理と共通概念を等置します。ここにもマイエルが書いているのだけれど,その見解はスピノザと一致しているという証拠を見出すことができるでしょう。そしてそれとは別に,この『デカルトの哲学原理 Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae 』が書かれている時点で,すでにスピノザは共通概念の発見に至っていたのだと解することもできます。
『デカルトの哲学原理』が発刊されたのは1663年の暮れです。ただこれは実際に発刊されたときであり,書簡十五 はこの年の8月に出されています。このとき,この部分についての注文は何もつけられていませんから,おそらくこの共通概念という語は,マイエルの最初の草稿にすでにあったものと推測されます。ですから遅くともそのときまでに,マイエルは共通概念という語が何を意味するのかを知っていたと判断しなければなりません。『エチカ』では共通概念という語が単独で出てくるのは第二部定理四〇 の備考一で,実際に定理Propositioとして扱われているのはその前の第二部定理三七 ,第二部定理三八 ,第二部定理三八系 ,第二部定理三九 の一群です。マイエルは『エチカ』の草稿の所持を許されていた友人のひとりでしたから,この部分を読んでその語がいわんとするところを知ったのかもしれません。もしそうであるなら,この時期にはこの部分の原型はすでに完成していたとみるべきであることになります。また,マイエルが草稿でそれを知ったのではないとしても,スピノザと無関係にここでこの語を使用したとは考えにくいので,スピノザが共通概念をこれ以前に発見していたのは僕には間違いのないことであると思われます。
昨晩の第33回東京湾カップ 。
鞭を入れてイグナシオドーロがハナへ。ホールドユアハンドががっちりと2番手でマーク。3番手はジョニスヴェニールとサクセッサー。5番手がミスタージョイとフォルベルス。7番手のレオズハウライトまで一団。2馬身差でオーシャンブラックとゲイムスターでその後ろのグリードパルフェの3頭が集団。3馬身差でエレガンテヴァイゼ,サージュ,ダバイダバイと続きました。ミドルペース。
3コーナーでホールドユアハンドがイグナシオドーロに並んでいくとイグナシオドーロは一杯になり,ホールドユアハンドが先頭に。これをマークして一緒に上がってきたサクセッサーが,コーナーはホールドユアハンドの外を回り,直線の入口では単独の先頭に。直線でもその勢いのまま後ろを引き離していって快勝。向正面で早めに動いていったグリードパルフェは追い縋るかの場面もありましたが,直線の途中で内にもたれてしまい,そこで立て直すロスがあって4馬身差の2着。外から2頭目を追い込んできたサージュがクビ差で3着。
優勝したサクセッサー は南関東重賞初制覇。イグナシオドーロはウィンターフェルと遜色がない力があることを北海道時代にみせていて,力量だけならこのメンバーでは断然と思っていました。もう少し早いペースで逃げてほしかったと思うのですが,体調も整っていなかったのでしょう。この馬を除くと力量にはさほど差がないので混戦になりますが,レースの傾向としてはクラウンカップで好走した馬がここでも好走というケースが多く,クラウンカップで2着だったサクセッサーの優勝は,その傾向には合致したものだったといえます。ホールドユアハンドにはずっと勝てなかったものの,差を徐々に詰めていっての逆転なので,力量差も逆転したとみていいのではないでしょうか。ただトップクラスとは少しばかり差がありそうです。父は2007年にシンザン記念と弥生賞,2008年に京都記念を勝ったアドマイヤオーラ で,その父はアグネスタキオン で母はビワハイジ 。母の父は1999年にセントライト記念を勝ったブラックタキシード 。これはサンデーサイレンスの3×3の近親配合。チップトップ 系スピードキヨフジ の分枝。
騎乗した船橋の石崎駿騎手 は京成盃グランドマイラーズ 以来の南関東重賞制覇。第24回 以来9年ぶりの東京湾カップ2勝目。管理している船橋の佐藤賢二調教師は南関東重賞36勝目。第22回 以来11年ぶりの東京湾カップ2勝目。
『デカルトの哲学原理 Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae 』のマイエル Lodewijk Meyerによる序文に対して,スピノザは書簡十五 でいくつか注文をつけました。実際に発刊された『デカルトの哲学原理』は,この注文をすべて受け入れる形になっています。つまりマイエルは草稿を書き直したのです。これは僕の推測になりますが,マイエルはおそらく書き直した草稿もスピノザに見せ,スピノザが承諾してから発刊しただろうと思います。つまりこの序文はあくまでもマイエルが書いたものではありますが,初めからスピノザと合議の上で成立した序文であり,したがってそこでマイエルが何らかの考え方を示しているとしたら,スピノザもまたその考え方に同調していると判断して間違いありません。よってこの序文の中でマイエルは数学的方法に関して言及しているのですが,その言及は単にマイエルの考え方であるだけでなく,スピノザも賛同する考え方だったと解してよいと思われます。
では具体的にどのようなことが記述されているかを説明していきます。
序文の冒頭で,数学家たちが用いる方法は,真理veritasを探究する場合にも教授する場合にも,最善で最も確実な方法であるということは,叡智によって大衆の上に立とうとするすべての人の一致した見解であるという意味のことがいわれています。それが本当に一致しているのかどうか,あるいはこの時代に一致していたのかどうかは,僕は実は疑わしく感じます。ですがそれは問題ではありません。マイエルはそのように考えていたし,それはスピノザも一致していたということが重要です。つまり少なくともマイエルとスピノザは,真理を探究する方法としては数学的方法が最善でありまた最も確実であると考えていたのです。これはスピノザが数学を基本的にどのように評価していたのかということとも合致しているといえます。
そしてここで数学家たちが用いる方法として示されているのが,定義Definitioと要請および公理Axiomaから結論を導く方法だと説明されています。こうした方法だけが数学的方法であるといえるのかどうかは僕には分かりません。しかしスピノザとマイエルは,この方法こそが数学家たちが用いる方法,すなわち数学的方法だと認識していたのです。
5日に松戸競輪場 で争われた第73回日本選手権競輪の決勝 。並びは渡辺-田中の南関東,脇本-古性の近畿,清水-松浦-原田の中国四国で菅田と深谷は単騎。
古性がスタートを取って脇本の前受け。3番手に清水,6番手に菅田,7番手に渡辺,最後尾に深谷で周回。残り3周のホームを過ぎると渡辺が上昇。深谷は続きませんでした。バックに入ると渡辺が来る前に脇本が下げ,渡辺が誘導の後ろに。3番手に清水,6番手に菅田,7番手に深谷で8番手に脇本という一列棒状に変化。残り2周のホームで誘導が退避。渡辺は少しずつペースを上げていきました。バックに入って深谷が内をするすると上昇。3番手に入り,清水が4番手,菅田が7番手,脇本が8番手の隊列に変化して打鐘。渡辺の先行になりましたが,ホームで単騎の深谷が発進。すぐ前にいた田中ですがうまく牽制し,バックの入口で深谷は浮いて脱落。これを避けた清水が発進。そしてホームから動いていた脇本も追いついてきました。後ろがごちゃついたために,清水と脇本だけの争いになり,力でねじ伏せた脇本が優勝。清水が4分の3車身差で2着。バックで内に入り,松浦をどかした菅田が古性も弾いて3車身差の3着。
優勝した福井の脇本雄太選手は前回出走のウィナーズカップ から連続優勝。ビッグは4勝目でGⅠは3勝目。日本選手権は初優勝。ここは力量は上。いい位置を取った深谷が,もう少しいタイミングで発進して前に出ると面白かったと思いますが,現状の深谷は力だけで捲るというレースはできないようです。脇本が前を取ったのは,早めに8番手まで引いて捲っていこうという考えだったと推測しますが,それでも勝てるという自信があったということでしょう。古性もそうでしたが,よほどの選手でないとマークしきるということすら困難で,車券の面ではその分だけ難解になります。
スピノザがマイエル Lodewijk Meyerに送った書簡のうち,遺稿集Opera Posthuma に掲載されたのは書簡十二 で,後に発見されて現行の『スピノザ往復書簡集 Epistolae 』に掲載されているのが書簡十五 です。そしてこの書簡十五のうちに,『デカルトの哲学原理 Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae 』の序文についてのスピノザの注文が書いてあります。
この書簡の冒頭に,スピノザはシモン・ド・フリース Simon Josten de Vriesを通して序文を受け取ったという主旨のことを書いています。このときスピノザはフォールブルフ Voorburgに住んでいました。このためにマイエルとなかなか顔を合わせることができず,マイエルは序文,といってもこれは草稿ですが,それを共通の友人であるフリースに託してスピノザに渡したのです。ちなみに書簡十二はマイエルから受け取った未発見の2通の書簡への返答になっています。そのうちの1通は共通の友人を通して,もう1通はスピノザにとっては未知だったマイエルの友人から受け取ったとスピノザは書いています。後者がだれかは分かりませんが,前者はバリング Pieter Ballingかフリースのどちらかのようです。マイエルとスピノザの間の文通は,このようなやり方で行われていたと考えていいでしょう。ですから少なくともマイエルにとって,しばしば会うことができる友人が,スピノザの住んでいるところあるいはその近くに出向くということがなければ,マイエルはスピノザに手紙を送ることはできなかった,というかマイエルは送らなかったと考えられます。マイエルとスピノザの間の文通で,遺稿集に掲載されたのが1通だけだったのは,こうした事情も影響していたのかもしれません。フリースは1667年に死んでいますので,とくにそれ以後はマイエルにとってスピノザに手紙を送ることは困難になっていた可能性もあるかもしれません。
なお,『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』ではスピノザはマイエルの著作である『聖書解釈者としての哲学Philosophia S. Scripturae Interpres 』に批判的であったため,ふたりは仲違いしたのだという説もあり,これは書簡のやり取りの少なさからすれば合理的な説明ではありますが,僕はそのようには解していません。もし本当にふたりが仲違いしたのであれば,マイエルが危険を冒してまで遺稿集の編集者になることはなかっただろうと思うからです。
昨日の第31回かしわ記念 。
インティは半馬身ほど立ち遅れました。すっと先頭に立ったコウエイエンブレムを押して外から抜き去ったドリームキラリの逃げ。向正面に入ったあたりで3馬身ほどリードをとりました。控えたコウエイエンブレムが2番手で巻き返したインティが3番手。その後ろにモーニンとゴールドドリーム。そしてキタサンミカヅキとオールブラッシュ。以下はアサヤケ,アポロケンタッキー,レヴァンタール,コスモマイギフトの順で差がなく続きました。前半の800mは50秒0のミドルペース。
向正面の半ばからオールブラッシュが上昇していってレースが動きました。インティはうまく対応し,オールブラッシュを前には出させず,3コーナーを回って前の2頭も抜いて先頭。オールブラッシュを行かせてから後を追ったゴールドドリームが3番手になり,この3頭が雁行でコーナーを通過していきましたが,直線に入る手前ではオールブラッシュは脱落し,ゴールドドリームが単独の2番手に。直線に入り,一旦はインティがゴールドリームとの差を広げたのですが,そこで一杯になり,フィニッシュまで伸びたゴールドドリームが差し切って優勝。インティが1馬身半差で2着。大勢が決した後で大外から追い込んできたアポロケンタッキーがオールブラッシュを差して2馬身差の3着。
優勝したゴールドドリーム は昨年の帝王賞 以来の勝利で大レース5勝目。第30回 に続く連覇でかしわ記念は2勝目。ここはインティが勝つかゴールドドリームが勝つかというレース。インティは立ち遅れてしまい,オールブラッシュが早めに捲ってきたため,その段階で動かざるを得なくなり,展開的にはやや不利でした。経験値もゴールドドリームの方が上でしたから,そうした点が総合的に影響し,ここはゴールドドリームに軍配が上がったということでしょう。この2頭は今後も先着したりされたりという関係が続いていくのではないかと思います。父はゴールドアリュール 。
騎乗したクリストフ・ルメール騎手は天皇賞(春) に続いての大レース制覇。かしわ記念は連覇で2勝目。管理している平田修調教師は帝王賞以来の大レース7勝目。かしわ記念は連覇で2勝目。
予測の正しさを導くために,『エチカ』ではなく『デカルトの哲学原理 Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae 』を用います。これは『エチカ』では方法論に関する言及は,帰納法は本末転倒で,演繹法でなければならないという主旨のことだけしかいわれていないからでもありますが,『デカルトの哲学原理』は『エチカ』完成以前の著作と解するべきで,スピノザがその頃からそういう考え方を有していたということを証明することに役立つ上に,そこでははっきりと数学的方法として明示されているからです。
『デカルトの哲学原理』は,スピノザによるデカルト René Descartesの哲学の再構成でした。それはデカルトが分析的に述べている事柄を,綜合的に書き換えたものです。この綜合的方法こそ,定義Definitioと公理Axiomaから諸々の定理Propositioを証明していくという方法であり,スピノザがそれをデカルトの哲学に対して行ったのは,カセアリウス Johannes Caseariusを満足させるためという意図もあったでしょうが,スピノザ自身がその方法の方が優れていると考えていたからです。
このことはその序文から明らかなのですが,序文を援用するからには先に明らかにしておかなければならない点があります。というのも序文については記述者はスピノザではなく,『デカルトの哲学原理』を出版するに際して多大な金銭的援助をしたとみられるマイエル Lodewijk Meyerだからです。つまり,マイエルがそのように書いている以上,それはマイエルの考え方であり,スピノザの考え方とは異なっているという見方ができないこともありませんし,そうした主旨の反論を招くおそれもあります。ですからまず,そこでマイエルの書いていることはスピノザの考えであること,あるいはマイエルと一致しているスピノザの考え方でもあるということを,明白にしておきましょう。
『スピノザ往復書簡集 Epistolae 』に収録されているスピノザとマイエルの間の書簡は,スピノザがマイエルに送った2通に限られます。しかもそのうち遺稿集Opera Posthuma に掲載されたのは1通だけで,もうひとつは後に発見され,加えられたものです。マイエルは遺稿集の編集者のひとりであって,編集者として自分との書簡を掲載するのを遠慮したのかもしれません。たぶん未掲載で未発見の書簡も存在したものと思います。
昨日の第24回NHKマイルカップ 。
好発はワイドファラオ。これを内から追い抜いていったのがクリノガウディーとプールヴィルとイベリス。競り合いの末にイベリスの逃げに。2番手にクリノガウディーとプールヴィル。4番手にワイドファラオで差がなくグランアレグリア。6番手はダノンチェイサーとトオヤリトセイト。8番手にクールヴィット,ヴァルディゼール,アドマイヤマーズの3頭。11番手はマイネルフラップ,カテドラル,ファンタジスト,ケイデンスコールの4頭。15番手にヴィッテルスバッハ,ロードグラディオ,ハッピーアワーの3頭で最後尾にミッキーブラック。前半の800mは45秒8のミドルペース。
イベリスの後ろにクリノガウディーとプールヴィル。その後ろがワイドファラオで直線に。ワイドファラオの外にトオヤリトセイト。グランアレグリアはこれらの後ろから直線半ばで外へ。ここで外に並び掛けていたダノンチェイサーに不利。粘る馬と差し込む馬で内目で馬群が密集する中,ダノンチェイサーのさらに外から末脚を伸ばしたアドマイヤマーズがまとめて差し切って優勝。さらに外から伸びたケイデンスコールが半馬身差で2着。密集する馬群の真只中から伸びたカテドラルがハナ差で3着。
優勝したアドマイヤマーズ は朝日杯フューチュリティステークス 以来の勝利で大レース2勝目。ここはグランアレグリアとの争いと目していましたが,グランアレグリアは道中でかなり行きたがってしまい,自滅のようなレースに。アドマイヤマーズはもう少し前でレースを進めるのではないかとみていたのですが,中団に待機しても僕が想像していたよりしっかりとした末脚を使うことができました。これはやはりこの距離が最適だからでしょう。順調に使っていけるようなら,この路線でゆくゆくは中心的存在となれる馬だと思います。父はダイワメジャー 。
騎乗したミルコ・デムーロ騎手は東京大賞典 以来の大レース制覇。NHKマイルカップは初勝利。管理している友道康夫調教師は朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース12勝目。第20回 以来4年ぶりのNHKマイルカップ2勝目。
これは前にもいいましたが,数学が明らかにする真理 veritasは数学的真理です。そしてその数学的真理を導く方法は数学的方法です。数学が数学的真理を明らかにしているということは僕たちは現に知っているのですから,それを疑うことはできません。一方,真理獲得の方法と真理の獲得は一体化しているのですから,僕たちは数学的真理を知っているばかりではなく数学的方法も知っていることになります。このとき,数学的方法が数学的真理を明らかにすることは確実でありかつ疑い得ない事柄なのですから,もしも数学的方法を他の学問に応用することができれば,僕たちはその方法に従ってその学問の真理を発見することできるでしょう。僕がスピノザにとっての数学の意義は,それが真理を発見する方法を僕たちに教えてくれという点で大きかったのではないかと推測する理由がこれです。つまり僕たちは数学的方法を応用することによって,数学以外の事柄についても真理を獲得することができる筈なのです。
このゆえに,数学的方法とはどのような方法であるのかということを確定させることが重要です。というか,スピノザにとっての数学的方法というのがどのような方法であったのかを確定させておくことが重要なのです。そこでここからはそれを確定させるための考察をします。
スピノザは『エチカ』ではこのようなことについては何も述べていません。ただし,『エチカ』の方法が数学的方法であったこと,正確にいえば,スピノザにとっての数学的方法であったことは疑い得ません。これはスピノザの数学に対する肯定的な評価がどのようなものであったのかということから明らかです。すなわちスピノザは,もし数学という学問が存在しなければ,人間は現に知っているほどには真理に到達できなかったと考えているのですから,その数学が真理を導く方法を,『エチカ』で採用しないわけがないからです。ですから『エチカ』のように,定義Definitioと公理Axiomaを利用して数々の事柄を証明していくという方法が,スピノザにとっての数学的方法であったであろうということは容易に予測することができます。まずこの予測が正しいということを探求していくことにします。
日本時間で今日の朝にアメリカのチャーチルダウンズ競馬場で行われたケンタッキーダービーGⅠ ダート2000m。
発馬機の並びがコースに対して不自然のように見えました。画面の角度の影響だったかもしれませんし,コースのコーナーにバンクが設けられているため,あえてそのようにしていたのかもしれません。マスターフェンサーは15番からの発走で,15番と16番の間に開きがありました。発馬直後にその開いていた右の方に寄ってしまいました。そこから今度は最内の方に向い,最後尾を追走。最初は前と離れていた後方2番手の馬からも離れていましたが,徐々に隊列が凝縮。3コーナーに入るあたりでまだ最後尾でしたが,先頭との差は8馬身くらい。そのまま内目を回ってやはり最後尾で直線に。ここから最内に入ると,優勝争いに加わるということはありませんでしたがとてもよく伸び,7位入線。1位入線の馬が17着に降着となったので,勝ち馬から2馬身4分の1ほどの差の6着で確定しました。
この馬は日本のオープンでも4着,2着でしたから,このメンバーに入ると苦戦は免れ得ないと思っていました。それでいえばこの差での6着は健闘だと思います。最後の直線に入るところで,逃げていた1位入線の馬が外に膨れたことがかえって幸いした面もありますが,直線の伸び脚はかなりのもので,これだけ脚が残っていたのであれば,ちょっともったいないレースをしてしまったという印象さえ抱かされました。
僕のように解釈すれば,スピノザはものの形相的本性 essentia formalisが,観念対象ideatumとしてあるのではなく観念ideaとしてあるということをいわんとしているのであり,真理veritasについては観念としてあるといっているのですから,真理は観念されるものideatumとしてではなく観念そのものとしてある,つまり知性intellectusを離れた形相的有esse formaleとしてあるのではなく,知性のうちに客観的有esse objectivumとしてあるという僕の見解と齟齬を来すものとはならないでしょう。ただし,前にもいったように,スピノザはこの部分で真理の何たるかとか,形相的本性とはどういう概念notioであるのかといったことを説明しようとは企ててはいません。僕は備考Scholiumのこの部分をこのように解釈しますが,このように解釈するがゆえに真理は客観的有としてのみあるという見解を有するに至るのではなく,真理は客観的有としてのみあるという見解を抱いているがゆえにこの部分をこのように解釈するのです。真理が客観的有としてのみあるという僕の見解の理由は,第二部定理四三 の方にあるのです。スピノザの企てからすれば,この部分の解釈から真理とは何でありまた形相的本性とは何であるのかということを結論するのは好ましくないだろうと僕は考えます。なのにこの部分だけを特別に詳しく探求したのは,この部分はスピノザの見解とは違った見解について説明しているからであって,それ以上の理由はありません。
いずれにせよ,僕の見解は僕の見解であって,異論はあるでしょうし,それに対して反論はしないというのも何度かいっている通りです。ただ,ものの真理が知性の外に形相的有としてあると主張するにしても,それがそのものの形相的本性であるという主張以外は僕には認められません。他面からいえばそれは観念の対象となるものであるということを前提しない場合には,僕はそういう見解を受け入れません。ですからもしそのような見解があるのであれば,それに対しては反論もします。
では真理に関連した考察はここまでとして,また数学関連の考察に戻ります。
僕はスピノザにとって数学の意義として大きかったのは,それが真理を獲得する方法を僕たちに教えてくれるという点にあったのではないかと推測しました。
クイーンエリザベスⅡ世カップ を勝ったウインブライト の基礎輸入繁殖牝馬は5代母で1952年にニュージーランドで産まれたミスブゼン です。この馬は競走馬として輸入され,京都牝馬特別を勝つなど活躍。その後に繁殖牝馬となりました。名前に日本語が含まれているのはそのためです。フローラルマジック と同じでファミリーナンバー は18 ですが,とても遠い関係です。
孫の世代に中山大障害を勝った馬がいますがこれは僕が産まれる前。産まれた後にやはり孫の世代から,最優秀2歳牝馬も出ていますが,これは僕の競馬キャリア が始まる前。始まった初期の頃にも,活躍馬が3頭出ました。
1頭は1988年にオークスを勝ったコスモドリーム 。このオークスはテレビで勝ち馬を間違えて実況するというハプニングがあったレース。1番人気はアラホウトク でした。
同じ年に阪神3歳ステークスを勝ったのがラッキーゲラン 。1990年には函館記念と毎日王冠にも勝ちました。
その1990年に阪神大賞典と日経賞を勝ったのがオースミシャダイ 。大レースには手が届きませんでしたが,長距離で実績を残した馬。翌年の春の天皇賞ではメジロマックイーン の3着に入っています。
少し経ち,1994年にラジオたんぱ賞を勝ったのがヤシマソブリン 。菊花賞ではナリタブライアンには千切られたものの2着になりました。
ここからこの系統は重賞の勝ち馬が出なくなりました。もう活力が衰えたと思いきや,2012年にハクサンムーン が京阪杯を勝ちました。翌2013年にはアイビスサマーダッシュとセントウルステークスを連勝。スプリンターズステークス こそロードカナロア の2着でしたが,セントウルステークスではロードカナロアが休養明けだったとはいえ斥けていて,同時代でなければ大レースを勝てていたかもしれません。
ウインブライトは2017年にスプリングステークスと福島記念を勝つと昨年は中山記念に勝利。今年に入って中山金杯,中山記念,クイーンエリザベスステークスと重賞を計6勝。これだけの時間を経て,一族から最大の活躍馬が出てきたことになります。
備考Scholiumのこの部分でスピノザがいいたいことの中心は,ものの形相的本性essentia formalisと真理veritasが,神Deusの知性intellectusのうちにそのようにあるから現にそのようにあるということではなく,観念ideaが観念されるものideatumより本性の上で先立つ形であるのでなければならないということが帰結してしまい,それは不条理であるということだと僕は考えるのです。つまり神の本性に知性が属すると仮定すれば,その知性がものの形相的本性の原因causaでなければなりません。原因は結果effectusに対して本性の上で先立っていなければならないので,知性はものの形相的本性より本性の上で先立たなければなりません。ところで知性とはスピノザによれば個々の観念の集積です。一方あるものの形相的本性は,観念の対象ideatumとなるべき事柄です。ここから帰結するのは,神の本性に知性が属するという主張は,観念が観念されるものより本性の上で先立つということなのです。
スピノザの哲学では,観念が観念の対象に先立つことはありません。これは第二部定理七系 から明らかです。この系Corollariumはこういうことを示す主旨でありませんが,観念と観念されるものは同時にあるいは平行的にあるのであり,一方が他方に対して本性の上で先立つことはあり得ないということも,この系から帰結させることができるということは確かでしょう。また同じことは第二部定理七 からも帰結させられる筈です。この定理Propositioの意味は,観念と観念されるものの原因と結果の連結connexioと秩序ordoは同一であるということですが,もし観念の方が観念されるものより本性の上で先立つのであれば,連結の方は同一であり得るかもしれませんが,秩序の方は同一であることはできないであろうからです。
よって,備考のこの部分で真理もものの形相的本性も知性のうちにそのようにあるから現にそうあるようになるといわれるとき,ものの形相的本性が観念されるものとしてというより観念としてあり,また真理も観念としてあるといっていると解せます。したがってこれは,形相的本性と真理が同一視されているのではなく,知性のうちに観念としてあるという点で同一視されていると解することができる筈です。そして僕はこの部分ついてはこの解釈を採用するのです。
昨日の第20回兵庫チャンピオンシップ 。
ゴールドラグーン,クリソベリル,ダイシンインディーの3頭が前に行く構え。ゴールドラグーンが先手を奪い,ダイシンインディーが2番手。控えたクリソベリルが3番手という隊列に落ち着きましたが,そこまでに競り合ったため1周目の向正面では3馬身差の4番手にヴァイトブリック。5馬身差の5番手にメスキータで6番手がナラ。2馬身差でバンローズキングスとインペルフェット。2馬身差でエナキョウ。そしてベストプレゼント。4馬身差でクウミリマ。6馬身差の最後尾にフィエールデエスと,とても縦に長い隊列。正面に入ってから凝縮してきました。
2周目の向正面では2番手のダイシンインディーが手綱を動かしてついていく形に。3コーナーでは外にクリソベリルが上がって雁行。ここでダイシンインディーは後退。クリソベルを目標に外から追ってきたのがヴァイトブリックで,後退するダイシンインディーを捌いて内から進出してきたのがバンローズキングス。直線の入口ではクリソベリルが先頭。ヴァイトブリックも懸命に追おうとしましたが差は開き,クリソベリルが優勝。ヴァイトブリックが5馬身差で2着。内から2頭目を伸びたバンローズキングスが2馬身半差で3着。
優勝したクリソベリル は重賞初制覇。昨年9月の新馬を7馬身差で勝つと,2戦目となった3月の500万も7馬身差の圧勝。2着馬にはオープンで2着の実績がありましたが,こちらの方が強い可能性はあるだろうとみていました。最後の600mを36秒台で駆け抜け大きな差をつけましたので,こちらの方が強いどころか圧倒的な能力差があったみていいと思います。大レースも狙える馬でしょうし,長期にわたっての活躍を期待していいと思います。父はゴールドアリュール 。母の父はエルコンドルパサー 。祖母はキャサリーンパー 。6つ上の全兄が2013年にジャパンダートダービー ,2014年に日本テレビ盃 ,2015年にダイオライト記念 ,2016年にダイオライト記念 ,2017年にダイオライト記念 を勝ったクリソライト 。5つ上の半姉が2016年のJRA賞 の最優秀4歳以上牝馬のマリアライト 。4つ上の半兄には2015年に神戸新聞杯を勝ったリアファル 。Chrysoberylは金緑玉。
騎乗したクリストフ・ルメール騎手と管理している音無秀孝調教師は兵庫チャンピオンシップ初勝利。
結局のところ,知性intellectusが神Deusの本性essentiaに属すると主張する場合は,観念ideaは観念されるものideatumより本性の上で先立つ形で存在しなければなりません。この事態についてスピノザは,真理veritasは神の本性に属する知性のうちにそのようにあるがゆえにそのようにあるといっているのです。他面からいえば,観念されるものがどのようなものであるかとは関係なしに,真理は決定されているといっているのです。そしてこのとき,この部分においては真理がものの形相的本性essentia formalisと並びたてられています。ということは,この部分ではスピノザは自身の哲学的結論とは異なったことをいっているのですから,スピノザ自身は真理は観念されるものの形相的本性と無関係にそのようにあるとみなしているのではなく,ものの形相的本性があるといわれるのと同じ意味で,真理はあるとみなしているのだと解釈することが可能でしょう。よってこのような解釈をすれば,少なくともものには形相的本性があるといわれるのと同じ仕方でそのものの真理はあると解するべきだといえます。いい換えれば,真理は客観的有esse objectivumすなわち観念としてのみあるというべきではなく,ものの形相的本性と真理は同じものであると解して差し支えないことになります。
実際に上述したような解釈が可能であるということは僕も認めます。ですが僕は立場としては,真理は客観的有としてのみあるのであって,形相的有esse formaleとして真理があるという解釈は採用しません。そしてこの部分は,おそらく僕のような解釈も許容するだろうと考えます。
まず僕が注意しておきたいのは,スピノザのこの部分の主旨は,形相的本性とは何でありまた真理とは何であるということを示すことを主眼とはしていないということです。ですから本来はこの部分を抽出してこのことを考察すること自体が的外れであるかもしれません。だから僕は解釈については争いませんし,真理と形相的本性を同一のものとみなし,真理が知性を離れてあるという主張にも反論はしません。ただしその場合の真理は,ものの形相的本性でなければならないということだけは譲れないです。
ではこの部分の主眼はどこにあるのかといえば,観念とその対象ideatumの関係性です。
北海道から1頭,金沢から1頭が遠征してきた昨日の第57回しらさぎ賞 。
発馬後の加速力を生かしてタイセイラナキラがハナへ。ファーストスキップが単独の2番手。3番手はアムールリアンとストロングハート。5番手がタイムビヨンドで6番手にブルージェット。7番手はシェアハッピー,コパノビジン,オルキスリアン,ステップオブダンスの4頭で集団。後方2番手がリネンスカッシュで最後尾にエグジビッツ。前半の600mは35秒2のハイペース。
タイセイラナキラは残り400mまで,あまりペースを落とさずに外連味なく飛ばしていきました。追い掛けていたファーストスキップの方が苦しくなり,2番手に上がったストロングハートとの差は3コーナーで4馬身。さらに3馬身差でアムールリアンが3番手と,この時点で前がバラバラ。直線に入ったところでもタイセイラナキラはセーフティリードを保ち,最後は一杯になりながらも逃げ切って優勝。ストロングハートも一杯になり,後から追ってきたアムールリアンが差して2馬身半差の2着。ストロングハートが1馬身半差で3着。
優勝したタイセイラナキラ はJRAデビューで3勝。さらに昨年5月に大井の条件交流戦に出走して8馬身差の快勝で4勝目。これを機に大井に移籍し,昨年10月にまた6馬身差で5勝目をあげていました。前走はこのレースのトライアルに出走して7着に大敗していたのですが,これは56キロを背負って発馬が悪く逃げられなかったもの。ここは54キロになっていたので,逃げられれば優勝もあり得るとみていました。展開に左右されるので安定した成績は残せないでしょうが,能力の最大値が高いところにあるのは間違いありません。1400mよりは1200mの方がいい馬のように思います。父はカネヒキリ 。
騎乗した金沢の吉原寛人騎手 は昨年のしらさぎ賞 以来の南関東重賞25勝目。第53回 と54回 も制していて連覇となるしらさぎ賞4勝目。管理している大井の藤田輝信調教師は南関東重賞12勝目。しらさぎ賞は初勝利。
ここまでの説明から分かるように,第一部定理一七備考のこの部分の文脈からは,スピノザが事物の形相的本性essentia formalisと事物の真理veritasを同一視していると読解することが可能です。形相的本性は観念の対象ideatumとなることを前提としたような事物の本性のことですが,事物の本性自体は知性intellectusを離れて形相的にformaliterあるというべきものだといえます。たとえばスピノザは人間の本性natura humanaということで人間の精神mens humanaを意味させますが,それとは別に第五部定理二二 などでは身体corpusの本性ともいわれるからです。よって真理は客観的有esse objectivumとして,いい換えれば観念ideaとしてのみあるというわけではなく,形相的有esse formaleとして知性の外にもあるという解釈が不可能ではないことになります。
その場合にはこの文脈の解釈は以下のようになります。
もし神Deusの本性に知性が属するのであれば,神の知性はすべてのものの,すなわち観念のような客観的有だけではなく,知性の外に形相的有として実在するものの原因causaでなければなりません。これはスピノザの哲学の場合には第一部定理一六系一 から明白です。もっとも,スピノザは神の本性に知性は属さないという哲学的見解を有していますから,この系Corollariumをもち出すことは無意味かもしれませんが,たとえ神の知性が神の本性に属するという見解opinioを有する場合でも,この系の内容を否定するということはないでしょう。
知性すなわち観念の総体が,その知性の外にあるものの原因であるとするなら,観念は知性の外にあるものと同時にあることはありません。むしろ観念は知性の外にあるものより本性の上で先立つものとして存在しなければならないからです。これは原因は結果effectusに対して本性の上で先立っていなければならないといっているのと同じことですから,それ自体で明白だといえます。ところで,知性の外にあるものは知性すなわち知性を構成する観念の対象にならなければなりません。これを否定するのは,スピノザの哲学でいえば第二部定理七系 を否定するのと同じです。また,神の本性に知性が属すると主張する場合には,神の本性に属する知性には,認識するcognoscereことができないものが知性の外に存在すると主張することになるので,それ自体で不条理だといえます。