[あらすじ] 6月の末に母が特別養護老人ホームに入居したが、
母の物は家の中に多い。
木製の台に入った足踏み式のミシンが、かさばっている。
昭和50年頃の製品で、電化していないがアンティークでもないので、
中古品業者にも引き取ってもらえないことが分かった。
迷った末に、一度は粗大ゴミに出すべく申し込みをしたが、
再度迷った末に、申し込みリストから外した。
やっぱり、捨てる前に分解してみたい。
仕組みを知りたい。
他にも、物置に置きっぱなしになっている
ワープロやプリンターやビデオデッキを粗大ゴミに申し込んでいたが、
これも、一台づつ残すことにした。
そう、一台じゃなかったので、ひどく場所をとっていたのだ。
ビデオデッキもプリンターも2台。
ワープロに至っては4台。
ワープロについては、A4サイズのノート型になるまでの歴史が一覧できる。
その前のものはB4くらい。
その前のものはB4の長辺の正方形くらいで、厚さは5㎝くらい有る。
そして、その前の、母が最初に使ったワープロは、ブラウン管だ。
ワープロは、ノート型のもの一つと、ブラウン管のものを一つ、
置いておくことにした。
いつの日か、分解して遊ぶのだ。
いつの日か、でいい。
今急いでやるでもない。
そんなこと言ってて、やらないでしょ。
という言われ方には、耳を貸さない。
何かを作ろうとした時に、ウチに在る物を使えた経験が数多く有る。
またたのしからずや
母はその点、うるさかった。
途中になっているアレをどうにかしろ、といったことをしばしば言った。
その人は今は家にいない。
その人自身が使わず終いだった物が山のように在るのも片付けつつ、自分の生き方を立て直す、
そういう片付けの作業が続いている。
※
たくさん有ったのでかなり邪魔だったが、
半分捨てただけでだいぶスッキリした。
分解したい欲求は子どもの頃から持っていた。
分解する、という発想を、家にいる大人が持っていないと、
壊れた物はどんどん捨てられて無くなってしまう。
世の親さんたちに言いたい。
親の思いも寄らない子どもの欲求に、機会を与えてやっとくれ!
まあ、自分が親だったら、子どもの思いも寄らない欲求なんて、
思いも寄らないだろうな。
じゃあウチの親が機会を与えない親だったかと言うとそんなことは無くて、
電子ブロックを買ってあげようかとか、ドラムを買ってやろうかとか、
折々言ってくれたのだが、
なぜかその時には私は既に遠慮する子に育っていた。
親が「買ってやる」と言っているのに断る子など
どこをどうひねったらそう育つのか、
私自身もおぼえが無いが、とにかく損した。
あー損した。
今思うと損した。
物や道具や楽器などは、頭や手を育てる。
早くに持っておくに越したことは無いのだ。
今、書道だのサンスクリットだの一輪車だのスケボーだの
新しいことを始めてみているけれど、
なんにつけ、51歳の頭と身体はおぼえがよろしくない。(当社比)
しかしここで「子どもの頃は」とか「もっと若ければ」とかいう発想になっている暇は無い。
あれもやりたいこれもやりたいと、先を急ぐばかりである。
今年は何曲もyou tubeにアップすべく練習しているが、
楽器の練習もはかばかしくない。
なんだか憶えが悪い。(当社比)
とにかく、楽しいことをやれているんだから、
楽しみゃいいのだ。
※
予告しちゃお(あとにひけなくなる)
2年ぶりくらいに、クリスマス讃美歌をアレンジして演奏しますよ。
今年はブギーの年なので、ブギーロックアレンジで、ADESTE FIDELESを。
カトリックで言うところの「きたれともよ」。
それと、デヴィッド・ボウイの「starman」を自作の日本語詞で。
そう、サビの最後の歌詞が「let all the children boogie」なんですね。
ブギー賛歌なわけ。
あと、服部良一作笠置シヅ子唱シリーズの第4弾最終に、「買物ブギー」。
この曲をやまちゃんと最初に演奏したのは15年くらい前。
そして、年末には「舟唄」をアップします。
舟唄?舟唄って、あの?
そう、あの舟唄。
えっ、そっちの舟唄?
そう、そっちの舟唄。
母の物は家の中に多い。
木製の台に入った足踏み式のミシンが、かさばっている。
昭和50年頃の製品で、電化していないがアンティークでもないので、
中古品業者にも引き取ってもらえないことが分かった。
迷った末に、一度は粗大ゴミに出すべく申し込みをしたが、
再度迷った末に、申し込みリストから外した。
やっぱり、捨てる前に分解してみたい。
仕組みを知りたい。
他にも、物置に置きっぱなしになっている
ワープロやプリンターやビデオデッキを粗大ゴミに申し込んでいたが、
これも、一台づつ残すことにした。
そう、一台じゃなかったので、ひどく場所をとっていたのだ。
ビデオデッキもプリンターも2台。
ワープロに至っては4台。
ワープロについては、A4サイズのノート型になるまでの歴史が一覧できる。
その前のものはB4くらい。
その前のものはB4の長辺の正方形くらいで、厚さは5㎝くらい有る。
そして、その前の、母が最初に使ったワープロは、ブラウン管だ。
ワープロは、ノート型のもの一つと、ブラウン管のものを一つ、
置いておくことにした。
いつの日か、分解して遊ぶのだ。
いつの日か、でいい。
今急いでやるでもない。
そんなこと言ってて、やらないでしょ。
という言われ方には、耳を貸さない。
何かを作ろうとした時に、ウチに在る物を使えた経験が数多く有る。
またたのしからずや
母はその点、うるさかった。
途中になっているアレをどうにかしろ、といったことをしばしば言った。
その人は今は家にいない。
その人自身が使わず終いだった物が山のように在るのも片付けつつ、自分の生き方を立て直す、
そういう片付けの作業が続いている。
※
たくさん有ったのでかなり邪魔だったが、
半分捨てただけでだいぶスッキリした。
分解したい欲求は子どもの頃から持っていた。
分解する、という発想を、家にいる大人が持っていないと、
壊れた物はどんどん捨てられて無くなってしまう。
世の親さんたちに言いたい。
親の思いも寄らない子どもの欲求に、機会を与えてやっとくれ!
まあ、自分が親だったら、子どもの思いも寄らない欲求なんて、
思いも寄らないだろうな。
じゃあウチの親が機会を与えない親だったかと言うとそんなことは無くて、
電子ブロックを買ってあげようかとか、ドラムを買ってやろうかとか、
折々言ってくれたのだが、
なぜかその時には私は既に遠慮する子に育っていた。
親が「買ってやる」と言っているのに断る子など
どこをどうひねったらそう育つのか、
私自身もおぼえが無いが、とにかく損した。
あー損した。
今思うと損した。
物や道具や楽器などは、頭や手を育てる。
早くに持っておくに越したことは無いのだ。
今、書道だのサンスクリットだの一輪車だのスケボーだの
新しいことを始めてみているけれど、
なんにつけ、51歳の頭と身体はおぼえがよろしくない。(当社比)
しかしここで「子どもの頃は」とか「もっと若ければ」とかいう発想になっている暇は無い。
あれもやりたいこれもやりたいと、先を急ぐばかりである。
今年は何曲もyou tubeにアップすべく練習しているが、
楽器の練習もはかばかしくない。
なんだか憶えが悪い。(当社比)
とにかく、楽しいことをやれているんだから、
楽しみゃいいのだ。
※
予告しちゃお(あとにひけなくなる)
2年ぶりくらいに、クリスマス讃美歌をアレンジして演奏しますよ。
今年はブギーの年なので、ブギーロックアレンジで、ADESTE FIDELESを。
カトリックで言うところの「きたれともよ」。
それと、デヴィッド・ボウイの「starman」を自作の日本語詞で。
そう、サビの最後の歌詞が「let all the children boogie」なんですね。
ブギー賛歌なわけ。
あと、服部良一作笠置シヅ子唱シリーズの第4弾最終に、「買物ブギー」。
この曲をやまちゃんと最初に演奏したのは15年くらい前。
そして、年末には「舟唄」をアップします。
舟唄?舟唄って、あの?
そう、あの舟唄。
えっ、そっちの舟唄?
そう、そっちの舟唄。
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