[あらすじ] 20年以上の付き合いになるサックス奏者がこの世を去ってしまった。
どうもちょっと脳みその隙ができると、高木のことばかりを考えてしまい、
他のことが手に付かない。
毎朝更新しているブログも昼下がりになってまだ書けていないという様だ。
彼のことを書けば書けるのだけれど、
そういつまでも書いてもいられない、
しかも秋の交通安全運動に合わせて、
この十日間はわがブログでも秋の交通身の安全運動を展開しようということに
決めているのに。
交通身の安全について考えて書こうと思うのだが、
高木のこと以上に大事なことが今はあり得ないというくらいに脳みそを覆う。
しかたない。
もうちょっとだけ書くか。
高木は中学だか高校だかのブラスバンドでサックスを始めた。
フリージャズが一番の好みだったようだ。
私はフリージャズはとんと解しないので、そこいらの活動をよく知らない。
高木と一緒にやった=BAD★GUN=というのは
ロック寄りのファンク系のバンドだった。
高木が呼んでくれてライブサポートメンバーをやっていたのは、
What's Love?という、孤高の'歌謡スカ'のバンドだった。
高木自身はそれはもうあれこれとバンドを経ていた。
渋さ知ラズと言えば知っている人も多いだろう。
ジャンルにこだわるというよりは、自分のスタイルがそのバンドで求められるものと合えば、
どこでも良かったのだろう。
それにとにかくあちこちでセッションしていた。
何はさておき言っておくべきなのは、自身で組んだZen Ra Arkestraだろう。
あほらしい。
Sun Ra Arkestraのもじりだ。
サン・ラは草葉の陰でどう思っていたのか。
今頃あちらで怒られているのか、セッションしているのか。
管楽器各パート数人づついて、上品なソロから下品なソロまで取り揃え入り乱れ
というバンドであった。
参加したかった。
数年前ついに参加希望を本人に伝えたことがある。
しかし、ちょうどその頃高木はゼンラをやめてジャズバンドを新たに組む構想を練っていたようで、
返事は無かった。
まあ、Zen Ra Arkestraをyou tubeででも見てやってください。
Zen Ra Arkestraで検索すると、Sun Ra Arkestraもヒットするゆるい仕組みになっております。
(逆じゃなくて良かった。)
※
さて、ほんとにぼつぼつ通常のブログに戻らねば。
また明日~
どうもちょっと脳みその隙ができると、高木のことばかりを考えてしまい、
他のことが手に付かない。
毎朝更新しているブログも昼下がりになってまだ書けていないという様だ。
彼のことを書けば書けるのだけれど、
そういつまでも書いてもいられない、
しかも秋の交通安全運動に合わせて、
この十日間はわがブログでも秋の交通身の安全運動を展開しようということに
決めているのに。
交通身の安全について考えて書こうと思うのだが、
高木のこと以上に大事なことが今はあり得ないというくらいに脳みそを覆う。
しかたない。
もうちょっとだけ書くか。
高木は中学だか高校だかのブラスバンドでサックスを始めた。
フリージャズが一番の好みだったようだ。
私はフリージャズはとんと解しないので、そこいらの活動をよく知らない。
高木と一緒にやった=BAD★GUN=というのは
ロック寄りのファンク系のバンドだった。
高木が呼んでくれてライブサポートメンバーをやっていたのは、
What's Love?という、孤高の'歌謡スカ'のバンドだった。
高木自身はそれはもうあれこれとバンドを経ていた。
渋さ知ラズと言えば知っている人も多いだろう。
ジャンルにこだわるというよりは、自分のスタイルがそのバンドで求められるものと合えば、
どこでも良かったのだろう。
それにとにかくあちこちでセッションしていた。
何はさておき言っておくべきなのは、自身で組んだZen Ra Arkestraだろう。
あほらしい。
Sun Ra Arkestraのもじりだ。
サン・ラは草葉の陰でどう思っていたのか。
今頃あちらで怒られているのか、セッションしているのか。
管楽器各パート数人づついて、上品なソロから下品なソロまで取り揃え入り乱れ
というバンドであった。
参加したかった。
数年前ついに参加希望を本人に伝えたことがある。
しかし、ちょうどその頃高木はゼンラをやめてジャズバンドを新たに組む構想を練っていたようで、
返事は無かった。
まあ、Zen Ra Arkestraをyou tubeででも見てやってください。
Zen Ra Arkestraで検索すると、Sun Ra Arkestraもヒットするゆるい仕組みになっております。
(逆じゃなくて良かった。)
※
さて、ほんとにぼつぼつ通常のブログに戻らねば。
また明日~
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