犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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服喪

2017年09月24日 | 日々
[あらすじ] 20年以上の付き合いになる、サックス奏者がこの世を去った。

散漫である。
集中できない。
旧友の死にあって、どうも気分がすぐれない。
しかたない。
落ち着くのを待とう。

「高木から音楽を取ったらただの良い人」
と、表現した人がいた。

これはたいへん貴重なことだと思う。
音楽を取ってしまったら
「ただのエキセントリックな人」だったり
「ただのコミュニケーション障害」だったり
「ただの頑固者」だったり
「ただの酒飲み」だったり
「ただのサーファー」だったり
「ただの××××」だったりする人が、いくらでもいる。

音楽を取り除いたら「良い人」が残るって言われるなんて、
なんて良い人なんだろう!
バンドマン業界にそんな人、さほどいないんじゃないか。

と思うのは、自分がただ偏屈なだけか。ハハハ。

高木から音楽を取ったら、何も残らないと、私は思っていた。
音楽のためだけに生きている人間だと思っていた。

ひと月ほど前に、駒込に見舞いに行って、
考えがすっかり変わった。
ベッドの上の高木は、ただただ婚約者のために必死に生きていた。

一年ほど前、何度目かの手術の後、状況を聞いたら、
「手抜きでごめん」と断りを添えて、
ご両親に報告したメールを転送してくれた。
同じメールを受け取った別の友人には、こう書き送っていた。
「俺は大事な人が今居るので、
たかたが数年で駄目になる訳にいかないのです!」

セクションでパリッと吹いても、
ソロで自由にサックスをあやつっても、
ステージで自分のバンドを指揮しても、
「かっこいい!」という感じではないのが高木だった。
「白馬場」というあだ名のとおり、ぬぼーと色白で背が高い。
動きもなんだかぬたっとしているし、
表情ものほっとしている。
良く言えばがイヤみが全く無いと言えるが、
雑に言えばなんだかなんとなくかっこわるいのだ。

私は、こんなに甘えの無い、強い病人を見たことが無かったので、
衝撃を受けた。
ついでに、高木のこんなかっこいいところを見たことも無かった。
いや楽器をやっている時が最大限かっこいいのだと思っていたのだが、
そうではなかったのだ、と知った。

参りました。

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