毎年この季節になると思い出す事が有る。
懺悔。
悪い事はできないものだ、という話。
※
もう15年ほど前の事だ。
前の飼い犬が生きていて、若かった頃だ。
正直に書けば、私は筍泥棒に出かけたのだ。
この犬は、私から離れてしまわないので、放して歩くことができた。
それに、タケノコが好物なんである。
地面からまだ先を見せてもいないタケノコを見付けて、
ほじくってかじる。
トリュフ豚みたいなもんである。
この犬を連れて行けば、暗がりでも簡単にタケノコを見付けられるだろう。
と、悪人は考えたわけだ。
目指したのは、とある荒れた竹林である。
世間でも、放置竹林は問題になっている。
農村が高齢化し、竹林の手入れができなくなっている。
繁った竹林で古い株は立ち枯れ、鬱蒼と暗く、
タケノコは少しでも明るいほうへ出て、竹林はやたらと拡がる。
どうせ問題なんだからタケノコを採ってもいいでしょ、くらいの了見である。
いけませんよ。
たとえ放置されていたって、よそ様の土地であることには変わりない。
悪いことだと分かっているので、夜更けに行く。
※
悪いことだと分かっているので、風の夜を選ぶ。
物音が周囲に聞こえないからだ。
風の強いとき、放置竹林では不気味な音が鳴りわたる。
枯れた竹が揺れてぶつかり合うからだ。
乾ききった骸骨が踊って、骨と骨が当たったらこんな音がするだろう。
辺り一面、頭上高く、「カラカラ」という音で包まれている。
ギアナ高地にサリサリニャーマというテーブルマウンテンが在ると聞く。
なんでも、魔物が人間を喰らい、骨をかじる音が「サリサリ」なんだそうだ。
日本で骨のことを「舎利」と言うのは、
サンスクリットで「身体、遺骸」といった意味のशरीरから来ているから、
音が通じるのは偶然だろうけれど、なんとも不気味な音色だ。
繁っているので、月明かりも入らない。
おまけに風で竹が鳴る。
不気味だ。
犬を連れて来て良かった。
こんな時、なんでもいいから生きたものと一緒にいるのは、心強い。
普段以上に犬に話しかけてしまう。
しかし、この連れて来た犬というのが、ビビり虫なのだ。
家の近所の慣れた場所ですら、聞き慣れない音がするといちいちビクつく。
そんな犬なので、さっきから目が泳ぎっぱなし、尻尾は下がりがちだ。
困っている犬を鼓舞するために声を掛けることで、
自分の元気が出る。
保護者側になるので、自分の怖さが吹っ飛ぶのだ。
地下茎があちこちで地上にニョロッと出ている。
それが罠になって、つまづきそうになる。
枯れた竹の細枝がそこいらじゅうに落ちている。
犬はそれを踏んでしまってはビクッと驚き慌てふためいている。
「大丈夫だよ、ただの竹だよ、自分で踏んだだけだよ」
と何度も声を掛けながら歩く。
※
そんな我が犬が、吠えた。
「ワン!」
日頃、この犬はまるで吠えない。
ひとっことも吠えない。
餌を欲しい時も、私を起こす時も、吠えない。
声を出してもせいぜい「あふんあんはん」くらいの情けない声だ。
そんな犬が、吠えた。
そして、地面を掘り始めた。
「おう、ここ掘れワンワンか。
タケノコが有ったか。」
タケノコ泥棒のために夜更けに竹藪に入っているわけでして、
吠えない犬だから、静かだから連れて来たのに、
吠えられたら都合が悪い。
見付けたならサッサと掘り出して、
何個も採ろうなんて欲張らずにこの場を去ったほうがいい。
犬が掘っている所の脇にバールを立てて、タケノコを折り取ろうとした、
その瞬間、
カッと目がくらんだ。
眩しくて正視できないので、何が光っているのか、すぐには分からない。
やばい。
光を見てしまうと、周囲の闇がいっそう見えなくなる。
何か有っても、走って逃げるほどの視力が無くなってしまう。
そんなことが脳裏をよぎったが、
そんな心配は要らないとばかりに、辺りも煌々と照らし出される。
光源は足元の土の中のはずなのに、
周囲の竹林は陰も無いくらい光に満ちている。
※
風が止んでいる。
何か、良い香りがする。
やわらかく静かであるが、はっきりと聞こえる、
人の声とも、楽器の音とも分からない、
一つの音の流れのようであり、和音のようでもある、
ただ、心地よい音がする。
※
気付くと、運転席にいた。
ハッとして見ると、犬はちゃんと助手席にいて、丸まって眠っている様子だ。
あの後、身体が浮かぶような感覚が有った。
地面から足が離れてしまったら、
このまま浮いて行ってしまったら、
二度と帰れなくなる、という思いに囚われた。
竹につかまろうと思うのだが、
あんなに繁っているはずなのに、なぜか手が届かない。
そうだ、犬は?と思う。
リードは手に持っているが、先が見えない。
リードの長さはほんの2メートル足らずで、
明るいのに。
暗い中に消えていくのと同様に、明るい中に消えていっている。
それからどれくらいの時間、抵抗していたか判然としない。
とにかく今、現実に運転席にいるのだから、無事だったのだ。
私はシートベルトを締めて、エンジンをかけ、ライトを点灯し、
ギヤをドライブに入れて、ハンドブレーキを解除し、発進した。
つづく
懺悔。
悪い事はできないものだ、という話。
※
もう15年ほど前の事だ。
前の飼い犬が生きていて、若かった頃だ。
正直に書けば、私は筍泥棒に出かけたのだ。
この犬は、私から離れてしまわないので、放して歩くことができた。
それに、タケノコが好物なんである。
地面からまだ先を見せてもいないタケノコを見付けて、
ほじくってかじる。
トリュフ豚みたいなもんである。
この犬を連れて行けば、暗がりでも簡単にタケノコを見付けられるだろう。
と、悪人は考えたわけだ。
目指したのは、とある荒れた竹林である。
世間でも、放置竹林は問題になっている。
農村が高齢化し、竹林の手入れができなくなっている。
繁った竹林で古い株は立ち枯れ、鬱蒼と暗く、
タケノコは少しでも明るいほうへ出て、竹林はやたらと拡がる。
どうせ問題なんだからタケノコを採ってもいいでしょ、くらいの了見である。
いけませんよ。
たとえ放置されていたって、よそ様の土地であることには変わりない。
悪いことだと分かっているので、夜更けに行く。
※
悪いことだと分かっているので、風の夜を選ぶ。
物音が周囲に聞こえないからだ。
風の強いとき、放置竹林では不気味な音が鳴りわたる。
枯れた竹が揺れてぶつかり合うからだ。
乾ききった骸骨が踊って、骨と骨が当たったらこんな音がするだろう。
辺り一面、頭上高く、「カラカラ」という音で包まれている。
ギアナ高地にサリサリニャーマというテーブルマウンテンが在ると聞く。
なんでも、魔物が人間を喰らい、骨をかじる音が「サリサリ」なんだそうだ。
日本で骨のことを「舎利」と言うのは、
サンスクリットで「身体、遺骸」といった意味のशरीरから来ているから、
音が通じるのは偶然だろうけれど、なんとも不気味な音色だ。
繁っているので、月明かりも入らない。
おまけに風で竹が鳴る。
不気味だ。
犬を連れて来て良かった。
こんな時、なんでもいいから生きたものと一緒にいるのは、心強い。
普段以上に犬に話しかけてしまう。
しかし、この連れて来た犬というのが、ビビり虫なのだ。
家の近所の慣れた場所ですら、聞き慣れない音がするといちいちビクつく。
そんな犬なので、さっきから目が泳ぎっぱなし、尻尾は下がりがちだ。
困っている犬を鼓舞するために声を掛けることで、
自分の元気が出る。
保護者側になるので、自分の怖さが吹っ飛ぶのだ。
地下茎があちこちで地上にニョロッと出ている。
それが罠になって、つまづきそうになる。
枯れた竹の細枝がそこいらじゅうに落ちている。
犬はそれを踏んでしまってはビクッと驚き慌てふためいている。
「大丈夫だよ、ただの竹だよ、自分で踏んだだけだよ」
と何度も声を掛けながら歩く。
※
そんな我が犬が、吠えた。
「ワン!」
日頃、この犬はまるで吠えない。
ひとっことも吠えない。
餌を欲しい時も、私を起こす時も、吠えない。
声を出してもせいぜい「あふんあんはん」くらいの情けない声だ。
そんな犬が、吠えた。
そして、地面を掘り始めた。
「おう、ここ掘れワンワンか。
タケノコが有ったか。」
タケノコ泥棒のために夜更けに竹藪に入っているわけでして、
吠えない犬だから、静かだから連れて来たのに、
吠えられたら都合が悪い。
見付けたならサッサと掘り出して、
何個も採ろうなんて欲張らずにこの場を去ったほうがいい。
犬が掘っている所の脇にバールを立てて、タケノコを折り取ろうとした、
その瞬間、
カッと目がくらんだ。
眩しくて正視できないので、何が光っているのか、すぐには分からない。
やばい。
光を見てしまうと、周囲の闇がいっそう見えなくなる。
何か有っても、走って逃げるほどの視力が無くなってしまう。
そんなことが脳裏をよぎったが、
そんな心配は要らないとばかりに、辺りも煌々と照らし出される。
光源は足元の土の中のはずなのに、
周囲の竹林は陰も無いくらい光に満ちている。
※
風が止んでいる。
何か、良い香りがする。
やわらかく静かであるが、はっきりと聞こえる、
人の声とも、楽器の音とも分からない、
一つの音の流れのようであり、和音のようでもある、
ただ、心地よい音がする。
※
気付くと、運転席にいた。
ハッとして見ると、犬はちゃんと助手席にいて、丸まって眠っている様子だ。
あの後、身体が浮かぶような感覚が有った。
地面から足が離れてしまったら、
このまま浮いて行ってしまったら、
二度と帰れなくなる、という思いに囚われた。
竹につかまろうと思うのだが、
あんなに繁っているはずなのに、なぜか手が届かない。
そうだ、犬は?と思う。
リードは手に持っているが、先が見えない。
リードの長さはほんの2メートル足らずで、
明るいのに。
暗い中に消えていくのと同様に、明るい中に消えていっている。
それからどれくらいの時間、抵抗していたか判然としない。
とにかく今、現実に運転席にいるのだから、無事だったのだ。
私はシートベルトを締めて、エンジンをかけ、ライトを点灯し、
ギヤをドライブに入れて、ハンドブレーキを解除し、発進した。
つづく
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