夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

クイズ

2006年09月09日 17時27分58秒 | ジョーズなジョーク 
お約束のクイズ。
でもあまり文部省ご推薦をもらえそうもないですね。

洋物を和風にリライトしたものです。

昔お彼岸の法要が盛大に行われていました。
ある恐妻家の旦那さんと奥さんも出席していました。
退屈な法要が延々と続く中で、旦那さんも奥さんもこっくり、こっくりと眠ってしまいました。
そして旦那さんが気が付くと、素晴らしい美女が旦那さんを見てにっこりと微笑んでいるではありませんか。
隣で寝ている奥さんに気づかれないようにそっと抜け出した旦那さんは、その美女と手を取って町に出かけ、お酒をたらふく召し上がって、法要が終わる前に二人でお寺へ戻ろうとしましたが、帰りしなに温泉が湧き出ているネオンのところで一休みしました。
そしてベッドのなかで、彼女の輝くばかりに美しい体に手をかけたときに、隣の部屋から毛むくじゃらな男が
「俺の女に手を出したな」ってまさかりを振り上げて入ってきました。
まさかりは天上から一直線に旦那さんの首に振り下ろされました。

そのとき隣で寝ていた奥さんが目を覚まし、大切な法要で居眠りをしている旦那さんをみて、首を扇子で「ぽん」と叩きました。
旦那さんはそのショックで心臓発作を起こして死んでしまいましたとさ。


何かへん?

答えは下のコメントをみて。


中秋の名月  波乱万丈?

2006年09月09日 15時32分16秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


9月9日の月。
陰暦の重陽は10月30日になるそう。



このところ中秋の名月に友人たちの話題が集まっている。
今年は閏月だったのでいつもよりちょっとおそく10月8日のようだ。
その話を聞きながら、今年も名月を見れそうだとちょっとした感慨にふけっている。

誕生日の日記にも書いたけど、昨年一年は波乱万丈だった。
でもそれにも書かなかったけど、ほんとうは昨年の中秋の名月もみれないのだろうと諦めていた時期もあった。
もともと原爆症がいつ発症するかわからないという気持ちで子供のときから生きてきたし、胃潰瘍で血を吐いたときにも親からもう一度吐いたら命はないだろうっていわれたりして、生きていること事態が付録みたいにして生きてきたので、苦しむさいごでなければどうでもいいというような考えができるのだけど。

昨年春の終わりにヨーロッパから帰国したころからものすごい不調、これではもうあとがないだろうと観念してしまった。
仕事はいずれにしろ8月一杯で辞めることにしていたので、そのほかの手がけていた仕事や、関係を半ば強引に辞めたり、姿を消すようなことをしていった。それに対して非難が起こっていたことも知っていたけど、いちいち理由を説明する気にもなれなかった。人を非難する分後の人が結束していくだろうくらいの気持ちを持てた。

仕事をやめ、引越しし、荷物をやっと解いたと思ったら母の上京という急な理由でまた引越しし。

体調不良を疑う理由であった昏倒も、昨年の春、7月、そしてことしの3月と相変わらずつづいている。一瞬で意識がなくなるので車を運転するのも怖い。周りの皆にはとても迷惑と心配をかけている。
でも昨年の春の昏倒のあと、弟が心臓の不調ということでそちらにかかりきりになり、7月の昏倒のあとも、8月の頭には弟の手術に付き合い。その後のごたごたで退院させてくれた医者との約束だった精密検査は未だに受けていない。その気もなくなってしまった。心配してくれた友人たちの中にはそんな私に呆れ果てて絶交して行った人もいる。
検査を受けて、それで結果が悪くてもどうするの? いまさら手術だ、入院だなんてやっても上京してくる母親は誰が面倒をみるの、弟だって本調子じゃないのにって感じ。
知らん顔してそのまますごして、それで昏倒、一巻の終わりならそれで仕方がないでしょうーそんな気持ちで毎日を過ごしている。

一昨年レジデンスのマネージャーやオーナーたちを集めて、トランスアーティストの理事長とのラウンドテーブルをやり、その引き続きで昨年ベルリンであったレザルティスの会議の日本側の出席者をオランダのレジデンスを訪問し、意見交換する機会を作った。これは知人が活動しているAIRのネットワークをもっと拡大、活発化して東京にセンターを作り、地方のレジデンスへきたアーティストが東京でのネットワーキングをしたり、展示をする場所を提供するという最終目的のために動いていたのだけど。またそのために千代田区の遊休施設の借り上げを議会の識者に働きかけをしてもらっていた。

自分でも埼玉や、千葉、愛知でレジデンスの候補地がありそこをどう動かせるのかこれから検討したいと思っていたのだけど。

これからもずっと動ければいいと思うけど、それに自信がない今、誰かが私の動きをサポートし、私が欠けてもそのままフォローできる人が欲しい。箱は手に入るかもしれない。でも問題は箱じゃなくて、その箱の運営なんだから、自分がそれに責任をもてなくて、これからの活動を続けていくことはむしろもっとまずい結果を生み出すことになるだろうとも思う。
でもそこまでやると今度はそのスタッフへの責任が出てくる。

昨年さまざま関係を切ってきたように、今も手持ちの活動を切っていかなければならないのだろうか。
今すごく悩んでいる。