夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

暖かい心と冷静な目  自転車、車椅子はどこを渡る

2006年09月22日 13時08分02秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
昔ヨーロッパやアメリカの町を旅行していて、エンジンつきの三輪車をよく見かけた。最初はなんだろう、戦後日本にも三輪車があったよなと思っていたら、四輪のもある。そのうち、車椅子にモーターがついたのも見かけた。
そうこれらは体が不自由な人が町に出るときに使っている車。
どうりでヨーロッパでは体の不自由な人を町でよく見かける。
体の不自由な人の数が多いのではなくて、彼らが日本以上に、外に出ているということだと気が付いた。

普通の車椅子や、ステッキなどの補助具で歩行している人がいる。歩道や、交差点では近くの人が自然に手を出して、彼らを助けている。あくまで自然で、当たり前のこととして。

体の不自由な人の住宅ということで神奈川県の方がヨーロッパに行かれた。その相談を受けたときに、神奈川ではそれらの人々のために何戸のうちを立てていますと立派な案内書を見せてもらった。ではと、ヨーロッパのそのようなうちの情報を見ようとしたらなかった。なんだろうと問い合わせをしたら、そのような人が借りる場合には、その人の障害に合わせて、家を改装するのだという。新しい借家人が来る前のお決まりの改装工事のなかでやってしまう。だから家は普通のうち、統計には出てこない。その人の障害に合わせてやるものと、りっぱな身障者用の建物(でも入る人の個人的な障害のことは考えられてはいない、どっちがいいんだろうねって神奈川県の担当者にお話をした)

昔、オランダで身体が不自由な人たちが集まって、互いに助け合いながら生活できるコミュニティを作った。介護器具も彼らが自分たち用にと設計し、作り上げる施設を敷地内に作った。法律的な制約と予算の不足で政府はそのお金を十分には援助できなかった。テレビ局が資金援助を呼びかけるために、マラソン番組を作り、時の首相がそれのメインキャスターを勤めた。

今でも、介護施設や、社会サービスの多くの部分が、確実なボランティアによって支えられている。
日本ではテレビなどで取り上げられると、わっとボランティアが集まるけど、熱が冷めると潮のように引いてしまう。これでは全ての施設でフルタイムの職員を雇わなければなにもできない。

ちょっとした考え方、ちょっとした思いやりの気持ちが社会の隅々まで染みとおっていれば、世の中もう少し住みやすいのかなとも思う。

引きこもり老人が認知症の温床だという。それが老人医療費をかさ上げし、他のサービスの低下にまで波及するのであれば、政府や自治体はもっと社会のルーツで健康な老人を社会に出すようなキャンペーンをやればいい。町会の老人会を活用して子供たちの交通安全や、いろんなコミュニティサービスへの参加を呼びかけるというのも一つの例かもしれない。
一年での結果はでないかもしれない。でも地道に10年、20年と続けていけば、おそらく大きな成果としてでてくるものがあるのかもしれない。仮にそれがなくても、社会の目を変えていくことには役立つのではないだろうか。

全てを社会や個人の協力でとはとてもいえない。
行政の果たさなければならないことはたくさんあると思う。
でも両輪でそれが動いていく社会の必要性を行政ももっと考えてもいいのではないだろうか。


横浜と東京を往復していてふっと気が付いたことがある。
国道一号でも15号でも、交差点に歩道橋はつけられている。
でも、自転車や車椅子の人が通るラインは引かれていない。
一号線などは歩道の幅が少ない、階段も急だし、自転車でさえも押し上げ、降りてくるのは無理だと思われる。
ましてや車椅子は絶対に無理だろう。
川崎市は車椅子の人は町に出ないでと呼びかけているのだろうか?
行政が予算がない、余裕がないで弱者に対する目線を失っていれば、社会の目もなかなか育っていかないのではないかと残念な気がしている。