夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

セミオノワ

2006年09月12日 20時32分17秒 | 芸術・文化
今テレビでセミオノワが若い日本のダンサーにちょっとだけ指導をつけているところがオンエアされていたけど、さすがに旨いね~
知らん顔して、ブラックスワンのグランフェッテをずっとダブルで踊っていましたね。

誰かが外人の場合は表現豊かに踊るけど、日本人は教えられたとおりに踊るって言っていたけど、それはそのポジションによるものだと思う。外国人の場合は(もともとその傾向が強い人が多いけど)日本へ来るような人、人の前で踊っているような人は日本まで招聘されるようなバレエ団のソリスト以上の人たち。ソリストやそれ以上ならその人なりの踊りができなければ。これは日本の田舎のバレエ団でモ同じこと。
でもコールドバレエでそれをやって一人目立ったら逆に失敗。

でも日本のバレエには逆にソリスト以上でも言われた動きしかできない人が多い。これはバレエだけじゃないのだけど。国民性なんかな~

アーティスト・イン・レジデンス これから

2006年09月12日 12時38分07秒 | 芸術・文化
長文だし、変更の可能性大です。



アーティスト・イン・レジデンスのオーナーやマネージャーで作っているメーリングリストがあって、そこのオーナーへ先ほどメールをしていてふと思ったことがある。

レジデンスもさまざまな問題がある。
一時期この形態が持てはやされて、自治体などで巨額の投資をして素晴らしい設備を作り上げたりしたときもある。でも関心のある市長が危うくなったりすると、議会で不要論が出てきて、マネージャーたちは悲鳴をあげることになる。特に予算編成時期とレジデンスの翌年のプログラムの公募が重なるので、彼らの心痛は人事とは思えない。(アメリカやヨーロッパでも立派な施設はあるけど、軍の基地や学校、空きビル、そしてお城まで! 大概は遊休施設の活用で、ハードにお金を掛けているところは少ないと思う。)
そんなこんなの現実の現場の問題はいろいろとあるにしても、ではレジデンスの今後はどうなるのだろうということ。

今の公的なレジデンスではきちんとしたプログラムの上で、部門を決めて、公募して、アーティストを受け入れている。また当然制作型のアーティストしか受け入れていない。それでも申請がはるかに多くて、当事者としてはこれ以上変更しなくてもいいという気持ちが強い。

でも海外からのアーティストから協力を持ち込まれる私のような立場から見ると、日本のこの形がだんだんとアーティストの要望にそぐわないものになってきているのを目にしている。
現実に来月も二人ヨーロッパからのアーティストをお世話するし、逆に日本のアーティストもつい先週離日したのをお世話したけど、この三者とも既存のシステムやプログラムには入れなかった。
いつもこのようなアウトローたちのお世話が持ち込まれてしまうので余計に、なんとかならないって感じになってしまう。
でも、マネージャーと話をして、そんならこういう風に考えてよっていうとそれなら可能ですっていうこともあるのだけど。
規則の方から見るんじゃなくて、このアーティストは受け入れたいかどうか、受けいれたければどう柔軟に対応できるかって考えてくれればこちらは嬉しいんだけど。


それは別として、まず、一番多いのは、作品、活動がクロスオーバーしてきている。今までのカテゴリーでは縛れないもののほうがむしろ当たり前になってきている。
TransArtistsの代表などとも話をするけど、これは日本だけの状況ではないみたい。でも、設備、サービスを提供するほうが受けている制度的な制限はヨーロッパなどでは運営者のもうすこし柔軟な対応でなんとか追いついているのだけど、日本でもマネージャーがもう少し行政に影響力をもてなければと思う。

公的なAIRの施設ではそこへの投資が地元への還元として入ってくるのを評価できることを求められることも多い。(芸術的な活動だからと地元との接触をまったく気にしないでやっていたところも知っているけど、昨年から運営母体が変わってしまった)とすると多くの場合に、製作過程を見れるものが喜ばれる。
でも今アーティストからの生の希望を受けていると、制作をしていても作品も過程も人に見られないようなもの、デジタルアーツや作家(ライター・イン・レジデンス)などがあるし、それ以上に企画を立て、そのために日本の状況を視察したり、日本でのネットワークを作りたい作家からの依頼も多くなってきている。またアーティストではないけど、展覧会その他の企画のためのキュレーターたちの研修、研究目的の来日は厳密な意味でのAIRには入ってこない。

上に述べた彼女とは、アーティスト・イン・レジデンスではなくレジデンスという形でもっと広範な活動を可能にしたようなものへ変わるべきだろうと話をしている。

ただ、研究、研修などの目的でレジデンスをやれるところはないことはない。ただ来日する側からは東京圏とか近畿圏に希望が集中しているのも事実だし、実はこの二つのエリアはレジデンスに関しては活動が低い場所でもある。都の新しい施設が堂動いていくのかその辺で非常に興味がある。

またレジデンスでプログラムのかっちりした活動というのも公的な施設ではこのような形しか難しいのかもしれないけど、もっとフレキシブルな形でのレジデンス、ヨーロッパに昔からあるサロン的なものももっと増えて行って欲しいし、そのための公的な助成が可能になれればと思う。
実際問題としてアーティストは彼らの作業日程や自分たちが申請した助成金などでの向こう側の理由もあるのだけど、多少でもフレキシブルにそのような申請の判断がされるといいと思うのだけど。
前回の横浜のトリエンナーレでもサロンが紹介され、この点にも注意を喚起していたし、完全に民間ベースでやっている人たちも京都や東京でもなきにしもあらずだけど、あまりにも個人的な友達チャネルで終始しているのがちょっとつらい。これをもう少し枠を広げるような形のものが出来上がるべきだと思う。

個々の問題となるけど、地元に産業があってレジデンスができているようなところは結構たくさんある。陶芸では常滑や、信楽など、また紙などもそうだ。
マネージャーたちと話をしていると、地元産業と旨く行っているところもあるし、常滑のように産業があるからかえって難しいという話も聞く。でも常滑の活動はとても活発だし東京でやる展覧会だって、地元の産業のバックアップがなければ是だけの作品は生まれないだろうと感心するものが多い。
これらはここの状況に大きく依存するのだろうし、マネージメントには困難があるのだろうけど、地元の産業が旨く絡んでいって、長期的な戦略として取り入れられる方法も探っていかなければ。

悩みは尽きず、話はまだまた続く、、、