夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

「秋風引」と 新米の卵かけご飯の「うまか~」症状についての一考察

2008年08月28日 11時20分51秒 |  岬な日々
昨日のブログへのアクセス解析を見ておりましたら、「秋風引」で来られている方がいるのです。二年も前の9月のはじめの日記ですね。

何処秋風至
蕭蕭送雁群
朝来入庭樹
孤客最先聞
   劉禹錫

風にも秋の匂いがしてきた
空の風は雁の群れを送ってる
朝の庭の木立の中にも秋は沁みてきた
寂しさ一杯のうちん心んなかにも

これがネットの面白いところ。書いた本人が忘れているようなことでも、検索エンジンはきちんと覚えておいてくれて、読者を導いてくれる。善哉、善哉。

しかも、この日記の引き金になった日記「涼風如秋」は8月26日のものなのですね。(写真を減らすために、時々消していますので、この日記のものはだいぶ写真が消えてしまっています) ここでは西行の詩を紹介していますけど、ならなんでこのタイトルをつけたのでしょうね。身に覚えがありません。
それはともかく、引き金になったのはこの日記の本文ではなく、頂いたコメントです。

PCの検索機能や、さまざまな人々とのインターネットのネットワークの持つ力には感嘆しきりというところです。

なんていいながら、起きてベランダに出てみますと、桜の葉も黄色みが増してきています。紅葉してきているのもちらほら。
まだ八月なのに、秋は忍んできているのですね。

朝来入庭樹  (秋の風は)朝来て、庭の木陰に忍んでいる
孤客最先聞   孤独を噛締めているものにはそれが見える



そうなんです、秋は一年の終わりの賑やかな収穫の季節でもあり、だからこそ物悲しい季節でもあります。

そして、その収穫のほうといったら、、、、、
冬篭りに向けての「味覚の秋」じゃ~!!!

この時期、岬では、梨が実り、メロンが実り、ぶどうも実る。
柿もまもなく目やお腹を楽しませてくれる。
そして、忘れてならないのは、このベランダの上にまで枝を伸ばし実を差し伸べている栗。
期待に胸、じゃなかったお腹が震えます。
(あらら、せっかくロマンティックに行こうと思ったのに、地がでてしまいました)


 
さて、昨日岬に戻る途中でJAの土楽の里によって新米を買ってきました。
「たへどん」というかたの夷隅の米「ふさおとめ」です。
この方のお米は全国米食味コンクールで特別優良賞を得られたとか、こんなお米が簡単に手に入るというのは嬉しいことですね。いすみにいて本当によかったと思います。



今年の新米を賞味できる。なんとなく嬉しくて、、、大げさに言えば、あたかも新茶を待つお茶人の気持ちが分かるような気がします。
お茶人たちも、冷蔵庫も、真空保存の技術もない昔に、まずくなったお茶を飲みながら、新茶を待ち望んでいる。そしてさあ、茶壷の紐を解き、新茶を味わう。この新茶がこれからの一年のお茶の始まりになるのです。
口切の茶事がお茶のお正月というのは本当にそうだったんですね。

登ってくる太陽に、いつものようにハードキスをされて、仕方なく眠い目をこすりながら起き上がりました。でも今日は特別の日。
早速台所へ直行、お米を水に漬けました。
いつもは研いですぐに炊飯器を入れるのですが、今日は、お米を水に浸してしばらく置き、それから研いだお米をさらに水につけておきますので、時間がかかります。



おかずの用意はなし。
昨日、やはりこちらに来る途中で農家の卵を入手しました。
ぴかぴかの新しい卵。これで卵かけご飯にいたします。
これまた、岬に来た楽しみの一つ。
ご飯が薄味、そして質素になりました。
でも、目の前に並ぶものが、すべて新鮮なもの。
食材一つ一つの味がきちんとして、口を楽しませてくれます。
こんなに贅沢な食事は東京ではできない。

本当は、新米の味を楽しむのなら塩むすびのほうがいいと思ったのですけど、悲しいかなボクちゃんはお結びが下手なのですよ。仕方ありませんね。

でも、今日の水加減はどうしましょう。新米だから本来は水は少なめでもいいはず、おまけに私はちょっと固めのご飯を食べてみたい、、、、どれくらい減らせばいいのか、、、悩みました、、、ほんとうに、、、、


悩んだ挙句、心持、水を少なめにしました。でもそれでも普通の上がりになりました。もっと少なめでもよかったのですね。

ご飯に、卵、のり、そして箸休めをすこしだけ、、、
これだけの食事です。
でも大満足。










トルコキキョウ

2008年08月26日 12時28分43秒 |  あなたの鼓動、華
桔梗はちょっと前にも四弁の混じり咲きの桔梗をアップしていましたけど、これはトルコキキョウ。
桔梗がキキョウ科キキョウ属なのに対し、こちらは別種。
植物的にはこちらはリンドウの仲間だそうです。リンドウ科ユーストマ属。
青花や、赤紫のトルコキキョウは大概トルコキキョウとして売られていますけど、この系統のものはリシアンサスという名前で売られていました。
トルコキキョウ、ユーストマ、リシアンサス、、、みな同じ花なのですけど。

ちなみに桔梗は朝鮮半島や中国が原産で日本にも古くからよく知られていますけど、こちらのトルコキキョウはアメリカで発見されてからそれほど経っていないのだそうです。そのときの学名がリシアンサス。それが今はユーストマと言う名前に変えられています。

日本でも栽培が始められたのは大正から昭和の初めだそうですが、世界的に見てもこれに改良を加えていったのは日本が一番進んでいたのだそうです。

花屋で見ているとそんなに浅い歴史だったということはわかりませんし、この時期ずいぶんと売られていて、ポピュラーな花になっていますけどね。

切花で求めましたが、水揚げも楽なので、蕾がついているものを買ってきても、しばらくは目を楽しませてくれます。

種や苗を買ってきて育てても楽しいですよね。
(種は小さいし、ちょっと面倒かもしれませんけど、苗なら問題ない。病害虫もあまり心配ないようです。水は好きだけど、じめじめするのは嫌みたい。まぁ、関東の平野部であれば普通に育てればたぶん大丈夫です。花が終わったら、少し(第二節くらいまで)切り戻してやるとまた次の花が咲いてきますので、結構長く楽しめます)



草の花はなでしこ

2008年08月25日 14時22分07秒 |  あなたの鼓動、華


ベランダに咲いている撫子に雨露がついて輝いていました。



ところで先日、北京で大活躍をしたナデシコ・ジャパンではないですけど、撫子には中国から渡ってきた唐撫子(石竹)と在来種の大和撫子がありました。


草の花はなでしこ
唐のはさらなり大和のもいとめでたし
         枕草子
         清少納言


清少納言は唐の方がよいと言っていましたけど、北京では大和撫子が勝ちましたよね。ナデシコ・ジャパン。たおやかさの中にも強さを秘めた、、、ってことなのでしょうか。

野辺見れば 撫子の花 咲きにけり
       わが待つ秋は 近づくらしも
         万葉集 

でもベランダの撫子は一年中、咲いていますし、あまりたおやかそうにも見えないですけどね~
ちょうど、今の弱き性のようで、、、はい。

ハバネロ (Habanero chilli; Capsicum chinense)

2008年08月25日 13時54分07秒 |  食べるために生きる

人間の歴史って面白いですね。
食べ物や、香辛料の歴史を見るだけでも、世界的な人と物の交流が私たちが普通に思う以前から無視できないレベルで存在しているのですね。

卑弥呼だ、やれ大和朝廷だっていうはるか以前に、米を持って日本にたどり着いた東南アジアの人がいる。あの時代の文化の伝播速度を見ていると、弥生時代にそれが定着化して行っているということは、縄文時代にはそんな交流(?)がすでにあっているということですね。それは新しい遺跡の発掘でもどんどんと明らかになってきている。

日本の道を見ていても、塩を都会に運ぶための道があっちにもこっちにもある。

一度、砂糖の日本への伝播の歴史のお話を聞いたことがありますが、さまざま時代の世界地図を目の前にして聞かなければとてもイメージをつかめないような広大なお話でした。

胡椒も、肉食のヨーロッパ人にとってはなくてはならない香辛料。
これも世界の貿易、文化の交流の大きな原動力になったのですね。


ということで、今日はハバネロ。ナス科トウガラシ属シネンセ種。中央アメリカから南アメリカが原産らしいです。
唐辛子の一族ですね。
世界で一番辛い植物ということで一時期知られていましたけど、今は、もっと辛いものが見つかってその王者を降りています。



まあ、ハバネロは世界の歴史に登場しなかったかもしれませんけど、ベランダに生っているこの赤い実をみていると、果たして食べたものか、それとも歴史のロマンを味わうだけにしたほうがいいのか、考えてしまいます。



熊本マリと逢坂剛?

2008年08月24日 12時18分57秒 | 日記


逢坂剛の「恩はあだで返せ」なんて本を読んでいたら、ひょっこり、熊本マリのコンサートに行くなんてせりふが出てきてびっくりした。 なんだか前後関係もなく、ひょっと出てきたんで何だろうって驚いたんだけど。

逢坂剛って当たりはずれがある作家で、この本は私にははずれにしか思えなかったので、特にお勧めはしないけど。

熊本マリ、私のブックマークのトップにありますよね。
でも、このブックマークもあまりにも唐突か。

一里塚で一休み  「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み」

2008年08月23日 16時59分16秒 |  気になる詩、言葉
一里塚に来ました。
ここで、一休み。
来し方の有漏路の方を見てみても、あまりにも混沌としてさだかではありません。



向かう先の無漏路は? はてさて、どこにあるものやら。



有ろじより 無ろじへ帰る 一休み
     雨ふらば降れ 風ふかば吹け
            一休禅師


写真は先日使いましたいすみの「野生の」孔雀です。

胡蝶の夢、、、、 と、卑弥呼伝説(井沢元彦)

2008年08月23日 12時13分31秒 | 日記



昨日の「蝶」へ


栩栩然として、ちょうちょでも幸せ。
遽遽然として、兄者でも幸せ。
/>

ってコメントをつけてきた方がありました。
胡蝶の夢ですね。

いやですね~、こんな縄文時代の話を蒸し返されても、覚えていないってば。
昨日、ラーメン代を160円借りたのすら覚えてないんですからね。



でも、この話、二つの点でとても面白い。

一つは、この言葉を残した荘子が紀元前300年くらいの人。当時、日本はまだ縄文時代で、弥生時代とか古墳時代にも入っていない時期に、中国はもう春秋時代が終わり、戦国時代なのですね。
原始時代人ってイメージするときに、知能もその程度のものとして考えがちですけど、でも人間としてのキャパは持っていたんでしょうね。
ということはもし、日本の縄文人が生まれたときから中国に育てば、当時の中国人と同じレベルの考え方ができたのでしょうね。
なんて思うのは、ちょうど昨日、井沢元彦の卑弥呼伝説を読んでいて、当時(こちらでは卑弥呼の時代だからもっと後の時代ですね)とその当時の中国の文化レベルの差が何度も出てきたのですね。だからふとそんなことを思いました。

もう一つは、
やはり、「一里塚で一休み」に別な方が「自然体」ってことでコメントをいただきました。「胡蝶の夢」との妙な関連を面白く思いました。

ちなみに「胡蝶の夢」は
昔者、荘周、夢為胡蝶、栩栩然胡蝶也、自喩適志與、不知周也、俄然覚、則遽遽然周也、不知、周之夢為胡蝶與、周與胡蝶 則必有分矣、此之謂物化、

昔者(むかし) 荘周、夢に胡蝶と為る。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。自ら喩(たのし)みて心に適うか、周なることを知らざるなり。俄然として覚むれば、則遽遽然(きょきょぜん)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為るのか、胡蝶の夢に周と為るか。周と胡蝶とは、即ち必ず分あらん。此れをこれ物化と謂う。

荘周さんが蝶になった夢を見て、それが自分にあっていたのか、自分が周であることさえ気がつかなかった。はっと目が覚めてみると、もちろん自分は周なんですね。でも、果たして、周の夢で自分が蝶になったのか、それとも蝶の夢で自分が周になったのか、周と蝶は絶対に二つのものであるはず、この移行を物化という、、、
            
               斉物論篇 第二・一三


何度も折があると書いていますけど、ブログのタイトルと副題。
「夢幻泡影」と「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」
この「折」がなんとなく、増えてきているような気がします。
この前の日記でも、たまたま「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 、、、」なんて書いていましたけど、あっちが近くなってきたってことでしょうかね?





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ところでこれはホシゴイですか?

2008年08月22日 23時15分30秒 |  岬な日々

椎木堰で見かけました。
10羽くらいの群れになっていましたけど、これはホシゴイでしょうか?
ヨシゴイにしては嘴が黒いのが気になります。
でもまさかオオヨシゴイではないし。

こっちでみるとそれほど嘴は黒くないですね。
お腹の模様はこれで分かりますか?



羽の模様はこんな感じ。



こちらもどうぞ。




蝶   

2008年08月22日 21時19分23秒 |  岬な日々


先日、アゲハを撮ったところでまた、蝶を見ました。
何頭かのアゲハが、花から花へと一心不乱に蜜を求めて飛び交っていました。



短い一生、彼らは本能の赴くままに生きていくのでしょうね。
果たしてそれが不幸なのでしょうか。
彼らの何十倍も生きる人間はだから幸福なのでしょうか?