旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

東海道散歩日記 赤坂宿~藤川宿

2006-12-15 23:59:02 | 歩き旅

旅籠 大橋屋旅館 (愛知県宝飯郡音羽町大字赤坂)

平成18年10月9日月曜日体育の日。10時17分に赤坂宿の本陣跡を後にして、2分で江戸時代から営業する旅籠、大橋屋が現れた。旧屋号は伊右ヱ門鯉屋といい、創業は慶安2年(1649)、今の建物は正徳6年(1716)頃の建築という。松尾芭蕉も投宿したそうだ。当時の旅籠が今も営業しているのは東海道でもここだけ。少し歩くと無料休憩所が設けられていた。お手洗いを借りる。歩き旅の人のためにこうゆう施設があるのはありがたい。


長沢一里塚跡 (愛知県宝飯郡音羽町大字長沢)

東名の音羽蒲郡ICと蒲郡市とを結ぶ音羽蒲郡有料道路のガードをくぐり、10時45分に長沢一里塚跡を通過する。やがて長閑な旧道は終わり、国道1号線に合流する。ここからは国道1号(東海道)、名古屋鉄道名古屋本線、第一東海自動車道(東名高速道路)が併走する。


名古屋鉄道 名古屋本線 (本宿-名電長沢)


岡崎市・音羽町境

峠の頂上を目指して歩く。それほど険しい坂ではない。向こうから歩き旅の人がやって来る。江戸へ下っているのだろう。互いに挨拶を交わす。今回は挨拶したが、するべきかどうか迷うことがある。単に道を歩いている人なのかも知れないし。まあ、それとなく判るが。11時24分、岡崎市に入る。岡崎といえば連続テレビ小説の舞台だった。


実りの秋


本宿陣屋跡 (愛知県岡崎市本宿町)

国道から分かれて旧道となりホッとする。本宿は東海道五十三次ではないが、いい風情の町並みが残っている。本宿陣屋跡は病院となっている。かつての御代官様は、今は御医者様なのかな。11時42分、一里塚跡に至る。


本宿一里塚跡 (愛知県岡崎市本宿町)

東海道は再び国道に合流したり、旧道になったりしている。時折、名鉄電車が走っていく。国道に面したガソリンスタンドからラジオの音が聞こえてくる。核実験が行われたとのニュースである。激しい憤りを覚える。


藤川宿 東棒鼻跡 (愛知県岡崎市市場町)

折角の旅行であるのに、すっかり気分を害してしまった。しかし歩を進めねばならない。12時29分、「従是西 藤川宿」の標柱がたつ、東棒鼻に到着した。これより西は藤川宿である。 (つづく)

東海道散歩日記 御油宿~赤坂宿

2006-12-14 23:59:49 | 歩き旅

御油宿本陣跡 (愛知県豊川市御油町)

平成18年10月9日月曜日体育の日。9時57分に御油宿本陣前を通過。宿場内の道を掘り返している。東海道を歩けないのではと思ったが、歩行者は工事箇所の脇を歩かせてくれた。お仕事中のところを申し訳ない。無事に工事箇所も通過した。宿場を外れると御油の松並木が現れた。昭和19年(1944)に国の天然記念物となっている。


御油松並木 (愛知県豊川市御油町)


音羽町・豊川市境

松並木を抜けたところで、10時10分に音羽町に入る。東名の音羽蒲郡ICがあるから、町名に聞き覚えがある。さて、先ほど御油宿本陣跡を通ったばかりだが、もう10時17分には次の赤坂宿本陣跡まで来てしまった。途中で乗り物に乗った訳でもなく、足が速くなった訳でもない。御油宿と赤坂宿との間は僅か1.7kmなのである。両本陣跡の間に20分しか要していない。 (つづく)


赤坂宿本陣跡 (愛知県宝飯郡音羽町大字赤坂)

東海道散歩日記 吉田宿~御油宿

2006-12-13 23:59:49 | 歩き旅

豊橋 (愛知県豊橋市船町)

平成18年10月8日日曜日14時37分、吉田宿本陣跡を過ぎ、次の御油宿を目指す。豊橋市内では盛んに花火の音がしている。街道沿いの公園には警察官が立っている。何か催しがあるのだろう。やがて豊川の土手に出た。この川に架かる橋が豊橋である。

豊橋の町の名ははかつて豊川に架かる橋の名から今橋という名前だった。永正2年(1505)に築かれた今橋城が、天文15年(1546)に今川義元の手に帰し、吉田と変えらた。江戸時代は東海道の宿駅吉田宿として栄え、明治2年(1869)に豊川に架かる橋の名をとって吉田から豊橋へと改名されている。その豊橋を渡って吉田の城下を後にした。


下地一里塚跡 (愛知県豊橋市下地町)

15時04分、下地一里塚跡に到着。飯田線に下地という駅がある。名鉄名古屋本線の線路でもあるが、名鉄の駅はない。さて、二川から歩きつづけていて、用を足したくなった。旧街道沿いにあるサークルKでトイレを借りる。知らない土地でのコンビニエンスストアは本当に助かる。お菓子と缶コーヒーとスポーツドリンクを購入。お行儀が悪いが、店の前で菓子を食い、小休止。


小坂井町・豊橋市境

休憩を終えて歩いていたら、結構な速度で歩く人に抜かれる。恐らく東海道を歩いている人だろう。自分より歳は上のようだが、体力も上のようである。15時38分、小坂井町に入る。東海道本線に西小坂井という駅があり、飯田線にも小坂井という駅があるので、その名には聞き覚えがある。ここから、豊川豊水路に架かる高橋への上りとなる。道幅が狭くなり、車がすれ違えば歩行者の避ける場所は無い。旧街道だか、交通量はそこそこある。先の早足の人は果敢に歩いて行く。自分も道の右端ギリギリの所を歩いて、何とか橋を渡った。橋だけでなく、アプローチ部の盛土も道幅が狭いので、かなりの距離を難儀して歩いた。


伊奈一里塚跡 (愛知県宝飯郡小坂井町大字伊奈)

飯田線の踏切を渡る。左手に小坂井駅が見える。16時12分、伊那一里塚跡到着。休憩したとはいえ、一里に1時間以上を要している。


豊川市・小坂井町境

16時21分、豊川市に入る。御油は豊川市だったのか。豊川といえば豊川稲荷だが、未だお参りした事は無い。そろそろ疲れてきた。名鉄が旧街道に並行しているので、いつでも今日の行程を止める事が出来る。17時になったら終わりにしよう。五時が早いか、御油が早いか。

突然、旧東海道が塞がれた。大きな道路が交差しており、迂回しなければならない。こちらは旧道とはいえ、天下の往来東海道である。面白くない。しかし実際の交通に従わねばならない。左に迂回し、誇線橋のアプローチ部の下をくぐって、反対側に出た。やがて国道1号線に合流し、名古屋本線を誇線橋で渡る。豊川線も見える。ツーリングのバイクの一団が名古屋方面へ走って行く。渡り終えると、高校生の女の子が下校している。日曜日なので部活だろうか。もう五時が近い。こちらも今日の行程を終わりにしよう。結局、御油より五時が早かったか。高校生はまっすぐ国道を国府駅に向かうが、自分は分れている旧道経由で駅に行く。やはり旧道は落ち着く。御油宿はもうすぐだが、17時04分に新栄町2丁目交差点で終了。旧東海道を離れて国府駅へ向かった。


新栄町2丁目交差点 (愛知県豊川市新栄町)

平成18年10月9日月曜日体育の日。昨夜は豊橋のホテルに一泊して、昨日の中断地点に戻ってきた。9時39分出発する。朝から歩くのは気持ちいい。


新栄町2丁目交差点 (愛知県豊川市新栄町)


御油一里塚跡 (愛知県豊川市御油町)


左:姫街道 右:東海道 (愛知県豊川市御油町)

9時44分、御油一里塚跡に到着。つづいて9時47分東海道と姫街道との分岐に到着する。姫街道は、遠州見附宿(静岡県磐田市)より三州御油宿(愛知県豊川市)まで、浜名湖の北岸を廻る脇街道である。この経路なら今切の渡しで船に乗らずに済む。音羽川を渡り、御油宿に入った。右へ左へ地図に従い歩いていると、道路工事の看板が。東海道を歩けないではないか。とりあえず行けるところまで行こう。9時57分、御油宿本陣跡に到着した。 (つづく)

東海道散歩日記 二川宿~吉田宿

2006-12-12 23:59:34 | 歩き旅

旧東海道と交差する豊橋鉄道 (愛知県豊橋市札木町)

平成18年10月8日日曜日。ほぼ一箇月ぶりに、前回の東海道の旅の中断地点、東海道本線二川駅に戻ってきた。前回は残暑厳しく、苛酷な歩き旅だったが、今回は気候もよろしく、歩くのにはもってこいの季節である。一泊二日の日程でどんどん歩こうと思う。13時に二川駅前を出発。天気は良いが、暑くはない。しばらく行くと、交差点付近で道路が付替えられており、旧道と思われる場所が、飲食店の駐車場となっている。なるべく旧道を辿りたいが、今は私有地である。仕方なく付替えた新道を行く。火打坂を上った所も、道路改修で付替えられており、旧道は商業施設の敷地となっている。国や県に付替えで不要となった旧道を払い下げるなとはいえない。新道を歩くのはやむを得ない。しばらく歩いて国道1号線と合流する。合流しないと思っていたので、ちょっと道を間違う。

国道の歩道を歩くのは、何とも味気ない。そもそも交通量が多いので、騒音、排気ガス、砂埃で、快適ではない。その騒音とは別に爆竹のような音が聞こえてくる。ガラの悪い街なのかと思ったが、爆竹とは違う。豊橋といえば手筒花火。祭りか何かで花火をしているようだ。秋祭りの季節である。そんな豊橋市内の歩きだったが、5年くらい、もっと前だろうか、一度利用した事のあるびっくりドンキーの前を通った。そこで晩飯を食べた時には、まさかここを歩くとは思っていない。

旧東海道は国道と分れて、吉田の城下を左へ右へと曲がりながら進む。今回の旅ではガイド本を片手に歩いているが、それでも道を間違えてしまう。愛知県唯一の路面電車の線路を越えて、14時37分に吉田宿本陣跡到着。そこは老舗のうなぎやさんだった。今日は豊橋市内に宿をとってある。うなぎで一杯やって、続きは明日でも良いが、まだ日が高い。疲れもないので 、先に進もうと思う。 (つづく)


吉田宿本陣跡はうなぎ屋に (愛知県豊橋市札木町)

東海道散歩日記 白須賀宿~二川宿

2006-12-11 04:30:24 | 歩き旅

愛知県・静岡県県境 (愛知県豊橋市・静岡県湖西市)

平成18年9月9日土曜日12時50分、白須賀宿本陣跡を撮影すると、そのまま休まずに次の二川宿へと歩き続ける。休むのに適当な場所がないのだ。宿場の家々には昔の屋号が書かれた札が掲げられている。宿場を抜け、旧道が新道に合流してしばらくすると、愛知県と静岡県との県境が見えてきた。箱根峠以来となる県境。ふたつの県境の間には15年程の時が流れている。13時08分、境川に架けられた橋を渡り、愛知県に入った。県境は三河と遠江との国境でもある。


一里山・細谷一里塚 (愛知県豊橋市東細谷町)

国道1号線に合流する。交通量の多い、往復四車線の道路である。歩道と車道とはガードレールで隔てられているが、砂が積もり、雑草が生え、信号機付近には弁当殻などのゴミが捨てられている。歩いていて気分がよくない。あたりは畑で、自動車相手のコンビニエンスストアや事業所が点在する程度である。住宅地ではないので、家の前を掃除するということにはならないのだろう。

13時17分、一里塚を通過する。現存する一里塚である。一里を歩くのにほぼ1時間を要している。相変わらず天気は良くて暑い。手拭いで汗を拭くが、車のまき上げる砂埃で少しざらざらする。途中で休憩していたのであろう、自転車氏が再び追い抜いて行く。


立岩と東海道・山陽新幹線 (愛知県豊橋市豊清町)

新幹線が見えてきた。離れていた東海道と鉄道が近づいてきた。向うに大きな岩山が見える。鉄道でここを通る時にも気になっていたが、立岩というらしい。国道と分れて新幹線のガードをくぐる。ようやく旧道となった。在来線を踏み切りで渡ると、宿場らしい風情となった。


豊橋市二川宿本陣資料館 (愛知県豊橋市二川町)

14時20分、二川宿本陣に到着する。文化4年(1807)から本陣職を勤めた馬場家の遺構を改修復原工事したもので、豊橋市二川宿本陣資料館の一部として公開されている。さっそく中に入ろうと思うが、飲食禁止らしいので、近所の商店の自動販売機で飲み物を買って飲み干す。入館料(400円)を支払って、冷房の効いた屋内へ入る。洗面所で顔を洗う。少し日焼けしたようだ。椅子に腰掛けて涼む。資料館には団体さんもいて賑わっているが、東海道を歩いてきた人はいるのだろうか。


座敷がいっぱい (二川宿本陣)

ひととおり資料の展示を見た後は、旅籠屋「清明屋」へ。本陣の東側にある倉橋家の遺構で、改修復原工事をして公開している。つまり本陣、旅籠、資料館の三つが見学出来るのである。靴を脱ぎ、座敷に上がってうろうろする。お膳の見本を見て、旨そうだなと思う。

庶民が泊まった旅籠の次は、いよいよ本陣である。こちらは大名や旗本、公家といった身分の高い人が利用した。その本陣には、今日の道中で何度も見掛けた自転車氏がいて、話し掛けてきた。今日はどこからどこまで行くのかという話をしたが、私を見てこんなに軽装な人は初めてだという。そりゃそうだろう。コンビニ行くみてぇだもん。荷物は浜松駅のコインロッカーに預けてあるので、財布と手拭いとデジタルカメラしか持っていない。自転車氏と別れて、本陣の座敷に上がってうろうろする。こちらは広くて、格式も高くて、部屋数も多い。その中でも一段と高くなっている部屋がある。


上段の間 (二川宿本陣)

貴人の泊まった上段の間である。中には入れないので、部屋の前で胡座をかく。目の前の部屋では、お殿様が脇息に靠れていたのだろう。しばし200年近く昔に思いを馳せてみる。

今日の行程は二川宿までにしよう。といっても、本陣にも旅籠にも泊まれない。宿は浜松にとってある。二川駅へ向かう。15時05分、本陣を出発。街道の風情がよく残っている。駅は宿場の中心から約1km西にある。だから開発から免れて街道が残っている。15時20分、二川駅に到着。これで今日の行程は本当に終わりである。本当に暑かったので、プラットフォームのベンチに腰掛けて飲んだ缶ビールが心底旨かった。 (つづく)


東海道本線 二川駅 (愛知県豊橋市大岩町南元屋敷)