九份老街 基山街 (新北市瑞芳區九份)
ガイドブックを見れば、この細い路地を行くようである。それにしても人が多い。そして日本人が多い。中高年の日本人が多い。実はうちの親も、一月に台湾旅行で、ここ九份を訪れている。学校が長期休暇に入ったであろう、台湾の若者も多く訪れている。
土産物屋や飲食店が路地の左右に!
売ってるものは異なるが、宮島の土産物店や飲食店の並ぶアーケードを思い出す。いかにも観光地の商店が並ぶが、これはこれで悪くない。わくわくする。
観光客なぞ我関せずと道に寝そべるたいわんこ!
平地からバスでずいぶん高いところまで上ってきた!
台北の市街地より気温は幾分下っているが、湿気があるので快適という程でもない。山の斜面に張り付くように街が形成されている。
かつては九戸しかなかったという九份が、人口数万人まで繁栄した理由はこちら。
臺陽五番坑
金脈が発見され、金鉱として栄えたのだ。
(中文) 此坑開採於昭和十年(1935),臺陽公司採取「三級包租制」…
(英文) This pit opened mining in 1935. The owner, Taiyang Company …
(和文) 昭和十年(1935年)に採鉱が開始されたとき、台陽公司は「三段階請負制」を採用しました。 台陽公司が元請負となり、ひとつの鉱脈を請け負う業者(たとえば、九大鉱業有限公司)を募って下請けとし、さらに細分化して下請けに出していました。労働者は坑道に入る前に請負業者の判が押された伝票を持っており、坑道の入り口には出入りの労働者を管理する見張所(管理所)が、当日に坑道に入る労働者数を確認してから、労働者の就業証と伝票を預かる代わりに木製の札を渡し、労働者は坑道に入ります。退勤のときは木製札を回収し、就業証を返還し、坑道を離れたことを確認していました。
九份老街 豎崎路
金鉱山は閉山し、街も衰退してしまったが、映画のロケ地となり脚光を浴びて、現在では観光地として賑わいを見せている。豎崎路の坂道を登っていこう。
新北市瑞芳區九份國民小學
坂の上にはお寺でもあるのかと思ったら、小学校だった。
毎日、坂を登って登校とは。さぞや子供達の足腰は鍛えられるであろう。
校門前より下を見ると…
坂の途中に人気の甘味(芋圓)のお店があり、観光客がその器を片手に校門前の階段に腰掛けて食べている。芋圓はまだ食べた事がない。
坂を登ったら、降りるだけ…
琺瑯?の看板
時代を感じさせますね。
阿妹茶樓 (新北市瑞芳區祟文里市下巷)
日本人の御婦人が写真を撮っているので、ここが観光スポットなのだろう。ガイドブックにも、この風景の写真が使われている。
「神隠少女」 湯婆婆的湯屋
「千と千尋の神隠し」 湯婆婆の屋敷
題名には聞き覚えがあるが、その映画自体は見た事がない。
九戸茶語 (新北市瑞芳區九份輕便路)
小上海茶樓 (新北市瑞芳區豎崎路)
ここが前述の映画のロケ地。屋号より題名の「悲情城市」の方が目立つ。九份の見所は、こういった街並みを見る事なのだろう。結局、どこのお店にも入る事なく坂を下る。
ここにもたいわんこ!
瑞穗草莓雪糕(30元)
バス停前にあったコンビニエンスストア、萊爾富(Hi-Life)に立ち寄り、アイスを買ってくる。昨日食べたアイスは10元(約27円50銭)だったが、今日のはメーカー品で30元(約82円50銭)。帰りのバス賃のために釣り銭で小銭を用意しておく。
九份で食べたのは、このアイスだけ!
バスがやって来た
バスの前面には往瑞芳の表示が。瑞芳止まりなのかな。帰りは瑞芳までバスで出て、そこから鉄道を利用して台北に戻ろうと思う。運賃を払って空席に腰掛ける。バスは山道を下っていく。乗客の会話に「おばさん」という単語が聞こえてくる。日本語の会話ではないが、日本語の単語が台湾に残っているのだ。バスは程なく瑞芳の駅前に到着した。 (つづく)
瑞芳火車站到了
いずれも民國101年(2012)6月26日撮影
基隆客運 1062 九份→瑞芳火車站 票價15元