前回の記事にあるような経緯で、掲題の『環境論』を読むことになった。 養老先生の本は難しい。われわれ現代人の「生きる座標軸、つまり観点」がずれているため、先生の正論を理解できないのであろう。しかし面白い話がたくさん出てくる。
四国のある町で、ハエとカを駆除するためにDDTを徹底的に播いたところ、翌年ハエとカは戻ってきたが、トンボもチョウも含めて他の虫はほとんどいなくなったという。「ああすれば、こうなる」式の単純さでは、環境問題はダメだと先生は言っている。
コンビニの弁当の四割が売れ残り処分されるということは聞いたことがあるが、それは肥料になり野菜等と化して再び弁当になるのだそうな。昔も食べた結果の糞尿は肥料となり穀物や野菜を育て食料と化していた。違うところは、昔は100%人の体を通って循環していたが、今は、食料でありながら40%は人間を通過せずに無駄な循環をする、と先生は書いている。
重要なことは、昔の「里山の手入れ」のようなことだと言う。この「手入れ」は、努力、辛抱、根性を必要としたが、この三つが現代人に最もかけている点で、これが環境問題の根源であると言っているようだ。次の言葉も心に残った。
「環境問題とは、人間が自然をコントロールできると考えた結果、起こってきたと見ることもできる。それと裏腹に、自然のシステムはとても大きいから、汚染物質を垂れ流しても自然に浄化してくれるだろうという過大な期待もあった。人間は自然を相手にするとき、理解できる部分はコンとロールし、理解を超えた部分には目をつぶってきた。一言でいうなら、相手に対する謙虚な姿勢がなかったのである。」(同書102頁)
どうも養老先生の本について書くと、引用ばかりになってしまう。ずれた現代人の典型としては、先生の言うことを書き写すしかないのかもしれない。(先生ゴメンナサイ) なお、環境問題解決のための、先生の最後の提言は、都会(人工)の人間は年に3ヶ月は田舎(自然)に行け、と言うことだ。しかも、平等に全員が行くように「参勤交代」制にせよ、と提案している。