旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

非武装中立について

2007-03-17 15:47:52 | 政治経済

 

 某氏から「コスタリカって知ってる?」のコメントをいただきました。詳細なコメント有難うございました。
 要旨は、①非武装と言っても名目上で、コスタリカも日本と同じく相当な軍事費を使っている、②非武装中立なんて実態的にありえない、と言うものです。

 コスタリカは1948年の内戦を制したフィゲーレスが第二共和制を打ちたて、その主要な柱が「選挙管理裁判所の設立」と「武装放棄」でした。しかしその後も隣国ニカラグアとは国境紛争が続き、ついに1983年、時の大統領モンヘは「憲法及び国際条約を基礎とする非武装と戦争不介入」を国民の前に再確認し、対外的にコスタリカの立場を「永世的、積極的、非武装中立に関する大統領宣言」として公表、それを引き継いだアリアス大統領が粘り強い和平政策を展開してノーベル平和賞につながった・・・という歴史があります。(寿里順平『中米の奇跡コスタリカ』ほか)
 しかし「非武装中立」などいうものは、それが高邁で理想主義的であればあるほど、周囲からは格好なチョッカイの対象とされるだろうし、隣国ニカラグアとの紛争は国際的にも有名で、そのために相当な資力も人力も使わざるを得なかったことでしょう。私はニカラグアの軍事費がいくらで、コスタリカの投入した「軍事費」がいくらかは知りませんが、ご指摘の通りの「悲しい現実」は事実かもしれません。
 人類は、その長い歴史の中で未だ武器を捨てることができません。近代国民国家も、自衛のためとして武器を蓄えその力で他国を攻め、人を殺し続けています(アメリカのイラク戦争など)。その結果、人類は地球を何十回も壊滅させるほどの武力を蓄えてきています。一回壊滅させればそれ以上なすことはないにもかかわらず、まだまだ持とうとしています。
 「武力の放棄」・・・・・・これは人類永遠のテーマであり悲願でしょう。私は、現状さまざまな矛盾を抱えながらも、戦争の道か平和の方向(その究極に武器放棄があるのでしょうが)か、そのどちらに力を尽くそうとしているかで、さまざまな事象を評価したいと思っています。 非武装の世界が到来すれば中立は当然で、中立という概念もなくなる、という点で「非武装中立」は矛盾概念かもしれませんが。
                            


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