39歳の息子の高校卒業式に参加することなど、初めは全く考えていなかった。会場が九段会館だというので、近くの桜を眺めようとワイフと出かけたのであった。ところが、桜は全く咲いておらず見るものはなかったが、ついでに行ったような「八洲学園高等学校卒業証書授与式」は素晴らしかった。
まず、500名を超える卒業生(不参加者もかなり居たが)に、壇上で、校長先生が一人一人名前を呼んで卒業証書を手渡した。これだけでも、他の学校にはあまりないことではないか?
ただ、その受け取る一人一人の様を見て、私は最初は不安を感じた。茶髪にルーズソックスの女の子、よたよたズボンにフード付きシャツ、運動帽を被ったままの男の子、もちろんピシッとスーツを着た子や和服や袴の子も居たが、これだけさまざまな子供たちに、何か「共通の教科」を教えるることは不可能ではないのかと思ったからだ。
しかしその答えは、すぐに出てきた。続いて行われた表彰式では、金髪を頭上でチョンマゲにして見るからにたより気なく卒業証書を受け取った女の子などが、読書感想文コンテスト優秀賞などを受けていた。「見かけだけで人を見てはいけない」と、私は自分を恥じた。
もっと驚いたのは卒業生の答辞であった。五会場を代表して五人が述べたが、いずれも高校中退や退学をを繰り返し、3回、4回のチャレンジでようやく今日を迎えた生徒たちであった。彼らはそれを悪びれることなく赤裸々に語り、教師や両親に感謝の言葉を捧げた。その中には前述したジーパン・フード付きシャツの子もいた。彼は数回のトライで今日にたどり着いたことを述べ、それを支えてくれたのは母であったと告白、「・・・日ごろは恥ずかしくて言えなかったが、お母さん有難う」と涙ながらに答辞を締めくくった。
そして、会場を埋めた全生徒は、物音一つ立てず全ての答辞を聞いていた。きっと、形や経過こそ違え、彼らには「挫折や逃避をようやく乗り越えて到達した共通点」があるのであろう。
式は、その背景にあるものをもう一つ見せてくれた。それは最後に4~50人の先生が壇上に並び、全員が卒業生に向かってお祝いの言葉を述べた中にあった。その言葉は全て教育心にあふれていた。これでもか、これでもか、という感さえした。女の先生は皆んな泣きながらしゃべった。そこには、共に苦難を乗り越えた「生徒との共通点」があるのだろう。
私は、未だこのような学校が残っていた!、ということに驚きと共に喜びを感じた。
息子は、新調したのであろう黒のスーツを着込み、純白のワイシャツにえんじのネクタイを締めて卒業証書を受け取った。恐らく最年長に属するであろう息子が、若い子たちの中にあって何一つ悪びれることなく壇上を進むのを見て、私はうれしく思った。