シチリアの旅では8日間,島の中だけを廻った。書きたいことが山ほどあるが、何か不思議な印象が残るセジェスタの神殿についてまず記しておく。
パレルモの南西の丘陵地にそれはあった。
実に不思議な光景であった。ブドウ畑が続く谷あいの行き着く先の小高い丘に、忽然と白亜(というより薄茶色)の巨大な神殿が屹立していた。忽然と、というのは正にそのとおりで、周囲には自然のほかに何もなく、建物ははるか下のバス停留所に土産物屋が一軒あるだけであった。
停留所から歩いて登ると、近づくにつれその巨大さに驚嘆する。柱と梁だけの神殿で屋根もない。前面に6本、奥行きに12本の巨大な柱が並び梁でつながれているが、屋根はなく、雲ひとつない抜けるような青空が、正にどこまでも抜けていた。
この神殿が未完のもかどうか、古来議論が分かれているようだ。ゲーテは、床や周囲が地ならしされてないことと、石を運ぶ「ほぞ」が未だ削り取られていないことを主理由に未完としている(『イタリア紀行』)。フランシーン・プローズは、屋根のないことと柱に縦の溝が彫られてないことを理由に未完としているが、パレルモの丸天井のない別の教会について書いている中で、「・・・見上げればずっと高く、さらに天国まで、見る者と永遠のひらめきとの間に何もない。私はセジェスタの屋根のない神殿を思い出し・・・(中略)・・・屋根の必要性、価値、意味などにつき考えた」と疑問を投げかけている(『シシリアン・オデッセイ』)。
この神殿は紀元前5世紀頃、トロイアから入植したエリミ族により建てられたと推測されている。エリミ族はこの神殿で何をしていたのであろうか? もし、天にまします神を崇め、神に近づこうとしていたのなら、天国へ通いやすいように屋根は不必要であったかもしれない。とすれば、この神殿は十分に完成していたとも思える。
あの時の、巨大な白亜の柱と梁を抜ける青空は、日本では見たことのない不思議な青さであった。