秋田の雪不足を見て環境問題に踏み込み、ついに養老孟司先生の環境論まで学ぶことになった。この養老先生の本『一番大事なこと』は、息子(次男)が私に渡してくれたことも書いた。今日はその息子について書き記しておく。
息子は現在三十九歳、六月には四十歳になる。この息子が、三年前に八洲学園高等学校に入学、昨日無事卒業した。そしてこの四月に目白大学地域社会学部に入学することになっている。わが家には、四十歳の大学生が誕生するわけである。
実はこの息子は、二十数年前杉並区の豊多摩高校に通っていた。ところが二年生の夏、突然「高校に行くのは止めた。ギター学校に行く」と言い出した。ギンギンにツッパッていた彼は私に向かって、
「親父、あの大学というヤツには絶対に行かないからな!」
と言い放った。私はそのとき、「・・・お前はそう言うが、大学ほど素晴らしいものはないよ。勉強する気になれば、どんな先生でも選べるし、本も研究施設もたくさんある。友達も自由に選べる。時間もたっぷりあり自ら学ぶ気になればこんな良いところはないよ。」と告げたが、肩をいからせた息子は聞く耳を持たなかった。
私は、「無理やりに行く学校」というものに意義を認めていなかったこともあって、「好きにすればいいさ・・・」と息子の希望に沿った。息子は豊多摩高校を中退し、予てより行きたかったらしい「新堀ギター学院」に入った。当時、新堀ギター学院も卒業すれば高校卒資格が与えられることになっていたので、ワイフもそれにかけていた。
ところが不幸にして新堀学園はバブルに手を出だして倒産、息子はついに高卒資格を手にすることもできなかった。
その後家を出て行った息子は、アルバイトをしながらロックバンドを組み演奏活動を続ける生活を送っていたらしい。どこに住んでいるかも分からず、吉祥寺などで演奏しているらしい、という噂だけを流れ聞いていた。
ところが三年前、突如として現れ、「親父、高校に行くので保証人になってくれ」ときた。聞けば、大学にいって学びたいことがある、そのためには高卒資格が必要、ということに気がついたようだ。アルバイトとロックバンドを続けながらの「スクーリングを組み合わせた通信教育・単位制高校」は、相当につらかったようだが、卒業の見込みのついた昨年、「どうしても行きたかった目白大学地域社会学部」の入試に挑み、三回目のチャレンジを経て、暮に合格した。
こうして迎えた高校卒業式が、昨日九段会館で行われた。そしてそれは、「未だこのような学校が存在していたのか・・・!」という感動を私に与えてくれた。 (長くなったので、その模様は明日にゆずる)