セルジュ君の今回来日の目的はたくさん有ったようだ。
その一つに、12歳になった長女ナデージちゃんに広島を見せて、原爆の悲惨さを勉強させることがあったようだ。私はこの点に感服した。日本人も忘れ去ろうとしている第二次大戦悲劇の最高点の一つを、これから中学年に進む子供に教えておこうというのだ。これは見習わねばなるまい。
もう一つは、最も日本的なものを家族に見せようというものだ。彼の選んだものは、奈良(東大寺)、姫路(姫路城)、広島(原爆ドーム、宮島)、松本(松本城)、日光それに東京の浅草、鎌倉の流鏑馬(やぶさめ)だ。
中でも自分が一番関心を持っているものが、この流鏑馬である。
だから、私が付き合ったセルジュ一家の三日目は流鏑馬が全てであった。今日こそ本人希望のJRで新宿から鎌倉に直行、そのまま鶴岡八幡宮に直行して先ず場所をとり3時間近くを待って流鏑馬を見て、そのままわが家に帰った。
私はせめて大仏様ぐらい見せたかったが、流鏑馬の興奮をそのまま持ち帰りたいのか、「子供も疲れているから大仏はもういい」ということだった。
しかし、この彼の行動も私には印象に残った。そもそも私の周囲にも流鏑馬を見た経験をもつ者は少ない。それを遠くリヨンに居ながら調べ上げて「4月の鎌倉フェスティバルの第三日曜日は流鏑馬」と突き止め、何度も私にメールで確認をとりながら、それに日程を合わせて来日したのだ。
鎌倉のこの「武田流流鏑馬」は、遠く6世紀に九州は大分県の宇佐神宮に始まった「家内安全、五穀豊穣」を祈る神事だ。このような歴史に日本人はもっと関心を持っていいのではないか。
思えばセルジュ君は、リヨンの町を案内しながら「リヨンがいかに古いもの(2千年の歴史)を大切にしてきたか」を誇り高く私に語った。彼のその姿勢は一貫しているのだ。
彼は翌日松本に発った。松本城や日光で彼は何を学んでいるのだろうか。
ともあれ、かくしてセルジュ一家は gone with the tyhpoon !