何もしない夏休みのつもりであったが、ホテルオオクラの「秘蔵の名品--アートコレクション展『パリのエスプリ・京の雅・江戸の粋』」を見てきた。
毎年この時期に行われる展示会で、20~30社が秘蔵の名画を提供して行われ、通常では見れない作品を見ることが出来る。鑑賞の後、年1回の贅沢としてホテルオオクラのフランス料理を食べワインを飲もう、というのがもう一つの狙いで、ワイフと共に昨年に引き続き出かけた。
副題が示すように、「パリのエスプリ」では印象派の秘蔵の名画が、「京の雅・江戸の粋」では北斎、広重から横山大観に至るまで盛りだくさんで見ごたえがあった。その背景にある、印象派に与えた浮世絵の影響などがさまざまな展示でよくあらわされていた。
中でも、アンリ・ブラックモンの6枚のエッチングが面白かった。6枚は「雷雨」、「かもめ」、「葦と小鴨」、「つばめ」、「驚いた鴨」、「朝霧」と、どう見ても日本のテーマだ。解説を読むと、北斎漫画などに強烈な影響を受けたらしい。日本の芸術の力を思い知る気持ちだった。
その北斎漫画であるが、6点が展示されており、一度見たいと思っていた『群盲象を撫でる』がその中にあった。この言葉は現在では差別用語となっているので、書くことが気になるが、大局観を示すにはこれほど素晴らしい譬(たと)えはない。
目の不自由な数人のグループが始めて象に触れる。鼻に触れた人は「象はホースのようなもの」と言い、耳に触れた人は「ウチワのような動物」と言い、腹に触った者は「土蔵の壁のようにどっしりしたもの」と言う。そして足に触れた人は「大地に立つ柱のようにどっしりしたもの」と言うが、尻尾に触れたものは「とんでもない、軽いムチのよなものだ」と言った、というはなし。
これらの表現は部分的にはすべて正しいが、象の全体像を言い表してはいない。北斎のこの絵を見ると、私の数えたところでは11人の人が、あるいは鼻に触り、あるいは足に触り、また腹を撫で、背中には3人が上がってそれぞれ撫でていた。
一つ一つの事象を深く知ることも重要であるが、事態の大局をつかむことはもっと難しい。当面の欲得や満足感にとらわれて、世の大勢が進むべき道に外れていることばかりだ。
世界の進むべき方向を、誰か見定めている者がいるのだろうか?