旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

歌いつがれた日本の心・美しい言葉⑥ … 『夏は来ぬ』

2012-05-11 14:12:09 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

    
    卯の花の におう垣根に 

    時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
    忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

 卯の花というのはウツギの花のことで、昔は田舎の家の垣根や境界線に植えられていたブッシュ状の木で白い花が咲いていた。都会ではあまり見かけない。近くにそれらしい木が石塀から覗いている家があるが、時鳥の来る雰囲気ではない。今も田舎に行けばたくさん植えられているのだろうか? ほととぎすは夏鳥で、5月の中旬ごろ南から渡って来て、その最初のころの鳴き声が「しのびね」と言われているので、まさに今の時節の歌である。

     
     ウツギ 目黒の自然教育園にて5月19日撮影

 しかし、ウツギの白い花は記憶にあるが、ホトトギスの忍音を意識して聞いた覚えはなく、人家のウツギの垣根に本当にホトトギスが来ていたのだろうか? ホトトギス
は鶯に托卵するといわれているが、確かに鶯の鳴き声はちょっと田舎に行けば聞いていたので、ホトトギスも来ていたのかもしれない。いずれにせよ都会にあっては今はなき情景である。
 ただ、子供のころからこの歌ははよく歌ってきた。正確な意味はほとんどわからずに…。卯の花をウツギの花と知ったのはかなり後になってであったし、「におう」は花の匂いと思っていたがウツギの花は匂わないので、この「におう」は「咲き誇っている」というような意味であろう。忍び音」もよくわからず、「はやもきなきて」に至っては「早くも来て鳴いている」とは思っていたが変な言葉だなあと思い続けていた。
 しかし、正確な意味はわからずとも、夏の始まりの情景を常に頭に浮かべながら歌った。。この歌は5番まであるが、いつも2番ぐらいで終わり、その先はあまり覚えていなかった。2番の「五月雨のそそぐ山田に 早乙女が裳裾ぬらして 玉苗植うる夏は来ぬ」というのも、実に美しい情景として思い浮かべながら歌った。その点では、言葉の正確な意味は分からずとも、歌の趣旨は子供心に完全に生きていたのであろう。それを名歌というのであろう。

 名歌のはずで、作曲は明治の音楽教育の大御所、日本教育音楽協会初代会長小山作之助、作詞は、明治から昭和にかけての日本国文学の重鎮佐々木信綱である。何とも重々しいご両名の名を聞いただけで、この歌の深みが思い知れる。今の子供たちには、いよいよ聞きなれない言葉ばかりと思われるが、しかしこの歌も永く歌いつがれていくであろう。
     

見る見る緑濃くなった甲州街道のケヤキ 
 


 
     


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