昭和29((1954)年、大分県立臼杵高等学校を卒業したわが同期生は、227人であった。うち死亡が確認されている方が36名で卒業者名簿には191人が載っている。そのうち住所不明者が9名いるので、今回の同窓会に参加を呼びかけた対象は182名であったという。その中から181名の回答を得て、実に出席者は78名であった。
この生存率84%(住所不明者が全員死亡しているとしても80%)が、77歳にして高いのか低いのか知らない。また、対象者182名のうち、わずか1名を除いて回答を回収し、主席率43%にあたる78名の参加を得たことが、この年代にしてどうなのかも分からない。しかし直感的には、相当な高水準ではないかと思った。それは、集まった78名の元気な姿と、5時から始まった一次会に続き、8時からの二次会(カラオケ大会)に33名が参加、9時から12時までの三次会にも18名が参加、加えて翌日、朝9時半出発のバスツアー(安心院ワイナリー、宇佐歴史博物館見学、豊後高田昭和の町散策)にも27名が参加した事を見て実感したのである。
私はこの会で、光栄にも卓話を仰せつかった。開宴に先立ち5時から30分、「旅のプラズマこぼればなし」と題して話をさせていただいた。私が5年前の旅行記『旅のプラズマ』に続いて、昨年秋にその『パートⅡ…世界の酒と日本酒の未来』を出版したことに端を発したことである。前述したように元気であるとはいえ高齢者が対象であり、かつ趣味や生き方に相当な差があること、また「女性も多いので酒の話ばかりではダメ」という制約も付けられていたので、話としては結構難しく十分な話はできなかったが、既に60年前になる高校時代を振り返り、特に素晴らしい教師陣に恵まれたことを回想したことは、参加者と当時の思い出を共有できた様だし、最後の「酒はその地を吹く風(文化)であるので、大いに各地に出かけその風を飲もう」という呼びかけも、それなりの共感は得たようであった。
右が幹事長の陶山直世君
幹事は「今回で同窓会は終わり」と思っていたらしいが、今回の元気な姿に、「3年後にもう一度…」ということになったらしい。さてどうなることやら。