昨日は東銀座の東劇で映画「ラ・ボエーム」を観てきた。何度見ても悲しい物語だ。メトロポリタン公演の映画化で素晴らしい映画であったが、このオペラを見ていつも思うことは、「この物語は悲しすぎる」ということだ。少なくとも次の二つを挙げるだけでもそれは言える。
一つは…
ミミとロドルフォは恋に落ちるが、不治の病に侵されたミミの病状は進む。ロドルフォは、それは貧乏しか与えることができない自分の所為だと悩む。「貧乏の所為だ。愛だけではどうにもならない」と別れを決意する。
ミミも死を悟り別れを決意するが、せめて大好きな春まで待って…、と願う。そして二人は歌う。「冬を独りで過ごすのはつらい 春が来たら別れよう…、春は大好きな季節 しかしそこに別れが待っているのなら この冬が長く続けばいい…」
ミミの病気を癒すのは春の到来しかない。冬は確実に彼女の命をむしばむ。しかしその冬が続けばいいと願う。悲しすぎる。
もう一つは…
ついに春を待つことなく彼女は短い命を終える。その息を引きとる間際に、ロドルフォは絶叫して呼びかける、「ミミ――!」と。
実は彼女の本名はミミではなくルチアだ。冒頭の出会いで「私の名はミミ…、みんなそう呼ぶの。しかし私の本当の名はルチアなの」と自己紹介する。有名な『私の名はミミ』というアリアだ。しかし彼女は、この親しい仲間からも、一度も、ルチアと呼ばれない。そして最愛の恋人ロドルフォからも、最後の死の間際に呼ばれたのは「ミミ」であった。
これは悲しい。悲しすぎる。
もちろん、ボヘミアンたちがあの暗い時代を生き抜いた力の源泉が、悲しみではなく愛と希望であったことは相違ないが。