旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

銀行同窓会の病気の話(死ぬ話)と、孫のお宮参り(生きる話)

2015-07-12 10:55:52 | 時局雑感

 

 今日は自慢話を一つ。
 昨日は、銀行検査部時代の同窓会(融資業務の検査の仲間)で、8名が集まった。最高齢は81歳、二番目が私で80歳、あと70歳まで6人(総勢8名)が集まった。酔いが回ってきて近況報告となったが、この手の集まりの通例で、そろって病気の話が延々と続いた。
 ただ一人私だけ、一切病気のことに触れなかった。私も5年前に軽い脳梗塞を患い、それ以来「血液サラサラ薬」などを飲んでいるので、病気の話に不自由しているわけではないが、この手の集まりでは病気の話と死ぬ話はしないことにしている。
 私が、80歳になって初めて、次男のところに初孫(男児)が生まれたこと、生後未だ2か月に満たないが日々大きくなり、勢いよくミルクを飲んでいる姿を見て、自分の命が未来につながって行くことを実感している……、というような話をすると、全員に、「…参ったなあ、最年長者の一人に生きる話をされちゃった…」とおべんちゃらを言われた。

  
  立派な紋付をかけられた孫は、元気よくミルクを飲んでいた

 実はこのような話をしたのは、一昨日が孫のお宮参りであったからだからだ。西永福の大宮八幡宮に出かけ、本殿に鎮座し、お祓い、祝詞、巫女の神楽…と続く伸事を受けた。
 次男は大橋家に養子に行ったのであるが、大橋家は、江戸末期に米問屋を営んでいた大橋新左エ門以来女系が続き、代々婿を取り、四代目の養子である次男夫婦がなした男児は、150年ぶりの男児だというのだ。そのようなこともあって、私の話が「生命のつながり」の話になったのかもしれない。
 いずれにせよ、年寄りの集まりは病気と死ぬ話ばかりだ。それでなくても陰鬱なこの手の集まりは、せめて生きる話に努めなければ、と思っている。

      
  
  生後58日目、時々笑うなど、早くも表情の変化を見せ始めた。

    
   大橋家の家紋「変わり浮線橘」の入ったお宮参り用羽織


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