旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

10年目に向かう「純米酒フェスティバル」(3)

2008-10-10 13:04:38 | 

 

 純米酒普及推進委員会としては、特に大運動を展開してきたわけではない。中でも私などは、高瀬委員長の著作活動、中野さん(フルネット社)の出版、イベント活動にぶら下がり、年3回のフェスティバル(東京2回、大阪1回)に顔を出すだけであった。もちろん飲み屋など市井では、純米酒を要求し、そのよさを語り続けてきたが。
 委員会が一貫して言い続けたことは、「清酒は純米酒であるべし」ということである。清酒メーカーが何を作ろうが、何を売ろうが、それは一向にかまわない。ただ、「日本酒(清酒)を『米の醸造酒』と規定するならば、アルコール添加は認められず、それは米と米麹で造る純米酒であるべし」ということだけを主張してきた。そこにアルコールが添加されれば、リキュールや雑酒の類となるはずで、それを売るなら清酒としてではなく、別の分類で売るべきであろう。その立場から、美味しい純米酒を提供し続けてきたつもりである。

 既に2回にわたって書いてきたような傾向・・・つまり「全体のシェアーダウンの中で純米酒は増加を続け、清酒の中の15%近くを占めるようになった」こと、「一般の食堂、飲み屋でも、銘柄や種類(純米酒や本醸造など)を表示するようになった」ことが、われわれの運動だけの成果などとは決して言わない。
 しかし、日本酒の世界が、われわれが一貫して主張してきた方向に徐々に動いていることを心から喜んでいる。
 清酒を製造する蔵は、つい何十年か前までは2千とも3千とも言われていたが、今や1,381場と激減した(平成19年6月時点)。しかしそれでも千を越える蔵が何千銘柄もの清酒を造っているのである。これを十把一絡げで「お酒」と片付けるわけにはいかない。提供者は銘柄や種類を表示し、客は自分の飲みたい酒を選んで、食生活の多様化を図りたいものだ。
 特に燗酒については、まだ銘柄表示の店が少ない。私は「山廃純米の燗酒が日本酒の低迷を救うのではないか」という予感にとらわれており、その面からも、「おかん」という表示を超えて銘柄、種類の表示が行き届くことを祈ってやまない。しかもそれらを、テイスティングさせながら提供していくことになれば、酒の飲み方は大きく変化してくるのではないか?

 10年目を向かう「純米酒フェスティバル」は、これから何を主張していくことになるのであろうか?
                            


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